
タイトル:映画 ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城
監督:矢嶋哲生
原作:藤子・F・不二雄
形態:映画
既か未か:未
『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』みた。
毎年春の風物詩、ドラ、コナン、クレしん映画。クレしんシリーズはコロナ禍以降、その激戦区を避け、新たなる激戦区、夏に公開時期を移した。この3大アニメ映画について、クレしんシリーズはほぼ毎年映画館で見てる。そしてコナンもなんやかんや話題なので見に行って文句垂れたりしてる。よって一番見てないのがドラ映画です。去年の『絵世界物語』は異様に評判が良かったので流石に見に行った。それ以前は『宇宙小戦争2021』や『月面探査機』とか『宝島』とか見たな。しかし、個人的に一番好きなのは『秘密道具博物館』。いうまでもなくわさドラ世代です。
クレしんは原恵一時代に、コナンはこだま兼嗣時代に黄金を飛ばして、最新作が比較される傾向にあるがいうまでもなく、ドラえもんもその一種でしょう。第一、存命中の大山ドラ時代は原作者の藤子・F・不二雄が元ネタ書いてたってのもあるし。本作『新・海底鬼岩城』も元ネタは大長編ドラえもん。わさドラのリメイク、オリジナル系譜におけるリメイク作だ。そして俺はリメイク元も原作も読まずに見た。それを踏まえた感想です。さらにちなみに、映画だけだとよくわからんとこがあったので原作も買って読んだ。偉いやろ。
藤子・F・不二雄氏(以下F氏)は星新一ばりにSF界の貴公子なイメージがあり、その短編集は読んだことはないけど絶対面白いのでいつか読みたい。F氏とか言ってる割に俺自身は全く詳しくなく、むしろ激しいにわか。ドラえもんとキテレツとパーマンをちょろっと読んだくらいで無理やり関連作を増やすならA氏の『笑ゥせぇるすまん』のリメイクアニメは全部見た。ただ短編集とかの話をちょろっと見てる感じ、哲学的というか、全く及んではないので差し出がましいですが、私のブログで最後の方に自問しまくってる感じに似てるとこが多く、読んだら楽しいんだろうなと思う。
結論、面白かったです。でも文句は多めかも。ごめんなさいね。ドラファンの方がいたらなんか教えてくれると嬉しいです。
ネタバレあり
夏休みにキャンプの行き先で意見が分かれたのび太(大原めぐみ)たちはドラえもん(水田わさび)の提案で海中をキャンプすることに。秘密道具の「水中バギー(広橋涼)」と「テキオー灯」を使いながらキャンプを楽しむ一向。沈没船を発見したことをきっかけに海底人と遭遇する一向。海底国家ムー連邦に連れて行かれた彼らは、陸上人は信用できないとの理由で捕まってしまう。しかし、ムー連邦はある問題を抱えていた。それは鬼岩城から攻めてくるバトルフィッシュの存在だ。それだけでなく、鬼岩城では恐ろしいことが起きようとしていた。
前半は海底でキャンプを楽しむのび太たちを描き、後半でムー連邦が登場、そして本作ゲストキャラの海底人エルと出会う。
もう内容に沿って書くとかたるいことはせず、全体像から話すと、ムー連邦と相対する鬼岩城はかつて連邦と争っていたアトランティスという大国だった。戦争に際して鬼角弾を作成したアトランティス。しかし、実験に失敗してアトランティスは滅んでしまった。この時、アトランティスが存在していたのがバミューダトライアングル(現実のやつと一緒)でバミューダトライアングルにおけるバリアのおかげで鬼角弾はアトランティス内部でのみ爆発しアトランティスは滅びました。しかし、アトランティス内部の人工知能ポセイドンは生き残っていた。ポセイドンは人工知能といってもかなりシステム的な存在で安全保障として鬼岩城が攻撃されたら直ちに鬼角弾を撃ち返すようにできている。だからバミューダトライアングルに刺激を与えない日々だったが、近くの海底火山が噴火しそう。噴火をポセイドンが攻撃と認知してしまったら世界中に鬼角弾が発射され世界は滅ぶ。
面白い設定だなあ。本当に。国敗れてAIあり、というか人間の制御下にない人工知能の怖さを見事に描いている。安全保障システムの暴走とでもいうべきテーマであり、ガチで現代予見性がすごいと思う。Wiki情報だとムーとアトランティスは冷戦時代の2大国家に見立てられているらしい。
とまあここまでは原作にも通ずる話なんだが、本リメイクを初めて見た時に思ったことはあまりにも詰め込み過ぎているということでした。テーマがパンッパン。「仲間での協力」「ロボの心」「ロボと正しさ」「海のゴミ問題」「安全保障システム」「信じて一歩踏み出すこと」。多いわ。海ってことでゴミ問題とかもやったれやったれって感じで入れたのかもしれないけど、後半の鬼岩城云々と有機的に繋がってなくて普通に邪魔だったと思う。ロボ一本で絞った方がまとまったんじゃないの。
一番残念なのがこのテーマの膨大さに押し出される形で「ワクワク」がちょっと薄かったこと。成人済みの人間が子供向け映画にワクワクなんて求めるなよと言われるかもしれんが、子供向け映画は背伸びできるようなワクワク感があって然るべきだと思うんすよね。一番は具体的知識があんま出てこなかったのがね。たとえば、『大魔境』ではスモーカーズ・フォレストという存在について精細に語って、観客をめちゃくちゃワクワクさせてくれたし(実存しないの知ってビビった)、『日本誕生』では神隠しの恐ろしさにゾクゾクした。って書くとワクワクというより知識欲に近いのかな。個人的には「バミューダ・トライアングル」でもっとびびらせてくれても良かったのになと思った。原作読んだ感じ、映画内ではバミューダ以外にもドラえもんの教えてくれるシーンが薄くなってた気がする。
あとテーマが多過ぎて内容が散乱してたのも気になった。会話が回収されない気持ち悪さがある。たとえば、テキオー灯の効果時間に気づかないまま、ドラの元を離れてバギーでバミューダを目指すジャイアンとスネ夫が効果が切れて死にかけるという展開があって、ジャイアンとスネ夫が生きれたのは結局エルがテキオー灯を当ててくれたという理由で回収される。しかし、その場ではエルの正体は明らかにならないので、ドラたちが駆けつけた時にはただジャイスネが生きてるだけという描写でこっちとしては「なんで?」と思うもその場で回収してくれない。布石だから仕方ないとはいえ、危ないぞ。ドラえもんは彼らの保護者的立場なんだから、「なんかわかんないけど、助かった!」が一番やばい。エンジニア的にも「原因は不明で直らない」よりも「原因は不明だが直った」の方が危険なのはいうまでもない。ドラは再現性のない安全なんだから分析して傾向と対策を打てよ。
こんな感じの謎を謎として置いておくことによって話が進んでいくので歯痒い思いはある。ガチで意味不明だったのがエルとドラえもんたちの会話。ドラが22世紀からきたロボットであることを伝えるとエルは「国のみんなには隠しておいた方がいい」と伝える。「なんで?」と聞かれてガン無視して別の話を始めるエル。まあ後から想像するに、鬼岩城のポセイドンというロボによって被害にあってるからなのかな?くらいはわかるが映画ドラえもんってそんな考察型の映画でもあるまい。
そして、それ以上に訳が分からなかったのが沈没船の存在だ。本作は沈没していたはずの船が動いている!という謎要素があるが結局この理由が明らかになることはない。多分。だから原作漫画買ったんだよ!原作曰く、バミューダ近郊に近づかれて鬼岩城に刺激されると困るから移動させたとのことだった。そうならそうと言ってよ。もう。
というわけでF氏のエッセンスはすごく良かったが、映画的にはいまひとつとの評価で落ち着く。本作的にはロボがどうこう散々言った通り、バギーちゃんという存在が重要となる。こいつに感情移入できるか否かが本作の評価を左右する。バギーちゃんはあらすじにもかいた「水中バギー」でコンピュータの頭脳を持つ。リメイク版の本作ではおそらくジェミニとかをモチーフとしたAIっぽい。バギーは口が悪く、ジャイアンとスネ夫が前述の通り、テキオー灯の効果切れで死にそうな時も、「人間ナンテ イバッテイテモ コウナルト ダラシナイモノダネ」と無反応。このシーン怖過ぎて良かった。
しかし、この件をしずかちゃんに庇われた結果、心について学んでいくことになる。「機械は命令されたからやっただけで、いいことと悪いことを判別することはできない」というセリフはあからさまに本作のテーマ。安全保障の人工知能ポセイドンとバギーの鏡像関係だ。
バギーちゃんはジュブナイル王道的な展開を迎えるのだが、ここで乗っていけるか否か。ほとんどの人は乗っていけると思うので楽しいと思う。私は五分でした。なんか、ここから先はバギーちゃん好きな人は見ないで欲しいんですが、しずかちゃんにだけ真実を伝えるために部屋に来るとことか、しずかちゃんのことが気になりまくるとことか、ちょっと童貞くせえなと思ってしまった。だから最後の特攻シーンも『スーパー!』とかに近いものとして見てしまった。でも原作見たら全然映画の方がマシで、原作バギーは5割マシくらいで口が悪く、その割にはしずちゃんしずちゃん言うので、毒舌が面白いと思って周りから距離を置かれまくる、大学デビューしたコミュ症に見えた。俺の周りにもいたわ。バギーちゃんが一度彼に見えてしまうと、俺にはどうも乗っていけないものがあった。
エルもあんま好きじゃないかな。法律の話してる時に「100年前の錆びついた法律だ!」って言ってたのはタイムリーでヒヤっとした。原作だとこのセリフだけですが、今映画だとそこに続けて「変える勇気を持たないといけない」みたいなことを言っててそれはいいの?と思った。製作陣が明確に自民支持でそう思ってるなら100歩譲っていいんだけど、これはキッズたちが見て今後の人格形成におそらく影響を与える作品なので「とりあえずポイこと言わせとこうぜ」くらいだったならもうちょっと考えて欲しいね。
エルは就活のためにサークル幹部をやってる奴のように、思いはいつもムー連邦を救うことにあり、のび太たちとはあんまり仲良くなってなさそうだ。ラストの渋さがめちゃくちゃいいな!と思ったんですが、エルのムー連邦を救うことにのび太たちはそこまで使命感を感じてないんですよね。だってさっき知り合ったばっかだし、なんなら投獄されてたからね。さらにバギーも死んだのでエルが勝利のスピーチで国民をアゲてる時ものび太一向は全く嬉しそうじゃない。バギーへの悲しみがあるだけだ。
そして極め付けはのび太達とエルの別れのシーン。海岸で潜水艇っぽい乗り物から身を乗り出すエル。砂浜でどこでもドアを背にエル達の見送りを受けるのび太達。エルは「いつか地上人と海底人が分かり合える日が来ると思う」と述べ、あろうことか自分の方が先に帰る。どこでもドアをくぐるのび太達を見送る気はない。普通に笑ってしまった。例えるなら、山手線のホームまで見送ってくれた友人が、電車が来る前に「じゃっ。行くわ。」と言って帰っていくのに近い。電車が来るまで待ってくれてもいいんじゃないの?俺と話すことはないって言うのか??このシーン、渋くて好きでした。確かにエルとのび太達はあんまり仲良くなってないもんね。ペコ達、これまでのゲストキャラとは「また会いにいく」or「2度と会えない今生の別れ」という選択をとってきたが、エルとはそんなのない。エルとのび太は多分、2度と会わないんだろう。今日知り合ったやつに「またね」って言われて「こいつとは2度と合わないんだろうな」と思う感覚だ。そしてその時、もちろん俺とそいつの目は合っていない。合ってはいてもお互いの目にお互いは写っていないのだ。
ポセイドンの存在を考えるとただただ規律的な安全保障システムの怖さを書くことにおいてはやっぱり流石に原作の方が上だったんだなと思わされる。上述のエルの「錆びついた法律」のセリフもただただ形骸化してしまったポセイドンを指す対比になってたのかもしれないとか思ったりして。
後、久々に原作ドラ読んだんですが、ドライでいいですね。映画、アニメだとドラえもん達が感情豊かでエモくなってるので(もちろん、感情自体は原作も豊か)、全く違った視点で見ることができた。思うに、ドラえもんにおける各種の怖さ(今作だと人工知能への怖さ)とかって原作がドライでサラッとしてるから読み取りやすいってことなんじゃないですかね。新ドラ映画は怖さとかが削がれてるみたいな感想をちょくちょく見るんですが、というよりは原作の冷たさ、ドライさではなかろうか。
こんだけ感想書くってことでだいぶ楽しめましたね。でもやっぱ今はAI最盛ということもあり、Fエッセンスをさらに深める形での話を見たかったのも事実。ドラえもんには期待できることがいっぱいです。いつかスピンオフ的な感じでいいので本気のドラが見たい。『秘密道具博物館』の秘密道具バトルが楽しかったのでそういうのが見たい。来年も見に行きます。素直に楽しみ。