THE さめ 映画とか感想

映画好きです。

【感想】『ウォーフェア 戦地最前線』/臨場感を感じてすごい怖かった。戦争についてすごい考えた。

タイトル:ウォーフェア 戦地最前線

  監督:アレックス・ガーランド レイ・メンドーサ

  形態:映画

既か未か:未

 

『ウォーフェア 戦地最前線』みた。

映画館行きたいモチベの高まりを感じて見たい映画ないかなーなんて思って見ました。監督のアレックス・ガーランドは『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のみ見たことあります。現実がシビル・ウォーに近づいてきた感じするよね。そんなアレックス・ガーランドがシビル・ウォー撮影中に本作の共同監督レイ・メンドーサさんと話が盛り上がって作ったのがこの『ウォーフェア』らしい。このレイ・メンドーサって人は今作が初監督?っぽく、実際に元米軍の特殊部隊に所属していたらしい。その時のことを記憶を頼りに描いたのが本作。記憶を頼りにと言っても思い出ムービーというよりはワンシチュエーションものというか、ある一場面だけを書き出してる映画で劇中経過時間は多分この映画の上映時間とほぼ同じだ。

戦争映画もあまり好きではないので、あまり期待せずに見に行ったんですが映画見てて心の動きをここまで感じたのがかなり久しぶりだったので記録には残しとくべきだと思ってブログ書きます。もしみようか迷ってる人がいれば映画館で見るのと自宅で見るのとで本当に全く違うので(後述)上映中に見といた方がいいです。

 

ネタバレあり

2006年、イラク。アメリカ特殊部隊の小隊8名はラマディにてアルカイダ幹部の監視と狙撃の任務についていた。ところがアルカイダに先制攻撃を許してしまい負傷者が出る。救助を要請するもさらに拡大する被害。現場は極限状態と化すー。

 

見て一番の感想は臨場感でございね。映画を見てる感覚はあまりなかったです。というかこの映画のストーリーなんてあってないものというか、いわゆる映画的映画ではない。攻撃を受け負傷者が出る特殊部隊、その撤退戦をただただ見せられるだけです。驚くべきことに登場人物もあんまり覚えてなくて、というか名前が覚えてない。狙撃手の人(エリオットというらしい)とファンタスティック・フォーでお馴染み、ジョセフ・クインが出てたね。あとやけに表情が映される若い子がいて、その子が監督、メンドーサ役らしい。あとは小隊の隊長か。

まあというわけで以下、ストーリーを追って書いていくんですが、ストーリーを追うという行為がある種俯瞰的に見てしまうこともあって楽しみたいならガチで映画館で見た方がいいです。

 

冒頭、ちょいえっちなエアロビかなんかをみんなで楽しそうに見る特殊部隊。その後、イラクの市民の民家を攻撃拠点にすべく制圧。家族は人質としてベットルームに見張り一人と共に押し込めた。かわいそう。その後、民家の中、カーテン越しにアルカイダ拠点らしき場所を見張る狙撃手。見張りを交代したり、共有飲水に唾吐いて嫌がらせしたり、なんか気楽な雰囲気。

見てる時すごい思ったのはなんか部活みたいだなと思いました。もちろん民家を制圧してるけど、その瞬間以外は緊張感を持ってるというよりは軽口叩き合ったり気楽にしている。これはこの後の地獄みたいな状況を演出するための落差とともに、実際にメンドーサ監督がそういうふうに感じていたということもあるんだろう。戦争ね。考えさせられます。でも実際に戦地に行ったわけでもないガキが言うのはなんだが、意外とメンドーサ監督の捉え方みたいな捉え方をしてる人も多かったのではないでしょうか。兵士として出動する人々は心の中にまあ例えば正義のためや祖国のためだの大義を持ってたとして、でもやっぱり現場を動かすのはマクロなそれよりは仲間たちとのワイワイとかのミクロ的部分だったのかもなあとか。

まあそんな感じであんまり緊張感もない感じでぬるっと攻撃が始まる。これは俺が緊張感を感じ取っていなかっただけの可能性も高い。他の人の感想見たら全然ぬるっととか書いてる人いなかった。見張りのカーテンから手榴弾が投げ込まれ狙撃手負傷!なんとか部屋を脱出。でも民家自体からはでることができなくなった小隊。救助要請をする。やっぱり俺にはあんまり緊張感が感じられなかった。と言うのも怪我した狙撃手(以下エリオット)だが、エリオットは割と余裕そうだし、ちょっと軽口叩いたりとか、見張り部屋に忘れ物したとか言って他の仲間に取りに行かせたり。ひとまず救助を待つ一行。戦車が民家前に来てくれることになった。

民家入り口で待機する戦車。玄関から戦車までが勝負。と言うわけで出る順番、段取りを決めていざ合流開始。多分ジョセフ・クイン?がフレイム・オンとか言ってて遊び心〜とか思った。かなり見てて余裕がありました。ここまでは。

 

玄関を出て戦車に合流しようとした瞬間、IED爆弾が爆発。突然の轟音。

本当に心臓が止まるかと思った。映画館でびっくりしたのが初めてだったし、本当に本当にびっくりしました。人生いちばんびっくりした。ちなみに俺も知らなかったんですがIED爆弾というのは即席爆発装置のことらしいです。

煙に包まれる。キーンって耳鳴りがずっとしてる。(俺じゃなくて映画がな。)で多分メンドーサ役の若手目線なんだけど耳鳴りが病んで意識が正常になっていくにつれて足がぶっ飛んでるエリオットと近くから聞こえてくるジョセフ・クインの悲鳴に気づく。しばらく呆然と立ち尽くしているメンドーサ。ふと気がついて生きてるかもわからないエリオットを民家に引っ張り撤退する。戦車はいってしまった。撤退は失敗。民家内、悲鳴をずっと上げ続けているジョセフ・クインの両足はギリギリ繋がっているくらいの重症。

現場は極限状態、というかほとんどもうパニックですよね。隊長はショックで声が出なくなり、指揮を取れなくなる。ここからは早く撤退させてくれや、、。と観客にドキドキさせるだけの時間が続き、最後に撤退完了して映画は終わっていく。直線的なネタバレはここまでにしましょうや。

 

本当にIED爆発後は見てる側にも過度なストレスがかかってきて普通にしんどかった。いい意味です、もちろん。しかもめちゃめちゃ時間が長く感じた。そりゃいい意味。そういう感じで臨場感が半端じゃなくパネエので感受性豊かすぎてPTSDになっちゃう人以外は見た方がいいです。というかPTSDの気持ちがわかったというか、映画見ただけのあまちゃんが何言ってんだって感じですが、本当に戦場のストレスってのがのしかかってくる映画でした。年明けからはキンクスマン・ファーストエージェントとかでも戦場を見たんですが、まあ舐めてんのかとは思ってしまう。別にキングスマンナイズドされるのが正しいので方向性の違いですけど。

臨場感についてはいくらでも書けるがその分、体験が言語化されてしまうという陳腐さが伴ってしまうし、それこそ本当に俺が感じた心の動きを伝え切ることはできないので、本作の魅力からは離れてしまいますが違う角度から戦争について語っていこう。

 

不可視化された敵

今作の大きな特徴としてまああんまり戦争映画見たことないので強く言えないんですが、完全に美談ではないんですよね。主役小隊は先制攻撃を許すし、パニック状態で命からがら撤退するだけという。もちろんエリオットたちが助かってよけったね的なのはあるんですが。多分ガーランドの意向なのかな?わかんないけど、主役側にとっての敵=アルカイダはかなり不可視化されているのは結構意識的に見ましたね。最初のエリオットによる監視、そしていちばん最後に小隊撤退後、近くの家からぞろぞろアルカイダが出てきて終わりなんですがそれ以外では画面内に全く写っていない。つまりさっき言った話で言えばマクロな視点はほぼ排除されてると感じました。ただ唯一マクロ的な視点が存在してそれはタイミングタイミングで映し出される空挺部隊によるモニターです。これがすごい怖く感じて、本当に人がデータとしてしか写らないというか、だからアルカイダも観客からは記号としてしか写ってないんですよね。アメリカ側も民家制圧したりしてて100正しいとは言えないですからね。そこに何かを感じた。

 

なんかほんとに間違ってたら絶対言っちゃダメなことなんですがガーランドとメンドーサは同じ映画を撮ったようでお互いお互いにとって全然違う映画を撮ったんじゃないかとか思えてきましたね。つまりメンドーサにとっては実体験というのはもちろん、だからこそ、敵の存在が感じられないほどにパニックだった、という純粋さからくる敵の不在性。それに対してガーランドはその不在性っていうのをすごく残酷に捉えてるという感じ。だからあえて抹消に近い形にすることによってその残酷性がかえって浮き彫りになるようにしたという。伝わりますか?言ってること。すごく思ったのが本作のエンドロール、思い出最高!な感じで終わるんですよね。おそらくメンドーサ監督?が演技指導してるシーンとか実際のモノホンエリオットが現場を訪れるシーンとか、一人一人の本人の写真と演者の写真を並べたりとか。これはまあ確かにというか本当にいい演出ではあるんですが背景BGMがずっと不気味。まあしかも脳裏にチラつくんすよね。これってイラク戦争じゃんって。

 

知らんかた用に稚拙な知識で解説するとイラク戦争は端的に言えばアメリカが「大量破壊兵器」がイラクにあるとして攻撃を開始した戦争で実際「大量破壊兵器」は見つからなかったと。結構直近のベネズエラ攻撃にも近い感じもする。じゃあ当たり前なんですがアメリカ軍はヒーローでもなんでもないわけで。だから本作は撤退できたね、よかったねだけの話じゃないと思うんですよね。『シビル・ウォー』とかとったガーランドにとっては。ここの意思疎通がどれだけメンドーサ監督と取れているのか、気になります。いや全然予想違いの可能性もあるわけですが。

 

戦争と政治をパワーゲームと捉えるあなたが嫌いです

でまあ最後にいつものように思想強いこと書いておくと「戦争が嫌い」です。まあ当たり前ですが真面目な顔で反戦というだけで引き攣った顔をされる世の中でもありますからね。というか、本作から少し離れうるのですが「政治をパワーゲームと捉える」考え方が本当に腐るほど嫌いです。この理由のいちばん大きいところは命の相対化が最も簡単になされるからですね。つまり政治家だのの決定者、それに動かされる多くの人命、これは一人一人が本当にかけがえのないものであるはずなのに、数字的処理しかなされないんですよね。まあ具体的にいうと、戦争を引き起こした政治家の名前は教科書に載るのに対し、実際に戦地で死ぬ人は何万人の死傷者だの完全に数字としてしか残らないということです。まあこの文章読んで教科書に載るかどうかが論点と捉えるバカはいないでしょう。流石に。

 

つまり戦地で死んでいく大勢の人は不可視化されるわけですね。我々は戦争について学ぶときどれほど個人に迫って学ぶことができているのでしょうか。例えばベネズエラ攻撃で何人が死んだというニュースを聞くのと隣に住んでいる〜〜さんが死んだと聞くのとではどっちの方が印象に残るんだろう。本来比較すべきものではないことですし、そのことは重々承知ですが、ケイスケホンダの炎上も然り、人間ってほんとに何かを自分ごととして考えることができないのかもな、とか思っちゃいます。この対局が政治におけるパワーゲーム的思考な。

 

まあそのように色々考えてたどり着くのはこの映画はマクロ視点を排除したという意味ではある意味誠実なつくりの戦争映画と言えるんじゃないかということです。ただただ目の前のストレスを写すという誠実性。そこには国がどうのとか戦争ダメだよ的なのとはまた違う、「ただその時その場でガチで辛かった俺の体験記」としてのメンドーサ監督の気持ちが伝わってくる感じがすごいします。そのような点も含めてこんだけ考えさせてくれたのもあり、割とガチで見てよかった映画ですね。ただ「映画として」はどう捉えていいかあんまりわからん。戦争を矮小化するつもりでは全くないがスポーツ見てる感じというかね。