THE さめ 映画とか感想

映画好きです。

【感想】『魚が存在しない理由』/自分を信じるってのは盲目的とはちゃうんじゃい



タイトル:魚が存在しない理由

  著者:ルル・ミラー

  形態:本

既か未か:未

 

『魚が存在しない理由』読んだ。

よく散歩する場所の本屋にポップアップされてたから気になってた。読書が趣味の人ってかっこいいから読書趣味にしたくて読んでみた。結論から言うとめちゃ面白かった。

ネタバレあり。

 

<内容>

「カオス」ー突如としてやってきてすべたを奪い去る存在ーに抗おうとした男、デイヴィッド・ジョーダンの生き様を著者ルル・ミラーは参照する。

内容書くの難しかった。ジャンルですらもよくわからない。エッセイなのかな?AIに聞いてみると、科学ノンフィクションとかエッセイに跨ってるっぽい。

 

生物学者のデイヴィッド・ジョーダン。この本を読むまで知らなかったが、大量の魚を発見した人らしい。エピローグは自身で発見した魚の標本瓶が地震(カオス)によってバラバラにされ中のネームタグが散らばったところから始まる。このようなカオスに対してジョーダンが取った手段は泣き喚いたり落胆することではなく、地面に散らばった魚にネームプレートを直縫いすることだった。ジョーダンは地面に散らばった魚たちー名前から放たれた存在たちーを秩序の列へと戻していった。こんな形のカオスへ抗う術を求めて著者ルルはジョーダンの人生を参照する。

ジョーダンの師ルイ・アガシ。アガシの分類学は人間が最も完璧な存在であると言う考え方。全ての生物は神によって創造されており、その中でも人間は最も優れた生物。一方でホヤとか自主的に生きていない生物は下等とする考え方。下等な生物らを解剖し、分類することで人間のこうなってはならない姿を研究すると言うモチベーションらしい。

全く詳しくないので間違ってたら申し訳ないが、この神をベースとする分類学はダーウィンの生物が進化、適応によって生まれたという『種の起源』によって覆されたらしい。アガシはこの人間が最上位にいる分類学からは逃れられなかったがジョーダンは若いこともあって受け入れざるを得なくなってくる。カオスに襲われてもすぐに行動を始めるしかないと言うことだ。

前半はこんな感じでジョーダンの人生をなぞりながら、ルル自身の人生についても書いていく。ルルの父はジョーダンのような考え方の人だった。人間はちっぽけなもので存在に意味なんてない。ルルはこんな考え、自分が生きるに値しないと言う悩みから「いち抜けた」をする方法(言わんでもわかるだろうがそう言うことだ。)を子供の頃からしてしまっていた。そんな中で出会った彼、、その彼を一度の過ちで失ってしまうこととなる。ルルにとってはまさにいち抜けたをしたくなる状況。この状況でルルはジョーダンに出会った。ジョーダンは人間はカオスに打ち勝てないちっぽけな存在だと理解していたのに、それでもなお、なぜカオスに抗おうとしたのか。その裏には何か希望を持ち続けるためのものを持っていたのではないか。

 

本の感想って書くの思ったより難しいな。映画の感想は書きやすい。なぜなら映像を文章に落とし込んでいるからだ。ここにオリジナリティが出る。でも本の感想って文を文に落とすだけなんだよな。そしてうまいこと書評とかできたらいいけど、できないから内容記載しようとして丸写しになっていく形になる。だから体裁とか諦めた。実際この記事書き始めてから3日は経ってる。その間にみて感想書きたい作品だってあるからな。

 

結論から言うと、ジョーダンを支えていたものは人間ならばできると言う考え方。自身が否定していたものにジョーダンは支えられていた。そしてジョーダンは事実がどうであれそれを捻じ曲げるほどの考え方で自分の行動を担保していた。その中で最も顕著な例がジョーダンと仲の悪かったスタンフォード夫人の殺害事件だ。後世から見た証拠や当時の状況であってもジョーダンがその事件に関わっているのは明白なのにジョーダンは夫人の死を食べ過ぎによる死と言い続けることで逃げ切りに成功した。

実際に心理学的にも自分ならできると考える人は物事を成し遂げてしまう力があるのだという。この辺から風向きが変わってくる。『アプレンティス』なんて映画を見た良い子のみんななら気づくだろう。この自己評価の高さは当たり前だが有害にも働く。自己評価が高い人は攻撃性も高いらしい。例えば、「あなたは馬鹿だ」と言われた時。ほとんどの人のファーストアクションはムカつきだろう。俺だってそうだ。だけどこの次に問題があって、例えば、自己評価が正しい人ならまずは受け止めると言う選択肢が入るそう。「確かにそうなのかもしれない」であったりとか「どの点でそのように思われたのだろうか」とか。一方自己評価が高い人は「そんなわけない」として攻撃に移るそうだ。確かに俺もそんな感じの人間とよく遭遇する。個人的なケースに絞らなくても現時点の各国のトップとか見てるとあからさまだ。外国人が鹿を蹴っている光景を実際に見たか見ていないか、なんて事実は巧妙?に隠している。それどころかその批判を自身への攻撃と捉えている。嘘をついていると言う感覚すらないのだろう。と言うか強く信じているうちにあたかもそうであったかのように自己認識が切り替わるのだと思う。正常性バイアスとかの類か。

まあそんなわけでジョーダンにおいてはその自己評価の高さが最も厄介な形で表出したのが優生学的思想であった。優生学、単純に言えばがっつり差別。例えば能力的に少し劣っている人(実際にそうではなくても劣っているように見える人)を「不適者」として生殖機能であったりを取り出して遺伝子的に根絶やすと言う考えだ。

ジョーダンは優生学支持者のままに最期の時を迎える。ジョーダンは優生学は大義のために必要不可欠な考えと信じたままなくなっていった。誰も彼に間違いを間違いとして理解させることができなかった。ジョーダンには言うなればこの過ちの罰は与えられなかったのだろうか。

この続きは自分で読んでほしい。面白かったから。

『種の起源』読みたくなったね。生命の複雑さはその場その場で対応することによって生まれてきたものであり、その複雑さが今後の状況を打開する際につながる。この考えは素晴らしいと思う。今は役に立つものでもこれから一生役に立つとは言えない。今は役に立たないと感じるものであっても今後役に立つ時が来るかもしれない。絶対的に優生なものなんてないのだ。つまり生命へのランキングづけなんてものが無粋である。

ちょっと抽象的すぎるから具体例を出すけど研究とかはそれの最たる例だろう。日本政府が将来役に立つ研究にだけ金を出した方が良いとか言ってた気がするが、結局絶対的に役に立つ研究があるのかなんてわからんし、今役にたたない研究が状況を大きく打開させることだってありうる。短期的な視点では優生的な考えは成り立つのかもしれんが、それこそカオスに支配されている長期的な世界においては絶対的な正しさよりも問い続けることの方が大切なんであろう。最近アマガエルの研究から癌治療の方法が見つかったらしいけどまさにそういうことだろ。

もういうにことかけて言っちゃうがだから資本主義が嫌いなんだよな。売れる映画が正義の考え方。そりゃ短期的に言えば売れる映画が最適な答えなのかもしれんが。でも売れるための映画ばっかり。第一目的が金。否定しすぎるわけじゃないが個人的にはちょっと嫌な感じするかな。

 

完全に話がそれた。ジョーダンはそんなわけで人間はカオスに勝てないという絶対的な命題に対して絶対的な答えがあると信じすぎたせいで首を絞められていくことになったのではないだろうか。よくわからん状況では問い続ける、一歩ずつ進むことが大事なのだ。なんかわからんが食らえをしたディアボロは負けたしな。

 

全くうまく話がまとまらなかった。感想を上手にかけるようになりたいと思った年末でした。