
タイトル:憐れみの3章
監督:ヨルゴス・ランティモス
形態:映画
既か未か:未
『憐れみの3章』見た。
よくわかんない作品と言っときゃ許されそうな映画を撮るでお馴染みのヨルゴス・ランティモス監督作。タイトルの通りオムニバス形式に別の話が三つ入っている映画でその三つに共通点はほぼ無い。いや、もちろん抽象的なテーマの繋がりとかはある。地続きじゃない(はず)ってだけで。これら三つの中でヨルゴス常連俳優のエマ・ストーンとかウィレム・デフォーとかが一章ごとに違う役を演じる。お恥ずかしながらランティモス監督について全然詳しく無いので知ったかぶって語ることになるが、アカデミーとかとって話題になった前作『哀れなるものたち』はヨルゴスにしてはわかりやすい作品だったらしく、本領発揮は今作らしい。『ロブスター』とか『聖なる鹿殺し』時代の脚本家が戻ってきたらしいね。
知り合いみたいな書き方だが個人ブログなのでなんでもいいだろう。初めて見た作品は『哀れなるものたち』です。当時、いうても一昨年は今以上にバカだったから何が言いたいかよくわかんなかったが(ベラが男性という檻から解放されてく話っぽいのは漠然と分かった。)すごく心に残る作品だった。だから映画見終わった後、感想とか漁ったりした。ちなみに言うとヨルゴス作品はその空気感も結構な魅力なので文章に落とし込んでしまうと途端に陳腐になってしまう感じもある。このブログだって完全な蛇足に過ぎん。けど『哀れなるものたち』の時の俺はそう言う感想を述べてくれる人がいたから自分なりに掴むことができました。
『憐れみの3章』は見たかったけどなんか見なかった。なんでだろ。その後、失恋タイミングで失恋映画として『ロブスター』見てみたりした。あとはこれみ終わった後にショートムービーの『ニミック』をみたかな。
詳しくは後ほど書くけどこの映画が一番好きだったな。多分。もしかしたら今見返したら『哀れなるものたち』が一番になるのかもしれん。
ネタバレあり
<R.M.Fの死>
ロバート(ジェシー・プレモンズ)は上司レイモンド(ウィレム・デフォー)の命令に全て従う。そして全てを与えられている。しかし、R.M.Fという男を殺す命令に躊躇してしまう。そしてロバートは全てを失う。
<R.M.Fは飛ぶ>
ダニエル(ジェシー・プレモンズ)のもとに行方不明になったパートナーのリズ(エマ・ストーン)が帰ってきた。しかし、帰ってきたリズ普段と違う、偽物かもしれない。ダニエルは妻を試し始める。
<R.M.Fサンドイッチを食べる>
カルト集団の信者エミリー(エマ・ストーン)は集団のために死者を蘇生できる人物を探している。しかし、エミリーは元夫(ジョー・アルウィン)のせいで純潔で無くなってしまい集団を追い出される。
とりあえず3章まとめて感じた総論から言っとくと、全部「支配」の物語でした。主人公はそれぞれ支配から抜け出そうとしたり抜け出したりするけど結局支配されることに居心地の良さを感じてしまうという支配されること自体を依代にする憐れみを描いた3章という実感。人間は真の自由に耐えうらない、人間なんてこんなものだよといった監督のメッセージを感じる。ヨルゴスはきっと相当捻くれていると思う。総論の続きは個別の章の感想を終えてからにしよう。
R.M.Fの死
主人公はロバート。ロバートは食べ物のバランスとか読む本、性行為の回数まで上司のレイモンドに報告し、決めてもらっている。そして与えられた家に住んで与えられた記念品をわけもわからず誇りに思って持っている。奥さんとの出会いさえレイモンドからの命令によるものだ。だが、「R.M.F」という男を殺せという命令にだけ逆らってしまう。その瞬間、今までレイモンドから享受していたと言える家やら妻やらを失ってしまう。ちなみにロバートはレイモンドの言いつけで妻のコーヒーかなんかに避妊薬?っぽいのを盛っていてそれを告白して離れられる。当たり前すぎる。最初はせいせいしていたロバートだが、だんだんとレイモンドの元に戻りたくなってくる、と言うか戻らなければ生活できないことに気づく。偶然の出会いを果たしたと思ってたリタもレイモンドの言いなりっぽいことに気づいたロバートはまだ生きていたR.M.Fを車で二周くらい轢き殺して完全に息の根を止めた後、レイモンドの家へ行き「やりました!」と報告、レイモンドはロバートを愛していると述べて妻のマーガレット・クアリーも合わせて3人でぐっすりして終わり。
これが一番わかりやすく支配されること自体への依存を描いてますね。ロバートは俺みたいでもある。俺は就職活動がバカらしくて辞めたい(なぜバカらしいと感じているか記事一本書ける。)、辞めたくてたまらないけど、辞める事はできない。だって生きていくためには金を稼がなきゃいけないし、独立できるほどの力や成し遂げてきた事はないからだ。だから一時的にやめてせいせいしてたけど今は大企業様に泣きついてお助けお助けって感じ。でバカらしいと感じてた強みとか志望動機とか必死にやってる。まあ何が言いたいかっていうとレールから自分から離れたはずなのに復帰したくてたまらない、復帰させてほしいっていうロバートとの抽象的一致ね。
日本人的にも理解しやすいのはこの章なんじゃないだろうか。日本的封建制度っぽくもあるからな。この映画を見たあなたやこれを読んでるあなた、そして俺は会社の上司から人殺しを命令された時、果たして拒否できるだろうかって言う問題でもある。そりゃ拒否したいけど全てを失ってしまうしたらね。人殺しはどんな状況でも許され得ない、そこまで誇り高くありたいけどね。まあ、こう言う事はここまで考えることに価値がある。絶対殺さないでしょ、とか殺しちゃう、みたいな一意的な意見には全く価値がないので悩み続けてください。俺も悩み続けるので。
R.M.Fは飛ぶ
主人公はダニエルとリズのどっちなんだろう。まあいいや。最初はリズが行方不明になってダニエルが悲しんでるところから始まる。リズはチョコ食べられないから食べてなかったけど、今は食べれる。帰ってきたら食べられなくなる。とか言って喪失を噛み締めてるダニエル。ダニエルは警察官で仕事にも大きく支障が出てるっぽい。親友夫妻と3人で飯食ってる時に寂しいからリズがいる頃のビデオ見たいと言う。これに親友夫妻はやめといた方がいいんじゃない?と言う反応。だからなんか禍々しいものなのかなと思って見てたら親友夫妻とダニエル、リズたちのダブルハメ撮りビデオだった。爆笑した。ヨルゴス監督恒例の恋愛(性愛)を禍々しいものとして映し出すシーン。この感性は好きです。ちなみに全然関係ないけど哀れなるものたちって調べたらサジェストに「本当にやってる」って出てくる。そんなこと気にする人はあの映画見るのにあんま向いてないんじゃないかと思ったりする。まあ真剣に表現技法が気になってるだけの人もいるだろうけど。
閑話休題。しばらくして戻ってくるリズ。無人島に漂流して救出されたらしい。ちなみに救出者がR.M.F。飛ぶってのはヘリコプターで助けたからでしょう。帰ってきたリズに大喜びのダニエル。だが、チョコケーキ食いだしたり、過激なプレイをしたがるリズを見て妻がもしかしたら偽物かもと疑い出す。あの曲流してとダニエルが頼んでリズがDioの曲流して車内がシンとなるところも面白かった。
ダニエルはそんな中で混乱してか仕事中にパンピーに銃ぶっ放したりしてしまう。精神に異常をきたしたダニエルはリズに腹が減ったから指を切り落として食べさせてくれとか言って、リズは実際に指を切り落とす。それを見たダニエルはリズはやっぱり偽物だ、自分の指を食わせようとしてきたと感じる。いわゆる信頼できない語り手ってやつだ。リズは自分が偽物と疑うダニエルにそれでも本物と認めてもらおうとどんなことでもする。できたお腹の中の子供をおろしたりする。
そんなリズを見かねてリズの父(ウィレム・デフォー)は別れた方がいいんじゃないかと進言する。リズは無人島で見た夢の話をする。そこでは犬が全てを支配していて人間が犬の立ち位置になってるらしい。何言ってるかよくわかんなかった。でもダニエルから離れたくはないらしい。
最終的に肝臓を食いたいと言い出すダニエル。次の日ダニエルが起きるとリビングで肝臓を取り出した状態で事切れているリズ。その瞬間玄関を開けたら本物?のリズがダニエルに抱きつく。終わり。エンドロールはさっき行った犬が支配してる世界の映像。
これラストの解釈がちょっとよくわかんなかった。まあ最後に現れたリズは陳腐に考えるならダニエルの妄想なんだろうけど。そんなところで終わらせたくないよね。この話はリズ(の偽物?)がダニエルとの婚姻関係、愛という関係のなかの支配から逃れられない、逃れようとしないって話なんだろう。だいぶ簡易的に陳腐に捉えるとダニエルが好きだったのは自分の頭の中で考えだしてたリズだったってだけなのかな。いや、どうしても陳腐になってしまうね。悔しい。
今度は恋人のためならなんでもするかっていう話に近いのかな。でも恋愛って100:100だからな。(昨日見たサウスパークで言ってた。)どっちかが我慢するのは違うだろう。全部ぶつけ合って許容できないところがあればお互いに調整して近づこうとする行為でしょう。だから話し合いのできないカップルがぶっ壊れるわけで。ちょっとこの章の話とは違うかな。まあでも我々は人を愛してるという時、その人そのものを愛してるのか、性質なのかガワなのかっていう難しさがあるのは違いない。
R.M.Fサンドイッチを食べる
カルト教団の信者のエミリーが主人公。人を蘇らせることができる人物を探している。教祖(ウィレム・デフォー)の涙に浸った水しか取り込めないらしい。カルトの中でも筋金の入ったカルトだろう。穢れに厳しく、教祖以外とエッチしたら浄化が必要としてサウナに閉じ込められる。その後出てきて汗を教祖が舐めて浄化されているかどうかチェックする。俺は何を書いているんだろう。作中序盤でも一人の女性が浄化され、サウナの中で死んでしまう。教祖の彼女は浄化されたのセリフに合わせて拍手喝采のエミリーたち。
エミリーはどうやら教壇に入るために家族を捨ててるらしい。夫と娘にご飯一緒に食べようと言われても断ったりするし。やだなあ。でも夫の方もろくでなしなのでディナーに来たエミリーに薬を盛ってレイプする。浄化がうまくいかず、これをもって教団を追い出されたエミリー。人を蘇らせる人物を探し出して教団復帰を狙う。
その人物というのはエミリーが夢で見ていた人物。ふと出会ったマーガレット・クアリーからもしかしたら私の双子がその人物かもしれないと聞く。自分が酔って水の入っていないプールに飛び降りた際、目が覚めたら傷がなかったということがあったらしい。女性の名はルース。獣医をしていた。それを知ったエミリーは近場の公園で犬を拾いナイフで切りつけてルースの動物病院に連れていく。最低だ。でも傷が一瞬で治っているところを見てエミリーは確信。ルースを拉致し、試しに死体を蘇らせてみる。ちなみにこの死体がR.M.F。蘇生した死体を見たエミリーは勝利のダンス。終わり。
唐突に終わった。エマ・ストーンの奇妙なダンス(話題になったらしい。)がエンドクレジットいっぱいに続いてミッドクレジットシーン。喜びに加えて普段の癖で車を爆走させるエミリー。(全編通して異様に運転が荒い。)事故ってせっかく見つけたルースを失って終わる。チャンチャン。
憐れみの3章をダーク・コメディとして取るのかどうかみたいなとこはあるけどオチのコメディ感強かった。三つで一番好きなのはこれかな。あんま言いたいことは少ない。これも1、2章と抽象的には同じだからね。特に宗教ってのが実感が湧きづらい。日本は国家宗教観が薄いから。(無宗教ではないというのが持論。日本人は無意識に土着の日本スゴイ論を第一宗教としてる可能性が高い。思想が強いと言われそうだ。)
多分人間が嫌いなヨルゴス・ランティモス
まあそんな感じでしたわ。事前評価が難しかったが多いとちょっとわかったつもりで全然分かりやすかったけど?って言いたくなるのが映画好き的逆張りニズム。愚かだね。どこかのブログでヨルゴス作品はルールのわからないスポーツを見せられてる感覚に近いと述べてて言語化能力がすごいなと思った。見てるうちにルールの存在とかルール自体には気づけるけどなんでかの原理にまで辿り着けないという。今まで見た『ロブスター』とか『ニミック』もそうだ。今回の3章にもそれぞれ「上司レイモンド」「恋愛」「宗教」という上位ルーラー(造語)が存在する。このルールからの逸脱の難しさ、というかできないということをヨルゴス作品では痛感。なぜならそのルールから逸れるということはそのルールによって与えられているものからも抜け出すことに他ならないからだ。だから醜くもルールに復帰させてもらうしかないんでしょうな。具体的には資本主義とかがまんまそう。自分一人が資本主義良くないんじゃないかと思ったからと言って一人抜け出して生活は無理なのだ。そりゃ東出みたいに山奥で暮らすのはありかもしんねえけど、それでも完全に逸脱はできてないはず。結局ルールに帰結してしまう我々の愚かさよ。『哀れなるものたち』ではベラは最終的にやっちゃいけないことをやってしまう。それを見てモヤモヤするって言ってた人も多かったけど。ヨルゴス的にはベラも含めて哀れなるものたちであって結局ルールの中の存在にしかなり得ないってことを言いたいんだろう。(その中で希望を持つのはまた別。)
監督にとっては世の中のルールってこんなもんよというのを今までのフィルモグラフィーで言ってるんだろう。ヨルゴスから見た我々の社会のルールはセックスカルト教団のルールとあんま変わらないんだ。抽象的にだけど理解できる考え。見た目は全然違うかもしれないけどルールから一度逸れたものへの厳しさも、ルール自体の歪さも本質的には変わらないんだろう。その極地が2章の犬が支配する世界だと思う。
多分ヨルゴス監督は人間があんまり好きじゃないよね。人間自体ってよりこの社会を作るルールとそれを盲信的に受け入れてる人間が。プロの冷笑って感じ。俺も就活を頑張るしかない。馬鹿らしいと思っていても。私もまたPoor Thingsですわ。また別の作品だけど。
ブゴニアも楽しみです。