
タイトル:ランニング・マン
監督:エドガー・ライト
形態:映画
既か未か:未
『ランニング・マン』みた。
この段落だけ公開前に追記してるが、だいぶ前に完成させて眠らせてた。だってみたの2月4日だし。インフルかかったり色々忙しかったが、なぜ完成させて公開せずにおいていたのだろう。旬もとっくにすぎてしまったし、まあでも他のブログ書きたいから今日、公開します。
映画好きを名乗るにも関わらずキング原作作品をほぼ見たことがないという狂気。一本も見たことないんじゃないかと思って調べたら『スタンド・バイミー』は流石に見たことあった。本作はめちゃくちゃ前から予告がやってていつ公開するねんと思ってたら年が明けた。そんなキング原作作品。原作はどうやら『バトルランナー』という名前でデスゲーム系元祖といった作品らしい。そして舞台は2025年らしい。(発行が1982)。
デスゲームといえば今や古今東西、ワンジャンルを確立するほどの定番要素となっている。ジャンル確立に則ってゲームの種類はどんどん増えていき、例えば映画で見たときに友人に内容を説明しづらいという弊害をもたらしてきた。『神様の言うとおり』の三国ドロケイなんかは読んでる時もいまいち意味がわからなかった。そんな複雑化に対しさすが元祖とも言うべきか、今作は鬼ごっこして捕まったら死ぬ、逃げ切れたら生きると言うはっきりとしたわかりやすさ。鬼ごっこというかはよくわからんが、逃げ続けりゃいいだけ。
そんなルールに加え今、スターへの道を駆け上がりつづけている「舐め顔イケメン」グレン・パウエルが主演。そして監督は天下のエドガー・ライト。割と娯楽映画として勝ち確、むしろ置きにいっててつまらないレベルの座組。にも関わらずネットだと若干不評気味ですね。俺としては不評前提で観に行ったのもあるけどそんなに悪くなかったよ。むしろ結構楽しんだ。トマトの評もそうだし、アルゴリズムのせいかはわからんがXのタイムラインもわりかし不評気味だった。まあ思ってたのと違う感があったんだろう。
先に行ってしまうが今作はもちろん鬼ごっこを30日間やり切って賞金をもらう作品ではない。というか、デスゲームって基本ゲームクリアよりは体制とのバトルに持ち込まれるもんだから今作も例にも漏れずなんだがそれがあんま、、っていうことなのかな?『イカゲーム』の不評とダブる。
パウエルくんの演技はすごい良かったし、ネットではエドガーさんよ、、って意見が多めなイメージ。まあ展開はもっとこうしろよみたいなのがあったとは思わんでもない。ただこれは俺の気の持ちようかもしれんが見てる時ワクワクする映画としない映画があって今作は前者でした。2026公開映画は今んとこ結構強いので相対的に評価は下がるけど暇なら見に行ってみてもいいんじゃない?くらいはあった。
ネタバレあり
貧富の差が大きく拡大した巨大管理国家アメリカ。職を失い、娘の治療費を払えないベン・リチャーズ(グレン・パウエル)はテレビ番組出演に応募する。選抜の末、出演することになったのは最高視聴率を誇る人気番組「ランニングマン」だった。「ランニングマン」は全米をフィールドとした人間狩り。30日間逃げ延びれば賞金を獲得できるが、捕まればテレビの前で殺されてしまう。逃走者は1日に一度自分の様子をテープで送らなければならない。危険なゲームであるため参加を渋るベンだったが、番組のプロデューサーダン・キリアン(ジョシュ・ブローリン)からの交渉を経て出演を決める。ベンは知り合いや出会った人々からの助けを受けチャレンジを成功させようとする。
開幕速攻「もう流石に怒ってない」みたいなことをキレ顔でいうパウエル。一度解雇された職場に再雇用を頼みに行ってるぽい。しかし却下されてキレて出ていく。このアバンでもうパウエルがAngryキャラなんだなってわかるしスマート。俺も心の怒りを燃やし続けるタイプなので感情移入しやすい。後からわかるが結構ガチ寄りの左翼っぽい。
ちなみに字幕で観に行ったんですがなっち字幕でしたね。知ってる方は知ってると思うが誤訳が多いおばあちゃん。終盤の展開がわかりずらかったのは俺の読解力不足かおばあちゃんの翻訳力不足かは定かではない。このばあちゃんは『ミッション・インポッシブル デッドレコニング PART1』(パート1しかないのに書くのがアホらしい)でもエンティティのことを「それ」って訳し続けたせいでアホほど内容がわかりにくかったという罪を犯しているし、疑われても仕方ないだろう。(なっちは誤訳に対して反省ムードではなく、むしろほならね理論でこっちを攻めてくる。辺境ブログで叩かれるくらい意に介さないだろう。)
舞台は近未来。人気テレビ番組ランニングマン。30日間追ってから逃げ続ければ賞金が大量にもらえるというものだ。病気の娘の薬を購入するためにもパウエルはテレビの賞金企画に参加することにする。この時、「「ランニングマン」には出ないよ」なパウエル。ランニングマンはチャレンジ失敗で死ぬという恐ろしいゲームだったのだ。えぐい。いくら近未来とはいえ(というか2025年)人間の倫理観もここまで落ちてはいないだろう。この辺のチグハグ感は正直あれかも。デスゲームの割に死に関する感覚が全体で統一されてないのはちょっとね。
でもオーディションで好成績を収め、そして常にブチギレているというキャラの良さからパウエルはランニング・マンのランナーに抜擢。キリアンという嫌なテレビプロデューサーにイライラしながらも色々あって参加することに決める。ちなみにこのキリアンとの対談も含めるとパウエルは映画が始まってから4,5回はキレてる。応援したくなるいいキャラだ。でももっと抑えたほうがいいよ。ちょっと無礼な態度で職員に接しられたというだけでガラスを殴り割ってて怖かったもの。
ランニングマンスタート。ちなみにオーディション前に仲良くなったジェニーとティム。彼女ら彼らとは一緒に逃げるとかもなく勝手に殺されていったのでこういうところも微妙と言われる理由なんだろう。というかランナーの数が少なすぎるため噛ませ的に殺せる人数が少なくて緊張感が少ないというのもある。だからもう鬼ごっこ始まってすぐくらいからこの映画はデスゲーム的楽しみ(誰が死ぬかどうかハラハラドキドキ)ってよりはパウエルが逃げ続けるのを見守る普通のアクションとして見ることを推奨する。
もちろんそんな期待に応えてくれるのがパウエル。ほぼパンイチでホテルを逃げ回り爆破。追手であるハンターを8人くらい殺す。パウエルは意図的に殺したわけではなく、さらに向こうは殺す気満々できてるので仕方ない事象ではある。だが、番組サイドはこれをパウエルによる意図的な殺戮のように見せかけヒール的役割を押し付ける。ずっとキレ続けてるから噛み合わせも良いキャラ。そんな中、心優しい家族に助けてもらうパウエル。ランナーの目撃情報を番組に送れば視聴者も賞金がゲットできるが、貧困層である家族はどうせ当局には踏み倒されるからとパウエルを助けるのであった。この世界はどうやら当局という存在が管理している管理国家であり、ランニングマンの制作会社とも繋がりわかりやすい悪役のようだ。ってかこれも「ネットワーク」という存在らしいのだが字幕では当局としか出てこなかった。聞き間違いだったら申し訳ないが「authority」って一回も聞こえなかったからな。映画字幕吹き替え問題は盛り上がりがちだが吹き替えがあるなら俺はそっちの方がいい。
そんなわけで黒人家族だけでなく道ゆく中で「ネットワーク」によって隠蔽されている人々と出会い、事実を捻じ曲げる番組自体に対抗していくという流れで話が進む。わかりやすいし、話がだれてるとまでは言わないがちょっとスマートじゃない展開も多々あり。まあ原作がどうなのかは知らんが第一30日間は長すぎるな。時間制限アクションって1週間でも長すぎるし。そんでもって最終日まで行かないから尚更ね。ジョジョ7部のゴール間際もそうなんですが、ゴール付近がやっぱ一番カタルシスも解放されて目頭にこれまでの回想が流れるもんだからここを省いたのは結構痛い。まあ話自体が若干違う方向に行くから仕方ないけどね。
体制側、反体制側ときて出会うのが我々と同じ中立派。まあ俺はなんていうか説明しづらいので我々とか言いづらいんだが大衆と言っておこう。うっすら体制を支持している、無意識下で支持している人間との出会いがある。彼女の名はアメリア。最初、パウエルはアメリアの車に無理やり乗り込みカージャックする。途中、追ってきた民間人を番組作のドローンが殺害。生放送中にパウエルを殺したほうが視聴率が上がるから勝手に攻撃されるのを防ぐためだ。ここで目が覚めるアメリア。パウエルを悪人、番組は善だと思っていたが、自分が見ていた番組とは違う光景が彼女の傍観者としての立場を変える。
この時のパウエルは「ランニング・マン」へようこそとかいってて別に招待する立場でもないし、したくもないだろうと思った。ってかミッションインポッシブルパロよね。裸で動き回り正義感むき出しにして行動するそのさまはだんだんトム・クルーズに見えてきた。グレン・パウエルってライアン・ゴズリングに似てるって思ってたけど、トムだったのかもしれない。
そんな感じで色々あって終わる。マイケル・セラのビックリハウスとか追手のリーダー、マッコーンの正体とか、まあ全く予想のつかない面白さではないがポップコーンムービーとしてはほぼ満点くらいの楽しさをいただいた。後最初の方にも言ったが説明がわかりにくかった。吹き替えを見たら印象が変わる可能性はある。多分見ないけど。
そのほかで言うなら番組自体がちゃんと面白そうに見えました。劇中劇なんだけど、司会の小気味よさというか、アメリカの金かかった番組ってこんな感じよねといったよさ。ラストは冗長だったが『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でも感じたけど、エドガー・ライトってハッピーエンドが大好きなのかなって感じてて、だから詰め込まれた感ありました。エンドクレジットが楽しかったので相殺で。
キングの風刺は結構痛烈なものだったんだろうが今や現実の方が全然あかんですよね。視聴者が加担者になる恐怖こそが現代を成り立たせているものでそこまでは映画では表現されてなかった印象。パーツとして置かれ気味だった。だからちょっとイマイチって感じはどうしてもあった。おそらくというかほぼ確実にトムの『M:I』とダブらせたであろう「お前ら!テレビばっか見てんじゃねえ!」と言う悲痛の叫びは届ききってない感じがする。現代社会において真に恐ろしいのは何も考えずにテレビ、SNSを見ている人々ってよりは自分が考えてるフリをさせられてる人々なんすよね。仮初とはいえ自立性を持って倫理的におかしくなっちゃってる状況こそが怖いので。そう考えるとエドガー爺ちゃんやトム爺ちゃんのSNSを見てるガキどもは何も考えてないバカだ!という捉え方は若干認識不足なとこもあるよねと思ってしまうわね。乱暴だが。
日本政治でも最近わがXでは元気な左翼のツイートが見えるんだが、若者は比較的リベラル的に寛容なのにもかかわらず若者の保守政党支持率が高いと言う状況を読み解こうとしている人が多数。まあおそらく右左から距離を取る、取りつつも誰かが傷つくのは悪だよね〜と言う政治性なんだと思う。現代は失敗に異様に不寛容に見えるのでその分チャレンジが減っている感じがするのも社会課題だろう。だから特定イデオロギーを支持して「失敗」するのが怖くてノンポリになってるわけで。
かくいう俺も失敗に異様に怖気付いてる自分がいて、本作もそうだが、映画を見る前に評価サイトのスコアとか見て神作を見に行く心構え、駄作を見に行く心構えを作って見に行ってしまう。悲しいね。そんな失敗をしたくないという気持ちもわかるが見てみたら意外と面白いみたいなことも映画には往々にしてある。し、事前にハードル下げてたから今作が面白いと感じたかはわからんが楽しめたのは事実なのでぜひおすすめです。