THE さめ 映画とか感想

映画好きです。

【感想】『カールじいさんの空飛ぶ家』/おじいちゃんの愉快な終活。人間関係の煩わしさとその尊さを思い出す。

タイトル:カールじいさんの空飛ぶ家

  監督:ピート・ドクター

     ボブ・ピーターソン

  形態:映画

既か未か:既

 

カールじいさんの空飛ぶ家』みた。

正確には結構前に見たけど所感的に書きたいと思って急遽引っ張り出してきた。というのも知ってる方はいないと思いますが私の本拠地はディズニー映画です。だからディズニー映画の感想は全部書いていきたい。と言うことで暗黙に立てていたしっかり見て感想を書く、記憶があったかいうちに感想を書くと言うルールは破ろう。ちなみにこの『カールじいさん』は全然年明けてから見てるのでルール違反にはなってないはず。今後ディズニー映画の感想書く時ってことです。と言うか感想書くときに結局調べたりすんだがな。でも今はディズニープラス解約してるので気軽に見れない。この映画を見ることができた理由はWOWOWでやってたからです。

まあさらに言うとディズニー映画においては物語をなぞる方の感想は書かない可能性が大。なぜなら新鮮な反応ができないからね。いや別にそれだけの理由なら全然見て気づくこともあるし書くべきなんだろう。現に一個前の『ティガー・ムービー』はその方法をとってるわけだし。と言うことは心の奥底でめんどくさいと思っている自分の考えが表出化してしまっただけなのかもしれない。

と言うわけでいつも見たいな作品に関する前提はあらすじの後に書こう。なぜなら物語はなぞらないからね。

 

ネタバレあり

 

「冒険はそこにある。」チャールズ・マンツ(クリストファー・プラマーは世界から注目の冒険家だったがパラダイスの滝で見つけたという幻の鳥の骨を持ち帰ったことをきっかけに業界から疑われ始める。この疑念を晴らすため鳥を生け取りにすべく旅に出たマンツ。そんなマンツに憧れを抱いていた幼きカール(ジェレミー・レアリー/エドワード・アズナー)。マンツへの憧れという共通点によってカールと出会ったエリー(エリザベス・ドクター)。二人は成長して結婚。いつか南米を旅すると言う夢を持つもエリーには先立たれてしまう。時が過ぎ自宅の立ち退きを要請されるカール。そのいざこざの結果裁判沙汰になってしまいついに明日完全に立ち退くことが決まってしまった。次の日、迎えにきた老人ホームの職員が目にしたのは風船で飛び上がる家だった。偶然居合わせてしまったボーイスカウトラッセル(ジョーダン・ナガイ)を渋々連れカールはパラダイスの滝を目指す。

 

カール爺さんはピクサーの幅を見せる作品なイメージ。もちろんそう思って作ったわけではないと思うがピクサーは「もしも、、」の世界を作るシリーズであって、実際「もしもおもちゃが動いていたら、、」だの「もしも魚が喋っていたら、、」だのが作品の根底にある。いや、本国でどうなのかは知らんが少なくとも『ファインディング・ドリー』かなんかの公開時に映画館で配布されていたフライヤー風冊子にそう書かれていた。この断片的などうでもいい記憶力の高さが俺の売りでもある。まあそんなわけで考えた時、カール以前の公開作に比べて「もしも終活間際の爺さんが家ごと風船で飛んで南米を旅したら、、」は意味がわからんすぎる。これが詰まるところの幅です。別に「もしも」以外の話もできるんやで〜という。まあ短編集の話出されたり細かいこと突っ込まれたら完全降伏なんですが若干の異質性を伴ってるのは伝わったでしょうか。

これはある意味で言い換えれば、ピクサーが人間以外を出しているのにかえって人間性が見出されるという面白みを主力としていたのに対して直接に人間から人間性を見出そうという試みであるのだ〜。

 

この映画は端的に言えばやもめ(未亡人の対義語的な言葉)となったカール爺さんの終活的な話でもあると思います。まあ子供向け映画ということもあって「終」の雰囲気はあまり漂ってこないんですが。で、カール目線で話すとこの「人との関わりを経って終活」はまだでもいいんじゃない?という話なのか?ちょっと言いたいことと違うことを言語化してしまったぞ。まあ言いたいことは誰かとの関わりの尊さを書いてることは絶対そうですよね。ちょっと頑張ってまとめます。思いつかなかった。「孤独な老人カールが人との関わりの尊さを思い起こされる話」ととりあえずまとめておこう。

 

久々に見直して感じたことはラッセルのクソガキ度ですね。個人的には幼い頃から慣れ親しんだ映画なのとカールの頑固さのおかげであんまり気になってなかったんですがラッセルはちょっとクソガキだな。具体的には勝手についてきた割にはカールの今後の予定を勝手に決めようとしたり、ケビンのことをマンツに伝えちゃったり(後述)。気の短い人とか映画の本質的内容を捉えられない人は相当イライラしてそうだ。まあ多分これは意図的にクソガキっぽく作ってるんでしょうね。本当にいいなと思うのは人との関わりを完全綺麗に書いてないところですね。カールからしたラッセルみたいに人って全然自分の思い通りに行動してくれなくてむしろ邪魔とかしてくる。でもそこに尊さがあるのです。この酸いも甘いも含めた人間関係をカールに思い出させる存在としてのラッセル。背景的な情報も含めて本当に丁寧で上手いなと思います。

 

この人間関係の対比が完全にチャールズ・マンツ。言わんでもわかるくらいあからさまですわ。もう本当に完全にカールのダークサイドですね。夢に固執し続ける、周りから否定されて旅に出る、周りに忠実な犬(見たことない人のために言うと比喩とかでなくガチの犬)ばっかりおいてる。書くのも恥ずかしいくらい、カールのありえた姿です。実際にあり得そうまで行ったが。

中盤、マンツの求めてる鳥=ケビンをカールたちが保護してることに気づかれたシーンがかなり好き。最初はお互い何も知らずに出会うわけだがマンツの話を聞いてるうちに、カールの顔が「もしかして俺らの連れてる鳥じゃね、、」っていうふうに曇っていき、ラッセルが「ケビンみたいだね」って言うシーンで焦り顔になり、誤魔化そうとしたタイミングでケビンの鳴き声が鳴り響く。この時のカールのあちゃーって顔が最高。まあ正直この展開は荒いと言えなくもない。カールは別にマンツの求めている鳥を奪ってやろうとしてたわけじゃないしね。まあこれ書いてるうちに気づいたけどちゃんとコミュニケーションが取れないってのは冒頭のカールの職員とのポストの件とのなぞりになってんのかもね。

 

そしてこの映画にはめちゃくちゃ好きなシーンが2個あるんだけどそのうちの一つがカールとラッセルの仲が完全に崩壊した後のシーン。一人、パラダイスの滝にたどり着いたカールは誰もいなくなった中、亡き妻エリートの思い出のスクラップブックを開く。これまでの思い出とともに(もうすでに泣きそう)最後のページに「楽しかったよ ありがとう また新しい冒険を始めて!」の文字。カールがパラダイスの滝にきた理由は冒険を終わらせるためだった。だけどもうすでにエリーとの冒険は終わっていた。エリーに固執していたともいえるカールがエリーを手放す決断をする瞬間。爆泣きですわ。手放すわけではないんだけどね。

 

もう一つはもちろん家を手放すシーンです。最終的に家が勝手にパラダイスの滝に辿り着いてるのも最高。本当に欲しかったものが手放した時に手に入ったという綺麗さ。何かを手放すシーンが本当に大好きなんですよね。自分が何かを手放す決断ができない人間からだろう。そして手放したものを見てるシーン。完全一致では上げられないんですが、『スーパー!』の壁見つめるシーンとか『ザ・ボーイズS2』のライアンとブッチャーが河川敷で小山座りしてるシーンとか。泣けるね。我々の人生も手放した時にこそその本来の輝きがあらわれるもんです。それを何年か後に見つめる、それこそが人生で最も素晴らしいことではないだろうか。まあだからと言ってこのことをメタ的に感じながら何もかも手放しまくりだとそれはそれで話が変わってくるが。

 

まあこのおじさんの終活、その過程で人間関係の尊さを思い出す。以外にこの物語でいうことはあんまない。もちろんそのほかの要素も素晴らしいけどこのメインテーマ以外は装飾に過ぎないし。どうでもいいところに触れよう。あんなに家の周りが土木工事されてても全く立ち退かないカールはすごいね。思い出が詰まった家とはいえ、俺は怖くて立ち退いてしまうだろう。

 

まあなんかいいこと風なことをもう一つくらい言っておくと、求めている過程こそが最も尊いということですかね。結局エリーはカールと南米に行くことはできなかった。けどエリーが幸せじゃなかったかというとそれはもちろんノーってわけで。カールもパラダイスの滝を求めているうちの本当に必要なものを手に入れたという。世の中だいたいそんなもんですよ。本当に必要なものはもう手に入っていたんだ系というかね。俺はロードムービー型映画結構好きなんですがその理由はこれです。だから過程こそが重要で結果とかは副産物にしか過ぎない。だからディアボロは倒されたわけでね。

 

後最後に強いていうなら邦題はいいと思う派です。略しづらいというだるさはあるがピクサーのオシャレ風な原題には腹立つ時もあるんでね。なんだ『Up』って。これ直訳したら『飛ぶ』だぞ。メリケンは「この前の「飛ぶ」見た?」とか言うのか?もちろん、カールの人生の飛躍とかのマルチミーニングになってるのは知ってるので一概には言いませんが。