
タイトル:ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー
監督:アーロン・ホーバス
マイケル・ジェレニック
形態:映画
既か未か:未
『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』みた。
マリオ映画第2弾。特段マリオに思い入れとかはないんだが、前作は時間が空いたので暇つぶしに公開初日に見た。今作もそのよしみで初日に見た。程よい時期にやっててありがたいね。
マリオはそれなりにしたことがある程度です。マリギャラは残念ながらどちらもやったことがない。一番ちゃんとやったのはオデッセイかな。あとマリオメーカー2も楽しんだ。今作は大量のイースターエッグが出てくるんだが、よほどコアじゃない限りは大体見たことあるなぁくらいの感覚。そんくらいのマリオ好き度。
1作目の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が公開された時の各種SNSの盛り上がり方は今でも覚えてる。ポリコレがどうだかの話はもはや果てしなくどうでもいいのでしない。今回思い出すのは批評論争だ。1作目のマリオは楽しい映像作品であった一方、映画としての新しさは「マリオの世界観がまんま見れて最高」以外には皆無だった。一応兄弟愛の話やマリオの無難な成長譚としてまとまってはいたが、これがマリオの映画じゃなかったら全然面白くなかったと思う。実際、申し訳ないが俺は全然面白くなかった。楽しくはあった。でも面白くはなかったのだ。まあ正直な話、マリオがどうだかってのは置いといて、本作の制作会社・イルミネーションはそういう会社なので仕方ない。俺はミニオンシリーズが大好きなんだが、最新作『怪盗グルーのミニオン超変身』の評論家評価がめちゃくちゃ悪いことに対して誠に納得している。
1作目の時はこんな感じで批評家評価が悪いことに対して、えらくご立腹の方が多かった。「俺たちは楽しんだんだ!評価が低くて何が悪い???」と別に評論家に怒られたわけでもないのにキレ始める人が多くてちょっと怖かった。まあ、評論家がお高くとまっている感じがすることは同感だが、そこに勝手に負い目を感じ始めてキレ始めるのは人間の恐ろしい習性だ。実際、ちょっと前にも「マリオの映画を楽しめないなんて…🤭」みたいなツイートがバズってたが、それくらいには禍根が残っているという話だ。ただ、前作の評論家評が低いのはある種当たり前。映画ってのは映画が楽しいかどうかに加えて、その映画がどんなことを伝えているのかとか、その伝え方とかまあ未熟者の俺でもそれくらいにはわかるほど多様な評価基準がある。そしてそれらはまあどうしても「新しい」ものが評価される傾向にある。先述した通り、マリオ映画の新しさはゼロに近かった。だから仕方ないんだ。『ヴェノム』もそんな感じなのよ。でも自分の楽しんだ感情と人が楽しめなかった感情は全然共存するので。
ただ、今作はそれをさらに先に持っていく感じで議論が展開し始める。詳しくは映画の感想ゾーンで言うが、今作は割とマリオ好きの方の中でも賛否両論っぽい。かくいう俺もイマイチ賛否を決めかねる感じがすごい。ってかまずこの作品は映画ではなかった。前作の感想で「マリオ映画は映画というよりはゲームに近い」って言ってる人がいて、今作でもそう言ってる人がいたが、別にゲームでもない気がする。新しい時代の「なにか」。この辺は一考の余地あり。
ネタバレあり
マリオ(クリス・プラット)とルイージ(チャーリー・デイ)はキノコ王国で配管工としての仕事をこなしながら、キノピオたちやピーチ姫(アニャ・テイラー=ジョイ)を助けていた。ある日、宇宙の果てで星々の母・ロゼッタ姫(ブリー・ラーソン)がクッパJr(ベニー・サフディ)に攫われる。クッパJrはクッパ(ジャック・ブラック)の名を宇宙に轟かせ、宇宙をクッパ軍団のものにするため、行動していた。ロゼッタを助けるため、ピーチ姫は旅に出る。一方、留守を任されたマリオたちはピーチ城で捕まえているクッパの変化に気づいていた。そこにクッパJrが襲来。マリオたちもピーチの後を追うことに。
物語なんてあってないようなものである。この映画の目的はズバリ「観客を楽しませ続けること」。この楽しませるというのは静の楽しみというよりは完全に動の楽しみ。いわば刺激だ。そのためにほぼ全ての物語ってのは放り投げられる感じなので困惑がすごい。例えば、本作序盤では前作の悪役・クッパが改心…?というドラマの起点が作られるが、このドラマは雑に放り投げられる。例えば、クッパJrからの期待とマリオたちとの和解の中でのクッパの葛藤が一番面白いところになるんだが、その葛藤シーンはあまり描かれず、むしろクッパJrとの再会後はクッパは悪に戻る。他にも本作初登場のヨッシーがマリオたちと仲良くなる「段階」のシーンはなく、登場、数秒後にはいつメンのような顔をし始める。まぁ、マリオ知ってる人からすればいつメンなんだけどサ…。
そんな感じで映画としてのドラマを描かずにフルスロットルで楽しいシーンを断続的に入れ続けるのが今作。実際、マリオの生みの親で本作制作にも携わった宮本氏は90分じゃなくて3分を30個作った的なことを言ってたらしいし。これは映画じゃないよね。別にそれが悪いわけじゃないんだが。かのスコセッシはMCUに「MCUは映画じゃなくてテーマパークだ」と述べた。が、まんまマリオがこれだ。映画では絶対にない。し、かと言って悪いわけではない。棲み分けだ。棲み分け。
このことにマリオ映画はゲームだからね。と言う評論を結構見たのだが、なんだか本作に関してはそれも違う気がする。
映画とこの作品を二分するものはなんと言っても物語としての「積み重ね」があるかどうかだと思ってます。じゃあ、ゲームには物語としての積み重ねがないのかと言われると別にそんなことはもちろんないからだ。積み重ねはゲームにもある。
ゲームの積み重ねは大きく分けて二種あると思う。「ストーリーの積み重ね」と「プレイの積み重ね」だ。前者は映画と大して変わらんのでカット。カービィとか好きなんだけど、割とそんな感じ。一方、後者の「プレイの積み重ね」は例えば、ゲームで推される要素に関係する。任天堂のゲームの魅力って思うに、「そんなこともできるの?!」という点にあると思う。例えば、古の『スーパーマリオ』はそれまでのアクションゲームには(おそらくなかったであろう)アクションがあった。ダッシュした時の切り返しとか。これが例えば、最近のマリカだと、コース以外も走れちゃうとか、『マリオオデッセイ』だと、敵に乗り移れるとかになってくるのだと思う。そう考えた時に、ゲームのラストバトルではその「そんなこともできるの?!」の最大系がくることが多い。オデッセイとかまさにそうで、これはプレイヤーにその推したい要素を何度もなじませて積み重ねてきたから生まれるカタルシスだと思う。
まあこれがパーティゲームだと違ってくるんだが、じゃあ今作は100歩譲ってマリオのパーティゲームっぽくはあったとしても、『マリオギャラクシー』ではないし、ゲームでもなかったのではないかな…。マリギャラやってないのでとやかく言えないが。
この映画に似ていたのは昨年のほぼ同じ時期にやっていた『マインクラフト』の映画だ。あれも積み重ねとかはほとんど無しに、観客が楽しいシーンを断続的に入れ続けた作品だ。あれは『マインクラフト』の映画というよりは、ジャック・ブラックの映画だったけども。今作にも出てるやん。
今の時代はじゃあこういうショート動画型映画、ドーパミンドパドパ作品の戦い方がベストなのだろうか。実際、この戦い方は有利な気がする。サブスク時代において特に。映画館で映画を見る時、観客は席を立つことは少ないが、サブスクで映画を見る時はすぐにブラウザバックできるからだ。実際、配信用映画においてはアバンが省略されたり、いきなり盛り上がらせたりすることが多いらしいし、これが映画以外の歌曲とかでも、イントロが短くなる傾向にあるらしい。(あくまでらしい)。積み重ね型の最後に巨大カタルシスどっぱーんな従来の映画(全部がそうではないが)の時代は終わったのかもね。
ただ、この戦い方が有利かっていうと、あながちそうでもない気はしてくる。今作を見てて一番思ったのは「出オチ感」でした。例えば、『オデッセイ』のあいつとか、サプライズキャラとか変身とか。出てきた瞬間はすごくテンション上がるんですよね。でも「で?」と思ってしまう。完全に出オチになってしまってるんですよね。これは登場するサプライズに積み重ねやドラマがないからだと思う。同じゲーム映画でも比較的ハリウッド文脈に則ってた『ソニック』シリーズを例に挙げると、2や3でスーパーソニックになる時、テンションが上がるのはやっぱそれまでの時間での積み重ねがあるからなんですよね。観客は焦らされて焦らされてそこでやっと最高の無双シーンを観れるから絶頂できる。まあ全部の映画がそうとは言えないんですが、映画の序盤に名シーンってこないでしょ?基本名シーンはいつも中盤から終盤。それまでに「積み重ね」という下地をこさえているからだ。
この新世代型映画はどうしても、単発ネタでの戦いを強いられてるわけだ。するとその単発ネタの強度が争点になってくる。ただ、残念ながらそこに多様性は少ないように感じる。多様性が少ない中では強度は単一の評価軸になってしまうので、結果単発ネタで最も強いのはおそらくヤク。ネウロみたいな感じで視聴型麻薬をサブリミナル形式で入れ込むことがこれ系映画の「答え」になるんではないだろうか。というわけでわりかし不利な戦いな気がしてくる。
なんかこんな感じの映画で好きな映画としてあげるとすれば、『くまのプーさん2011』とか『ふしぎの国のアリス』が思い浮かぶ。二つとも積み重ねとかは無しに、単発単発のおもろネタをぶち込んでくる型の映画だ。キャラが好きだから楽しめたんだろう。だから今作も俺がマリオというコンテンツが好きで好きでたまらなかったら好きだったんだろうという感じはある。そしてマリオが好きで好きでたまらない誰かの一番にはなってるであろうわけで、それは素晴らしいことだと思う。マジ。中途半端な作品作るくらいならこれくらい尖らせた方が絶対にいい。まあ一応プーやアリスには実は映画内で組み上げてる要素がありはするんだが。プーなら2011版ではないが、これまでのプー作品を前提において、あえて物語を前に進ませないようにしている。アリスだったら組み上げてるものが表出するのは裁判のシーンでお茶会組が出てくるところだろう。それ以前にこの2作って多分、積み重ねることをあえて逆手に取ってるのかなという感じもあり。「あえて積み重ねない」という気もするのです。今作のマリオも狙い自体はそっちより。問題は輪をかけて映画としての体裁をなしてないことな気がする。
この映画、上記のようにこれはこれで…で片付けるには若干問題があって、それは映画的要素が足を引っ張ってることなんですね。クッパが改心するかどうかもそうだし、ロゼッタという要素やヨッシーもそう。一応一本の映画としての体裁を整えようとしているために突き抜けきれてないところが多々ある。別に遊園地のアトラクションのようにもうストーリーとか「完全に」放り投げて楽しさだけの作品にすればよかったのに、上記諸要素などが足を引っ張ってる感じがする。サプライズとかもほとんど予告で見てたからあんまびっくりしなかったし。こういう映画で一つの答えはデップー3。あれもサプライズが主でデップーのドラマとかどうでも良くなってたっしょ。
このまま突き抜け切れるか、ただ、上述のように限界が見えてるのも事実だが、これからのマリオが楽しみです。でもオデッセイとかカービィシリーズとか自分が好きな作品でこの形式やられたらちょっと嫌かな。あと不安点は制作会社イルミネーション。アメリカ3大アニメ会社の勝手なイメージはディズニーが右翼、ドリワが左翼のこいつらはノンポリ気取りなので。ミニオン新作が面白かったら安心できるが、自己批判精神が薄めの会社な気はするのでもう本当に色んな意味でマリオ3作目も楽しみであったりする。