
タイトル:マーティ・シュプリーム 世界をつかめ
監督:ジョシュ・サフディ
形態:映画
既か未か:未
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』みた。
3月16日かな?第98回アカデミー賞の発表があった。作品賞は俺も好きな『ワン・バトル・アフター・アナザー』。本作『マーティシュ・プリーム』は作品賞と主演男優賞(と他に何があったかは見てないが)にノミネートするも受賞は0部門に終わった。
アカデミー(akaオスカー)は映画好きとしては恥ずかしながらちゃんと確認したことはあんまりない。それこそ、ゴシップをチラチラ集めてたくらいで、「ダウニーJr こんなことしたんやなあ」とか「ウィル・スミスのビンタ」とか行儀の悪い方法で認識してた。でも今年はせっかくなら予想しない?と知人に持ちかけられたので、いざ!オスカーダービー!!。でも鑑賞作を全然見とらんという悲痛の事態に。予想しようと決めた段階で見ていたのは『ワン・バトル』と『フランケンシュタイン』のみ。『罪人たち』は途中までしか見てない。ちなみにこれは『罪人たち』が合わなかったからとかではなく、夜、酒飲みながら見てたらどうも体調が悪いので中断したという背景がある。ちなみに翌日からインフルかかったのでインフルのせい。
見てない映画に票入れるのはダサいという強がりを持って予想。まあワンバトのおかげで結構当たった。そして「途中まで見た!」という言い訳を持ってマイケル・B・ジョーダンにも賭けといた(金銭及び物質等のやり取りはないよ?念の為)。ウハウハである。
本作『マーティシュプリーム』は結構有力候補だったっぽい。しかし、主演ティモシー・シャラメの本作キャラを意識した発言等があんまよく思われてなかったぽい。念の為言っておくと、本作のシャラメ演じる主人公・マーティはクソヤロウだ。なんだか、アカデミー終わってみれば、「取らなかったことで逆に箔ついたね」とか言われてて、まあそういう内容の映画なんやろなということは読めた。
シャラメへのイメージは本作のマーティほどではないにせよ、結構クソガキ感ある。トムホみたいな可愛いクソガキじゃない。大学入って飲みを覚えたあたりのクソガキだ。このイメージがついたのはガザのジョークとかのあたりかな。日本でもシリアスに怒ってる人は多かった印象。まあそもそも俺はイケメンがあんまり好きじゃない。これは嫉妬に狂ってるからというのも一つかもだが、純粋に渋いおっさんの方が好きだからだ。イケメン若手俳優はちょっとね…という言い訳。オスカーに準えて言うと、レオも『タイタニック』とかの時より、今の面白おじさん路線の方が好きだ。
ただ(イメージね)キラキラ役を演じがちなシャラメだが、本作は明確にクソ野郎なので楽しんで見ることができた。別にキラキラ役でも楽しんでみますがね。『ウォンカ』とか。まああれはヒュー・グラントに楽しませてもらった気がしないでもない。と言うかみてないだけで、多分『若草物語』とかではただのキラキラ役ではないんでしょうね。
オスカー逃し3回目くらいらしく、シャラメの今後は気になるところだが、本作は面白かったので頑張ってほしい。そして失言を減らしてほしい。この括りは良くないが、シャイア・ラブーフとか、ザッカリーみたいな方向には行ってほしくないかな。
ネタバレあり
50年代のニューヨーク。未だ卓球はマイナースポーツだった時代。靴屋で働くマーティ・マウザー(ティモシー・シャラメ)は卓球の才能に満ち溢れるも、世界選手権に出るためのお金がない。マーティは渡航費を得るため、営業時間後の靴屋で金庫前にいた同僚・ロイド(ラルフ・コルッチ)を銃をも用いて説得。ロンドンの世界大会へと赴く。大会で順調に勝ち進み、尊大な態度を見せるマーティだったが、決勝戦で日本人選手のエンドウ(川口功人)に敗北。野心家のマーティは次回の日本での選手権出場を目指す。しかし、不倫相手のレイチェル(オデッサ・アザイオン)の妊娠や卓球協会の選手資格剥奪など、マーティの尊大で場当たり的な行動が引き起こした数々のことが襲いかかる。
マーティ・マウザーといういかにも尊大な天才が起こす場当たり的な行動がみんなを、ひいてはマーティ自身(こっちが主か)をどんどん不幸にしていく話。ネットの評判とかではマーティに対して「クズ」だの「最低野郎」だのといった声をよく聞くのでどれくらいクソヤロウなのかなと思ったら序盤はそこまででもない。もちろん、いきなり不倫から始まるのでそこそこではあるのだが。オープニングは不倫エッチ中、精子が着床するという映像から始まるので、「バカ映画っぽいな」と思って楽しむ準備ができた。
マーティは継続的に微クズな感じで選手権まで行く。例えば、序盤の不倫とか、インタビュアーに現代なら即アウトレベルの発言をかますとか。あと、ホテルで見かけたかつての大物女優へのお誘い。当然既婚者。女優・ケイは昔のスターらしく、マーティは同席のインタビュアーが興奮してる様子を見て大物っぽいと確信(だと思う、多分。もともと知ってた可能性もなきにしも)。さっそく誘い始める。こいつはどうやら、「俺は大物とヤッた」という名声が欲しいのかなと思った。
しかし、選手権での敗北。相手は日本人のエンドウ。エンドウへの敗北を経て、マーティはスポーツマンシップの道へと進み始める。わけはなかった。ケイをたぶらかしながら金を稼ぐため、ケイの夫でインク会社社長のミルトン・ロックウェルにビジネスを提案する。しかし、ミルトンから日本でエンドウにわざと負けるという八百長イベントを提案された結果、激怒。ミルトンの戦死した息子のことを罵ってその場から立ち去る。立ち去る前に高級ディナーだけミルトンづけで食べてからね。
こんな感じで場当たり的な行動が多い。それが襲いかかり始めてからが面白く、選手権敗退後、実家に帰ると、金庫から取った金のことで警察が押しかけ、不倫相手が妊娠。あと、色々あって卓球協会から激怒され選手資格剥奪。さらになんとか逃げ込んだホテルで禁止を破って風呂に入り、床が抜けるとか。全部自分のせいなんだけど、それが何倍もの勢いでマーティを懲らしめる。そして、こいつはそこから何かを学ぶのではなく、さらに場当たり的にそのピンチを乗り越えようとする。複利的にピンチが増えていく。
こいつは日本の選手権に出るためならマジでなんでもする。このマジは冗談とかではなく、全然犯罪とかもする。卓球の八百長賭博とか、老人から犬を病院に連れて行ってほしいと言われ金を預かるも犬に逃げられ、金は独り占めする。さらにはレイチェルを使ってその犬を見つけたから謝礼金をよこせと老人に連絡する。「マジでいい加減にしろ、お前は」と言いたくなる2時間。ここまで来ると流石に面白さの方が勝ってくる。そしてろくでなしの周りにはろくでなししか集まらず、周りの人たちもどんどん不幸になっていく。
なんか思ったのは『国宝』っぽいなということだった。『国宝』は2025年の邦画で、主人公・喜久雄は歌舞伎の才能はあるものの、家柄の必要な歌舞伎界での仕上がっていくことは難しい。喜久雄が名家に生まれながら才能の乏しい横浜流星とてんやわんやしながら、なんとしてでも人間国宝になることを目指す大ヒット映画だ。別に喜久雄は流石に犯罪したりとかはしないんだが、劇場支配人の娘・彰子ちゃんをたぶらかしてコネを使ったりしてて嫌な気分になったのを覚えている。そして、彰子ちゃんの親からブチギレられ、もはやコネなど無くなった彰子ちゃんと2人で地方巡回をはじめる。もちろん途中で捨てるが。ここがレイチェルを連れたマーティっぽいなと思った。
『国宝』は喜久雄が賛美されて終わったので個人的にはめちゃくちゃ嫌いなんだが、『マーティ・シュプリーム』っぽい終わり方だったなら許せた説がある。『国宝』は先述の彰子ちゃんの件とかが「苦労したんやで…」的ないい話としてパッケージング化されているのが気に食わないよね。いやゴミやんと思うので。『マーティ』の方はというと、個人的には「はいバカ!こいつもバカ!バーカバーカ」という雰囲気が全編に現れているので喉越しはちょうど良い。そしてそれこそがラストの展開につながってくるので楽しんでみることができた。
途中、レイチェルが妊娠した自分を連れてもらうために「嘘」をついていたことを知ったマーティは激昂する。「俺は計画的に生きてる。素晴らしい目標のために1人で全部やってる」とか。マジでまんま全部自分に跳ね返ってくる説教だ。こんなに自信満々に言えるマーティはすごいと思う。
マーティはミルトンに謝りまくり、ケツをラケットで叩かれながら赦しを乞う。おかげで日本の八百長イベントに参加できたマーティだったが、エンドウとの対戦で負けたら豚のケツにキスするという条件をのまされてしまう。八百長だから負けるのは確実にマーティ。ミルトンは全然許してなかった。再開した卓球協会からも改めて選手権資格剥奪を言い渡される。エンドウを八百長で一度は勝たせるも、マーティは観客に本気の勝負が見たいかと持ちかける。こんなことをしてはもうマーティはミルトンから帰りの渡航費ももらえないし、ノーギャラ。誰にも伝わらないと思うが『デアデビル』2話のマット父を思わせる展開(高潔ではないが)。
真剣勝負の結果は。そしてマーティは生まれてくるレイチェルと自分の子供を見て何を思ったのか。ティアーズ・フォー・フィアーズの『ルール・ザ・ワールド』と共に映画は終わる。最近この曲しょっちゅう聴くな。
最後の展開はマーティへの赦しととるか、果てはもう一方かという解釈は分かれそう。俺は後者だと思ったんだけど、本作の原案的には前者だったっぽいわ。でもあえてその原案シーンを消してるので解釈は自由。そういや『国宝』も一緒に見に行った人から「あのラストは許しでも賛美でもないだろ」と言われたのを覚えている。「娘にあんなこと言わせるのはね…。」という考えなので相入れなかったが、一理あると思う。流れてる『ルール・ザ・ワールド』にも印象だけだが、負け犬的な印象を抱いてるので尚更許しではないのかなと思う。負け犬になることを肯定的に受け入れるイメージ。そういう意味ではマーティへのある種の赦しでもあるね。
あと、こいつ(マーティ)は何に突き動かされてるんだと考えた時に、ただ「こいつってクソ野郎だよな!」だけでは終わらない何かがあるなとは感じた。まず、マーティは才能はあるものの金がない。別に金を精力的に稼ごうとしているわけではないんだけど、逆に言えば、精力的にならなければ稼げないような身の上だ。50年代アメリカが舞台というのも示唆的でアメリカンドリームの裏表的なものが見えたり見えなかったりする。才能のあるマーティはその才能に自分の実態を追い付かせなければならないという焦りを持っていたのではないだろうか。ちょっと共感できるようになってきたぞ。そう考えると『ルール・ザ・ワールド』もだいぶ示唆的。示唆的って2回もいうのはダサいな。
本年度オスカーノミニー作品は本作も含め、男が赦される話が多いみたいな話題を目にして「確かに」と思った。『ワンバトル』はもちろん、本作、『国宝』、『センチメンタル・バリュー』とか。男が許される話を男が書いてるのをみると、正直、自己満のオナニーっぽくも思えてきて気まずいところだ。こんな感じの映画を見た男である俺が「赦された」と思うのもただ気持ちよくなってるだけじゃねえかと言われるとぐうの音も出ない。だから、まあいわゆる「父性」の映画は男は許されてはならないんじゃないかなというのが持論。先述の通り、この映画は許しの映画ではないのかなとも思うが、それこそが現実男性への赦しになっている節はある。具体的に言うと、「映画の中でこんな酷い目にあってんだから…サ」といった形の言い訳じみた言説とかね。もっと言うと、さす九的な人間が嫁さん怖いと言ったことを言い出す時に近い。自身をやられ役としてプロモートすることによって実際の状況云々を不可視化する手法だ。
こと本作について言えば、マーティが許されてるか云々の前に、プロモーションで炎上しまくったシャラメがあんまり許されていない感じもする。シャラメの身の上も実際マーティみたいなもんらしく、それはエグめの自己認識をすると俺のようでもある。というのもこの3者にダブるのは3人とも恵まれていないわけではないということである。だがこの3人が行きつこうとした場所にいたのは異常なまでに恵まれていた者たちと異常なまでに恵まれていない者たちだった。ミルトンがどのように成り上がったかは知らないが、恵まれてきた者であろうことは想像に難くない。エンドウは先の戦争のせいで聴力が不自由な選手だった。マーティは、俺はどちらでもなかった。まあシャラメはそういう意味で言えば、キャリア強ではあるんだが、そしてマーティには才能があるんだが、抱いていた劣等感は同じな気がする。そして劣等感に動かされるものは周囲と自分を不幸にし続ける。
果たしてこの劣等感を払拭するのは「野心によって上り詰めること」によってか、「現状を肯定すること」によってかどっちなのでしょう。一応マーティは後者なんですが、シャラメと俺はまだ前者の舞台から降りる気はないっぽい。