THE さめ 映画とか感想

映画好きです。

【感想】『ワンダーマン』/積み重ねてきた結果トレヴァー・スラッタリーが良キャラになると言う奇跡。全体的に渋いがいい感じ。記事に書かなかったがBGMも良かったな。そういや。

タイトル:ワンダーマン

  監督:デスティン・ダニエル・クレットン

  形態:ドラマ

既か未か:未

 

『ワンダーマン』みた。

 

ついにきたMCU。そして絶賛低迷中のMCU。残念ながら。

知っている方も多いと思うが『エンドゲーム』で世界をとったシネマティックユニバースシリーズMCUはそれ以降緩やかに勢いを衰え、ついに当たりそうな作品以外は作れなくなってしまった。予定されてた『ブレイド』や『アーマー・ウォーズ』はたち消えになり本命作品『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』に力を入れるだけとなってしまった。

当たりそうな作品と言っても2025年の3作、『キャプテン・アメリカ4』、『サンダーボルツ』や『ファンタスティック・フォー』は別にヒットしたとは言えず空気は冷めつつある現状。ちなみに『ドゥームズデイ』に力入れてると言っても正直、俺目線、プロモーションの仕方もうまくはないし、ルッソやダウニーJrといった置きにいってる感もダサいしあんまり期待してない。

 

そんな中の本作の立ち位置はというと「マーベルスポットライト」といったもので本筋のシネマティック・ユニバースとは一線をおいたディズニー+オリジナルシリーズ。意外なことにこっちは評価も高くうまくいってる。一昨年かな?の『アガサ』とか『デアデビル』もまあ成功してた部類でしょう。ちなみに『デアデビル』はともかく『アガサ』等、マーベルからは全く期待されてないのか宣伝にも全然力が入ってない。本作『ワンダーマン』なんかはまさにそうでひっそり全話公開した後、トマトとかで高評価受けてるのを見て慌てて宣伝し出したりもしてた。

 

本作概要的にはあんまりヒーロードラマをやりたいわけではないっぽくて『ザ・スタジオ』的なハリウッド裏側ドラマをやりたい感じ。ワンダーマンというのも主人公のヒーロー名ではなくて主人公が獲得したがってる映画の役という内容。主人公サイモンは実はスーパー能力を持っているが積極的に活用するわけではなく、むしろ隠したがっている。というのも別に内容パートで書けばいいが、諸々あってパワー持ちは俳優になれないという条項がハリウッドにはあるからだ。サイモン自身は演技の才能はあるっぽいが役に関して過剰に入れ込んでしまったり、パワーを隠そうとしたりで自分を表現することが難しいっぽい。

 

マーベルとしての本作の大きな繋がりはトレヴァー・スラッタリーというキャラクターの存在。彼はもはやちゃんと見てる人しか覚えていないが『アイアンマン3』に登場したキャラクターだ。同作でテロリスト集団「テン・リングス」のボス、マンダリンの隠れ蓑として偽マンダリンを演じていた売れない俳優。その後、『シャン・チー』でガチのマンダリンに報復するために誘拐されたりして現在に至る。気の抜けたおっさんという感じでコメディ・リリーフ。

トレヴァーは「ダメージ・コントロール局」というマーベル通じて登場する超人用の警察的な組織に使われサイモンの監視役として投入される。しかし、それ以上にトレヴァーはサイモンの師であり友として関係を築いていく。

 

そんなこんなで高評価なだけあって結構楽しんで見た。見たものの逆張りの逆張りセンサーが働いてそれなりじゃねという感想。ってかアガサにも同様の感情を抱いたし、マーベルスポットライトシリーズ自体があんまり合わないのかも。まあおすすめか否かの2択ならすごくおすすめなんですがね。

 

ネタバレあり

 

売れない俳優サイモン・ウィリアムズ(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)は演技力はあるものの、自分の役柄を過剰に考察したり、監督にそれを進言したりする厄介な存在。そんな性格のせいでようやく手に入れた役も取り逃がしてしまう。さらに恋人からもありのままの自分を見せてくれないと離れられてしまう。そんな中、出会ったのがかつてテロリストのマンダリンを演じていた偽マンダリンことトレヴァー・スラッタリー(ベン・キングスレー)。彼からサイモンが俳優を目指すきっかけとなった「ワンダーマン」がリメイクされることを聞き急遽オーディションに参加する。友としてサイモンにアドバイスをくれるトレヴァー。二人はどんどん仲良くなるが実はサイモンにはスーパーパワーを持つという秘密がある。そして実はトレヴァーはその能力の監視のため、あわよくば捕まえるためにダメージコントロール局から送られた手先だった。

 

「ワンダーマン」リメイクの存在を通してサイモンが自分自身と向き合う、そしてトレヴァーとの友情を育むドラマ。一応背景情報的に述べると、前述したとり、この世界では能力者が事故を起こしたことをきっかけに「ドアマン条項」というものがあり、能力持ちは俳優になれない。だからサイモンはひた隠しに生きているがそれこそが本来の自分を出せないこととリンクしており私生活、演技共に上手くいかない。

 

サイモンは家族とも上手くいっておらず、母は自分を愛してくれるものの、結果を出せていないということも相まって実家に帰りたくない。そんな中、能力の調査も込めて実家に着いてきてくれるトレヴァー。本当の自分と折り合いをつけることができないサイモン。一方でトレヴァーも偽マンダリンという過去に縛られたり(イメージはダニエル・ラドクリフみたいな感じ。ハリー・ポッター役が有名になりすぎて誰もそれ以外で自分を見てくれない)あってお互いにお互いの良き友として友情を育んでいく。

サイモンの能力を偶然目撃してしまうトレヴァーだったが、そしてその時に記録カメラをつけていたもののカメラを破壊、ダメージコントロール局よりサイモンとの友情を選ぶのだった。

 

オーディションに奇跡的に合格したサイモンとトレヴァーはコールバックに呼ばれることになる。ハリウッドに詳しくないのであんま知らんが最終面接みたいなものか。監督の家に呼ばれて他の候補者とともに演技を行う。しかし即興演技を求められているにも関わらず、サイモンは他の映画の引用を行なってしまい、監督の機嫌を損ねる。ちなみに監督役の俳優は『スーパーマン』でボラビア共和国の大統領役をしてた人。申し訳ないがその影響で悪人に見える。

監督や他の候補者の「自分を出せ」というアドバイスにサイモンは能力を完全に解放する悪夢を見る。しかし、トレヴァーの「自分というものは隠された本性などではなく今まで積み重ねてきた経験だ」的な温かい言葉を胸に再チャレンジ、見事ワンダーマン役を手に入れる。そしてワンダーマンの相棒役、バーナビー役をトレヴァーも獲得。理想的な展開だ。

 

しかし、撮影が進むにつれトレヴァーはダメコンとの間で板挟みとなり、また、凄腕記者の追及もあり、ついにサイモンに監視していたことがバレてしまう。トレヴァーも友情を取ろうとしていたとはいえ言い訳はできない。その夜、サイモンはついに感情を爆発させてしまい、能力によって撮影セットを文字通り爆発させてしまう。一応言っておくと説明はされなかった?がサイモンの能力はイオンを操るものっぽく、(ショッピングモールではなく化学用語ね)これまでも机を破壊したり、壁をぐちゃぐちゃにしたりしていた。

サイモンはもうあかんわってなって実家に帰る。能力がバレたら「条項」のせいで俳優としてやっていけなくなるし。しかし、トレヴァーから連絡が来てテレビを見るとトレヴァーは全ての罪を背負っていた。具体的にはマンダリンをもう一度演じ、撮影セットの爆破を自身の仕業と見せかけたのだ。トレヴァーの連絡は「君は素晴らしいものを手に入れた。そしてそれを邪魔する権利は俺はもちろん、誰にもない」的な感じだった気がする。そしてトレヴァーは逮捕されバーナビー役には代役が置かれる。見事ヒットしたワンダーマン。サイモンはこれにテスター街道を歩み始める。

 

そんな中、元カノと再会。喋っているうちに元カノは実はサイモンがスーパーパワーを持っていることを知っていたという。ただサイモンに自分から伝えて欲しかったのだ。元カノの思いに気づいたサイモン。それは自身がトレヴァーに思っていたことと同じだったかもしれない。

とある家に撮影の取材に行くサイモン。現地の情報を知って役作りするために職場にこっそりつれて行って欲しいという。着いて行った先はなんとダメージコントロール局。サイモンは暴走ではなく自身の力で能力を使いこなしダメコンの牢屋からトレヴァーを連れて脱出する。

 

勢いで全部書いたがラストの静かな展開はほんとよかったです。サイモンはうだうだ言わずに元カノとの交流を通じて黙りこくって即行動してトレヴァーを助けに行く。能力バトルとかはなかったけど、そこが主眼じゃないし、まあいい作品でした。

 

今作はそれだけで終わればまあ普通の記憶にも残らん素敵なドラマ程度なんですが、なんと言ってもトレヴァー・スラッタリーのワンダーはいいポイントですね。というのもトレヴァーなんて『アイアンマン3』で出た時はちょっとしたキャラでしかなくて、『シャンチー』の再登場をもってしても別にテンションが上がるわけでもないほどだったのに今作でキャラとして一段階上に行きましたね。

ここにあるのはやっぱりシリーズを続けて行った結果としてのワンダーがあると思います。シリーズってどんな形であれ続けていけば「時間」という名の積み重ねが絶対にできるわけですよ。どんなにクソなシリーズでも。その積み重ねが生むワンダーをダイレクトにぶつけられた感覚。例えば、これ系で一番思い浮かぶ映画がシャークネードなんですが、知らん人ように説明するとシャークネードってヘンテコパニック映画から徐々に主人公フィンとその家族の物語にシフトチェンジしてるんすよね。まあヘンテコパニック路線はそのままだけど。だから最終作、『シャークネード/ラストチェーンソー』でのフィンの選択、世界をとるか家族を取るかっていう2択に謎の感慨深さが着いてくるんですよね。1見てる時は全然フィンに思いを馳せてなかったのに。

ジャパニーズ漫画で例えるなら刃牙で言う、「本部が武蔵を倒した瞬間」とか、ドラゴンボールで言う「サタンが元気玉手伝った瞬間」とか見たいな、積み重ねた結果どうでもよかったようなことに特別性が生まれるって言うのが最高です。トレヴァーなんかまさにその典型で、ここまで良キャラになるとはね、、。

 

まあここまでトレヴァーについて書くってことは申し訳ないことにサイモンに関しては対してなんも思わなかった。葛藤とかもわかるしいいキャラではあるんだけどね。まあやっぱペアとしてみたいね。サイモンとトレヴァーの。サイモンは若すぎるわ。「ワンダーマン」のオーディションにも半ばズルみたいな形で参加してるし。別に嫌いではないんよ。でもサイモンだけじゃ流石にもっと埋もれるドラマになってただろう。

 

そしてMCUとしても書くことがほぼない。もちろんダメージコントロール局と言う繋がりはあるんだけど、毎回出てくるあの職員以外にどうも思い入れが湧かない。あの職員は事故を防ぐために嫌な役回りを背負ってる感じで、『シビル・ウォー』のロスを思い起こさせる程度にはあるんだけど。そして今のMCUの余裕的にサイモンとトレヴァーはほとんどの確率で今後出てこないので本当になんも言えねえ。もうこっちとしてはせっかくドラマ見て好きになってもキャラが出てこなけりゃ意味ないんでね。俺の大好きな「ムーンナイト」も2度て出てこねえだろうし、同じ枠なら「エコー」とか「シーハルク」も2度と出てこねえだろ。割と楽しんだから残念ですが。

 

ボリウッドとはいえ、せっかく俳優ものなら『エターナルズ』のキンゴとか出したらよかったんじゃないすかね。トレヴァーが面白く絡んできてくれた分、他の全くMCU味のないドラマよりはよかったけど。『ウェアウルフ』とかな。

 

まあそんな感じで割と楽しんだけどそれなりにドラマ本体じゃない部分に文句が出てくる感じだ。何が腹立つって『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』は過去の遺産に頼りっきりで俺が、俺たちが育てようとしてきた新顔は全然でなさそうなことですね。サイモンはもちろん、ムーンナイトだって、カマラちゃんも、ヤングアベンジャーズも、チャベスだってみんな出てこないだろ。現状予告で出てる新顔はF4とネイモアくらいしかおらず、あのしょうもない椅子のプロモーションでも確定したのはサンダーボルツメンバーくらいなもんだ。これ以上書いたら脱線しまくりなので新しくページを作って書く。今後のMCUについて。

 

ワンダーマンは良作なので暇な時にでもみんな見るといいよ。損はしないから。

【感想】『カーズ/クロスロード』/新たなキャリアの道。終活にしては若すぎるライトニング。

タイトル:カーズ/クロスロード

  監督:ブライアン・フィー

  形態:映画

既か未か:既

 

 

『カーズ/クロスロード』見た。

 

 

久々に見返した。ピクサー品、カーズシリーズ第3作にて今んところカーズ映画シリーズラストの作品。監督は前作、前々作のジョン・ラセターからチェンジ。知ってる人は知ってると思うが、ジョン・ラセターはそのピクサー興隆、ディズニー再生という天才的な手腕に対してスケベ親父すぎるという欠点があった。そしてピクサー社内では女性社員がハグされないようにする動きをスケベ常習のラセターになぞらえて「ザ・ラセター」と揶揄してたりしたらしい。(諸説あり)。想像してほしい。君が所属している部活やクラス、会社でセクハラ行為に自分の名前がつくダサさを。俺はこういう話が大好きだ。ラセターをバカにしたいみんなは調べてみると面白い話がいっぱい出てきて楽しい。なお、ラセター自身の手腕がすごかったことは否定できんがね。

何が言いたいかというとピクサーについては結構無限に語れるってことね。今までも記事に書いて通り、私はディズニー畑出身なので筆が乗ることこの上ない。今映画に関してもラセターが宮崎駿に「ライトニングは引退したよ、、(超意訳)」的なメッセージを送ってたり楽しい裏話がいっぱいあるんだが、そんなこと話してたら時間なくなっちまうよね。なのでカーズシリーズに絞って話します。

 

『カーズ』はピクサー初期作に対してある種変異的な側面があると思ってて、それは人間の影がないってことですね。これまでの作品、そしてこれからも考えて人間が存在しないピクサー映画はカーズだけじゃないでしょうか。そんなカーズ1はグッズ化のしやすさとかもあってめちゃくちゃヒットしたイメージがある。まあ調べたらそんなこともないっぽいわ。まあただ我々世代のちびっ子で知らぬ人はいないんじゃないでしょうか。ドンピシャ世代だし。

映画としてはブイブイ言わせてた新人、ワンマンタイプが人との触れ合いを通じて勝利より大切なものを知るというまああるあるとはいえシンプルに良作。というか先に言っちゃうが3作で最も優れた作品と言える。

 

『カーズ2』は触れたくない。別につまんなくはないんだけど、子供向けに見せかけて巧妙にメッセージを入れ込むピクサー作にしては圧倒的にメッセージのない作品。ただみんなの大好きなメーターが暴れ回るのをみるだけの映画という残念さがある。まあメーターが好きな人にはいいけど、カーズをレーサーの成長物語として見てる我々(大半がそうだろ)からは苦虫を噛み潰した表情しかできん。なんか全国回ったりするから日本とかも出てくるが「いや、別に、、」って感じ。カーズを見ていく中で2を飛ばしたところで何の問題もない。(まあキャラメイクとかはいいので3であまりにも無視されてるのは可哀想だが。)

 

そんなわけで今作『カーズ/クロスロード』。ブイブイ新人が1ってことで誰もが想像する通りその引退について書かれるのが最終作。いわゆる終活映画ですね。好きよ。時代のうねりに飲まれるマックイーンはどのような答えを出すのか。亡き師ドック・ハドソンの道を辿るのかという整いすぎた舞台。

結構好きなんですがそれ以上にディズニー好きなので文句多めの感想になっちゃうと思いますが結論言うと結構好きです。好きだから文句言っちゃう系の感想と捉えてほしい。

 

ネタバレあり

 

大人気、ベテランレーサーとして順風満帆のライトニング・マックィーン(オーウェン・ウィルソン)。しかし、あるレースにて最新テクノロジーを駆使した新人のジャクソン・ストーム(アーミー・ハマー)に逆転優勝を許してしまう。マックィーンはストームをライバル視しながらレースを続けるもキャル・ウェザーズ(カイル・ペティ)をはじめとする旧世代レーサーは引退や解雇などどんどん周りからいなくなってしまう。世代交代の波の中、マックィーンはストームへの焦りから無理をしてしまいクラッシュしてしまう。事故から4ヶ月後、療養を終えたマックィーンは自身の今後について思いを馳せる。その時頭に浮かぶのは亡き師ドック・ハドソンの姿だった。マックィーンは仲間の後押しもあり復帰に向けて動き始める。

 

そんなわけで冒頭から10分くらいでブイブイ言わせるライトニングが世代交代に焦り始めるまでチャチャっとやっちゃう。新キャラ、キャルはダイナコ石油をスポンサーに持つライトニングの同僚ポジ。どうやらキング(1に出てきたベテラン)の甥っ子ぽい。

焦ってクラッシュしちゃうとこはほんと成長してねえなって感じなんだけど、世代交代の波が近づいてきてる感覚はよくわかる。まあいきなり文句なんだけど、あんまライトニングが時代遅れって感じはしないよね。この焦りも含めてまだ結構若いなって感じ。この感覚は『007/スカイフォール』に感じたことと一緒で、前作まで新人だったボンドがいきなり老兵扱いされてたレベルの違和感がある。性格的な面が特にね。もっとどっしり構えててほしいのよ。

 

まあそんなもんだから当然引退もする気はなく、復帰に向けてトレーニングを始める。若手ストームに勝つためには最新技術が必要だが、そんなお金はスポンサーのラスティーズにはない。すると何とびっくり、ラスティーズ兄弟は会社を売り払ってライトニングが最新トレーニングできるようにしていた。本作で一番感動したのはこのシーン。積み重ねてきた縁が自分を救ってくれるってシーンに弱い。兄弟は一切泣き言言わないし、でも兄弟とライトニングが静かにシンボルとか見つめるシーンは泣ける。いい話やで、ほんま、、。

そして新たなスポンサーがライトニングのファン、スターリング。まあイーロン・マスクみたいなもんだろ。今作ではストームに加えスターリングがライトニングに対する現実という敵となる。まあ別に悪人ではないんだけどね。トレーニングがうまくいっていないのを見てスターリングはライトニングに引退を薦め、レーサーではなくセレブとしての生き方を与えようとする。まあスポンサーだからね。もしこれ以上負けたらライトニング自体のブランド価値が下がってしまうということもある。しかし、泣きの一回。フロリダのレースで優勝したらライトニングが好きなタイミングで引退という約束を取り付ける。

 

復帰に向けたライトニングのトレーナーがクルーズ・ラミレス。中盤の衝突でわかるように彼女自身、実はレーサーになりたかったという過去を持つ。

彼女と、ついてきてくれてるルイジとグイドとライトニングが楽しくトレーニングをするのが基本のあらまし。その中でかつてのドッグの師や友に会ってライトニングが自身の考えを変えていくという話。ロードだけに中途半端にロードムービーっぽくもある。ややこしい。

 

 

まあ全体的に悪い意味で何したいかわかるとこはあるんすよね。例えば、サンダーホロウっていう何でもありのレース会場でライトニングとクルーズがワイワイやるとこ。ここは素直に楽しいんですが作劇上の意味があんまりないというか。というのもクルーズがトレーナーとして役立たずすぎるところが怪しい。もちろんラストの展開を考えれば必要なキャラだし、彼女自身に魅力がないわけではないんですがじゃあトレーニングについてきた意味が皆無に近いんですよね。なぜならサンダーホロウ的な「特訓」、だから要は亀仙人の石探しみたいに一見効率的ではないけど大切なものを学べる特訓は本来教える側が用意すべきものなので。最初からクルーズをライトニングに「教えられる側」として書いてたらこんな微妙な違和感はなかったんですが。

この立ち位置のややこしさがかなり尾を引いてる。クルーズとライトニングの関係は本来、「ライトニングが教える」じゃないとややこしくて、まあ100歩譲って「お互いに教え、教えられる関係」じゃないとキツいんすよね。だってクルーズがライトニングの邪魔してるだけに見えちゃうし。というか最初からライトニングを教える側と書いた方が絶対収まりがいい。だって教えてる中でドックの感情に気づくっていうのが綺麗だからね。

 

ライトニングがラストギリギリまで引退するのかどうか決断できてない気がしちゃうのが終活映画としてはダメなところですね。本来、ドックの影を追う中で「自分はもうレーサーとしては終わりだけど、でもそれより素晴らしいものが見つかった」というストーリーにすべきところを「やっぱレーサーとしてやってくぞ」が上回ってるんすよね。この歪さは中盤、森の中を走っててライトニングの塗装が剥がれてくシーンのカタルシスがすごいところがマックスに表してる。しがらみや包んでいたものから解放されるというシーンなんだけど、その結果行き着くのが果たして復帰なのか?というところっすよ。引退じゃね?まあここは好きなシーンだけどね。わかりづらいだけで全然引退を決意したシーンにも見えるっちゃ見える。

まあ最終的な決断に関してもライトニングが引退を決意しないせいで「クルーズに代走させてラストだけ勝たせて優勝かっさらっていった」的な卑怯さにも見えんでもなくなってしまってる。もっと苦渋の決断として欲しかったし。そんな「勝った、ラッキー」みたいな表情せんといてくださいよ。

 

そんなこんなで物語の決着点がストームとスターリングにギャフンと言わせることになってしまっていたのが残念。ライトニングが時代遅れの自分を受け入れて、それでもその中で素晴らしさを見つけるってのが終活映画でしょ。(ピクサーだからキツいが死ぬのもあり)。まあ良い子の皆が悲しくなっちゃうからよしたんでしょうかね。知らんが。

いや、でもピクサー作品で何かを手放して何かを得るってのは全然してるし(『トイストーリー3,4』とか『カールじいさん』とか)純粋に甘めになってるのは気になりますね。

 

めちゃくちゃ文句ばっかだけど結構好きです。好きだからもっとこうして欲しかったが出てくるわけで。旧作キャラがいっぱい出てきたのも嬉しい。チックとか好きなんすよね。ラジエーター・スプリングスをあんま見れんかったのは悲しいがそれはスピンオフでいいでしょう。

 

まあやっぱ終活するにはライトニングの格がちょっと足りんかったところはあるかもね。まだ若く見えるんよ。そして結局引退しなかったのも。時代遅れの老兵は今まで通りの活躍以外の道を見つけてほしいのよ。トム・クルーズでさえ「いつまでやんねん、、。」の感情で見ちゃうし。今後はサポーターになるんだろうが引退を明言して欲しかったね。「アンタはもうーーー闘士(レーサー)として終わったんだよッッ」

 

もうカーズシリーズでやれることは多分ないので更なるスピンオフ待ちかな。映画は出んでしょ。でも後継を育てるってポイントを深めてくれるなら4あった時も見るよ。

 

【感想】『ランニング・マン』/いけいけパウエル。トムのように。そしてお前ら、SNSなんか見るな!

タイトル:ランニング・マン

  監督:エドガー・ライト

  形態:映画

既か未か:未

 

 

『ランニング・マン』みた。

 

この段落だけ公開前に追記してるが、だいぶ前に完成させて眠らせてた。だってみたの2月4日だし。インフルかかったり色々忙しかったが、なぜ完成させて公開せずにおいていたのだろう。旬もとっくにすぎてしまったし、まあでも他のブログ書きたいから今日、公開します。

 

映画好きを名乗るにも関わらずキング原作作品をほぼ見たことがないという狂気。一本も見たことないんじゃないかと思って調べたら『スタンド・バイミー』は流石に見たことあった。本作はめちゃくちゃ前から予告がやってていつ公開するねんと思ってたら年が明けた。そんなキング原作作品。原作はどうやら『バトルランナー』という名前でデスゲーム系元祖といった作品らしい。そして舞台は2025年らしい。(発行が1982)。

デスゲームといえば今や古今東西、ワンジャンルを確立するほどの定番要素となっている。ジャンル確立に則ってゲームの種類はどんどん増えていき、例えば映画で見たときに友人に内容を説明しづらいという弊害をもたらしてきた。『神様の言うとおり』の三国ドロケイなんかは読んでる時もいまいち意味がわからなかった。そんな複雑化に対しさすが元祖とも言うべきか、今作は鬼ごっこして捕まったら死ぬ、逃げ切れたら生きると言うはっきりとしたわかりやすさ。鬼ごっこというかはよくわからんが、逃げ続けりゃいいだけ。

そんなルールに加え今、スターへの道を駆け上がりつづけている「舐め顔イケメン」グレン・パウエルが主演。そして監督は天下のエドガー・ライト。割と娯楽映画として勝ち確、むしろ置きにいっててつまらないレベルの座組。にも関わらずネットだと若干不評気味ですね。俺としては不評前提で観に行ったのもあるけどそんなに悪くなかったよ。むしろ結構楽しんだ。トマトの評もそうだし、アルゴリズムのせいかはわからんがXのタイムラインもわりかし不評気味だった。まあ思ってたのと違う感があったんだろう。

先に行ってしまうが今作はもちろん鬼ごっこを30日間やり切って賞金をもらう作品ではない。というか、デスゲームって基本ゲームクリアよりは体制とのバトルに持ち込まれるもんだから今作も例にも漏れずなんだがそれがあんま、、っていうことなのかな?『イカゲーム』の不評とダブる。

パウエルくんの演技はすごい良かったし、ネットではエドガーさんよ、、って意見が多めなイメージ。まあ展開はもっとこうしろよみたいなのがあったとは思わんでもない。ただこれは俺の気の持ちようかもしれんが見てる時ワクワクする映画としない映画があって今作は前者でした。2026公開映画は今んとこ結構強いので相対的に評価は下がるけど暇なら見に行ってみてもいいんじゃない?くらいはあった。

 

 

ネタバレあり

 

貧富の差が大きく拡大した巨大管理国家アメリカ。職を失い、娘の治療費を払えないベン・リチャーズ(グレン・パウエル)はテレビ番組出演に応募する。選抜の末、出演することになったのは最高視聴率を誇る人気番組「ランニングマン」だった。「ランニングマン」は全米をフィールドとした人間狩り。30日間逃げ延びれば賞金を獲得できるが、捕まればテレビの前で殺されてしまう。逃走者は1日に一度自分の様子をテープで送らなければならない。危険なゲームであるため参加を渋るベンだったが、番組のプロデューサーダン・キリアン(ジョシュ・ブローリン)からの交渉を経て出演を決める。ベンは知り合いや出会った人々からの助けを受けチャレンジを成功させようとする。

開幕速攻「もう流石に怒ってない」みたいなことをキレ顔でいうパウエル。一度解雇された職場に再雇用を頼みに行ってるぽい。しかし却下されてキレて出ていく。このアバンでもうパウエルがAngryキャラなんだなってわかるしスマート。俺も心の怒りを燃やし続けるタイプなので感情移入しやすい。後からわかるが結構ガチ寄りの左翼っぽい。

ちなみに字幕で観に行ったんですがなっち字幕でしたね。知ってる方は知ってると思うが誤訳が多いおばあちゃん。終盤の展開がわかりずらかったのは俺の読解力不足かおばあちゃんの翻訳力不足かは定かではない。このばあちゃんは『ミッション・インポッシブル デッドレコニング PART1』(パート1しかないのに書くのがアホらしい)でもエンティティのことを「それ」って訳し続けたせいでアホほど内容がわかりにくかったという罪を犯しているし、疑われても仕方ないだろう。(なっちは誤訳に対して反省ムードではなく、むしろほならね理論でこっちを攻めてくる。辺境ブログで叩かれるくらい意に介さないだろう。)

 

舞台は近未来。人気テレビ番組ランニングマン。30日間追ってから逃げ続ければ賞金が大量にもらえるというものだ。病気の娘の薬を購入するためにもパウエルはテレビの賞金企画に参加することにする。この時、「「ランニングマン」には出ないよ」なパウエル。ランニングマンはチャレンジ失敗で死ぬという恐ろしいゲームだったのだ。えぐい。いくら近未来とはいえ(というか2025年)人間の倫理観もここまで落ちてはいないだろう。この辺のチグハグ感は正直あれかも。デスゲームの割に死に関する感覚が全体で統一されてないのはちょっとね。

 

でもオーディションで好成績を収め、そして常にブチギレているというキャラの良さからパウエルはランニング・マンのランナーに抜擢。キリアンという嫌なテレビプロデューサーにイライラしながらも色々あって参加することに決める。ちなみにこのキリアンとの対談も含めるとパウエルは映画が始まってから4,5回はキレてる。応援したくなるいいキャラだ。でももっと抑えたほうがいいよ。ちょっと無礼な態度で職員に接しられたというだけでガラスを殴り割ってて怖かったもの。

ランニングマンスタート。ちなみにオーディション前に仲良くなったジェニーとティム。彼女ら彼らとは一緒に逃げるとかもなく勝手に殺されていったのでこういうところも微妙と言われる理由なんだろう。というかランナーの数が少なすぎるため噛ませ的に殺せる人数が少なくて緊張感が少ないというのもある。だからもう鬼ごっこ始まってすぐくらいからこの映画はデスゲーム的楽しみ(誰が死ぬかどうかハラハラドキドキ)ってよりはパウエルが逃げ続けるのを見守る普通のアクションとして見ることを推奨する。

もちろんそんな期待に応えてくれるのがパウエル。ほぼパンイチでホテルを逃げ回り爆破。追手であるハンターを8人くらい殺す。パウエルは意図的に殺したわけではなく、さらに向こうは殺す気満々できてるので仕方ない事象ではある。だが、番組サイドはこれをパウエルによる意図的な殺戮のように見せかけヒール的役割を押し付ける。ずっとキレ続けてるから噛み合わせも良いキャラ。そんな中、心優しい家族に助けてもらうパウエル。ランナーの目撃情報を番組に送れば視聴者も賞金がゲットできるが、貧困層である家族はどうせ当局には踏み倒されるからとパウエルを助けるのであった。この世界はどうやら当局という存在が管理している管理国家であり、ランニングマンの制作会社とも繋がりわかりやすい悪役のようだ。ってかこれも「ネットワーク」という存在らしいのだが字幕では当局としか出てこなかった。聞き間違いだったら申し訳ないが「authority」って一回も聞こえなかったからな。映画字幕吹き替え問題は盛り上がりがちだが吹き替えがあるなら俺はそっちの方がいい。

 

 

そんなわけで黒人家族だけでなく道ゆく中で「ネットワーク」によって隠蔽されている人々と出会い、事実を捻じ曲げる番組自体に対抗していくという流れで話が進む。わかりやすいし、話がだれてるとまでは言わないがちょっとスマートじゃない展開も多々あり。まあ原作がどうなのかは知らんが第一30日間は長すぎるな。時間制限アクションって1週間でも長すぎるし。そんでもって最終日まで行かないから尚更ね。ジョジョ7部のゴール間際もそうなんですが、ゴール付近がやっぱ一番カタルシスも解放されて目頭にこれまでの回想が流れるもんだからここを省いたのは結構痛い。まあ話自体が若干違う方向に行くから仕方ないけどね。

 

体制側、反体制側ときて出会うのが我々と同じ中立派。まあ俺はなんていうか説明しづらいので我々とか言いづらいんだが大衆と言っておこう。うっすら体制を支持している、無意識下で支持している人間との出会いがある。彼女の名はアメリア。最初、パウエルはアメリアの車に無理やり乗り込みカージャックする。途中、追ってきた民間人を番組作のドローンが殺害。生放送中にパウエルを殺したほうが視聴率が上がるから勝手に攻撃されるのを防ぐためだ。ここで目が覚めるアメリア。パウエルを悪人、番組は善だと思っていたが、自分が見ていた番組とは違う光景が彼女の傍観者としての立場を変える。

 

この時のパウエルは「ランニング・マン」へようこそとかいってて別に招待する立場でもないし、したくもないだろうと思った。ってかミッションインポッシブルパロよね。裸で動き回り正義感むき出しにして行動するそのさまはだんだんトム・クルーズに見えてきた。グレン・パウエルってライアン・ゴズリングに似てるって思ってたけど、トムだったのかもしれない。

 

そんな感じで色々あって終わる。マイケル・セラのビックリハウスとか追手のリーダー、マッコーンの正体とか、まあ全く予想のつかない面白さではないがポップコーンムービーとしてはほぼ満点くらいの楽しさをいただいた。後最初の方にも言ったが説明がわかりにくかった。吹き替えを見たら印象が変わる可能性はある。多分見ないけど。

そのほかで言うなら番組自体がちゃんと面白そうに見えました。劇中劇なんだけど、司会の小気味よさというか、アメリカの金かかった番組ってこんな感じよねといったよさ。ラストは冗長だったが『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でも感じたけど、エドガー・ライトってハッピーエンドが大好きなのかなって感じてて、だから詰め込まれた感ありました。エンドクレジットが楽しかったので相殺で。

 

キングの風刺は結構痛烈なものだったんだろうが今や現実の方が全然あかんですよね。視聴者が加担者になる恐怖こそが現代を成り立たせているものでそこまでは映画では表現されてなかった印象。パーツとして置かれ気味だった。だからちょっとイマイチって感じはどうしてもあった。おそらくというかほぼ確実にトムの『M:I』とダブらせたであろう「お前ら!テレビばっか見てんじゃねえ!」と言う悲痛の叫びは届ききってない感じがする。現代社会において真に恐ろしいのは何も考えずにテレビ、SNSを見ている人々ってよりは自分が考えてるフリをさせられてる人々なんすよね。仮初とはいえ自立性を持って倫理的におかしくなっちゃってる状況こそが怖いので。そう考えるとエドガー爺ちゃんやトム爺ちゃんのSNSを見てるガキどもは何も考えてないバカだ!という捉え方は若干認識不足なとこもあるよねと思ってしまうわね。乱暴だが。

日本政治でも最近わがXでは元気な左翼のツイートが見えるんだが、若者は比較的リベラル的に寛容なのにもかかわらず若者の保守政党支持率が高いと言う状況を読み解こうとしている人が多数。まあおそらく右左から距離を取る、取りつつも誰かが傷つくのは悪だよね〜と言う政治性なんだと思う。現代は失敗に異様に不寛容に見えるのでその分チャレンジが減っている感じがするのも社会課題だろう。だから特定イデオロギーを支持して「失敗」するのが怖くてノンポリになってるわけで。

かくいう俺も失敗に異様に怖気付いてる自分がいて、本作もそうだが、映画を見る前に評価サイトのスコアとか見て神作を見に行く心構え、駄作を見に行く心構えを作って見に行ってしまう。悲しいね。そんな失敗をしたくないという気持ちもわかるが見てみたら意外と面白いみたいなことも映画には往々にしてある。し、事前にハードル下げてたから今作が面白いと感じたかはわからんが楽しめたのは事実なのでぜひおすすめです。

 

【感想】『サウスパーク』/元祖風刺アニメ

タイトル:サウスパーク

  監督:トレイ・パーカー

     マット・ストーン

  形態:テレビアニメ

既か未か:未

 

 

『サウスパーク』を最近観てます。

 

WOWOWオンデマンドは偉大。このブログで『野原ひろし 昼メシの流儀』のことを書いたのもそうだが、ながら見できるアニメに飢えてます。と言うわけで辿り着いた『サウスパーク』。知らない方向けに本当に念の為に説明すると、アメリカの大人系風刺コメディです。シンプソンズとかみたいなもん。日本でこれにあたるアニメはパッと思いつかないですね。カウンターカルチャー的なアニメがあったらそれだと言えなくもない。

別に全然順番通りにも観てないですし、観終わってすらない、気になるエピソードを摘んでるだけですがせっかくなので好きだった回について書いてみます。先に好きなキャラを描いておくと一番好きなのはウェンディ。これは後々書きます。他に好きなキャラはアイク、バターズ、ケニーとかかな。感想書いてるエピソード見たらわかる通り、彼ら彼女らの出演回ばっかりです。

ではまとめていきます。なお、記載はWOWOW版のサブタイトルと順番です。

 

 

ネタバレあり

 

 

 

S8EP12『ヤリマンブーム到来』

パリス・ヒルトンがサウスパークにお店を開く。町の女の子がみんな堕落していく中、ウェンディだけはモラルを訴える。(WOWOWオンデマンドより引用)

早速最低のサブタイトルが来てしまった。でも爆笑しましたね。パリス・ヒルトン、個人的にはあんまり詳しくないんですが日本で言うと誰なんだろう。若者の支持を集めていると言う点ではしなことかになるのか?詳しくないからよくわかんない。

内容はあらすじのまんまで、街に来たパリスの影響で町の女の子がビッチになっていくというものです。それにウェンディだけは乗っていけない。この軸と並列してバターズがパリスのペットにされるという軸が進んでいきます。

散々パリス、および若い女の子を馬鹿にしまくってるが、まあ社会的なこととか考えたら笑えなくなってきそうだったりする。そうなりそうなタイミング(そもそも30分アニメなのでそこまで考える前に終わってしまうが)でヤリマン対決でファンタジーの世界に持っていくのはちょっと卑怯だけどうまいやり方だと思う。

というかこの話は主題もいいけどサブ的なギャグも結構楽しくて、パーティーに呼ばれたがるカートマンとかバターズの両親が金のために何としてもバターズを売り飛ばそうとするシーンとかが一番楽しみました。パリスが2億ドル用意するまえにバターズが炭鉱で働いて用意できたら売るのはナシとかいう不条理すぎるところも笑った。

男性のいわゆるヤリチンは男の中では愚かなものの「勲章」になってしまうのに対して、女性はその逆なのは本当に色々考えさせられるんですがここでは一旦やめておこう。『プロミシング・ヤング・ウーマン』とか見返した時にでも書こうかな。

 

S9EP9『未来装置の秘密』

未来を予知できる装置を女子から奪うべく、カートマンはバターズを女装させ、女子グループに潜入させる。(WOWOWオンデマンドより引用)

学校で男女の勢力に分かれる展開はキッズアニメ感があっていい。というか普段のサウスパークが全然そんな感じじゃないからこそ、子供っぽいことをしてると自分の小学生時代とかが思い起こされていい。

この回もまた、未来装置を奪いにいくメインプロットより、サブの方が好き。バターズが女装して潜入するために本来のバターズを一度偽装自殺させるけど、バターズの両親は悲しみに明け暮れて黒魔術でバターズを復活させようとする。この展開だけで最後どうなるかわかると思うが予想通り面白かった。

バターズ自殺偽装翌日の偽装を知ってる男子はもちろん、女子ですらも誰も悲しんでない様子も面白かった。もちろん生きてるバターズが実家に戻った際、黒魔術で復活した悪魔だと思われて厳重に鎖で監禁されてるところがハイライト。

なんだか(自殺以外)大したことないことをやってるだけなのに当人らにとっては大ごとに感じられるって言うのが子供時代をすごく感じさせられました。男子群と女子群で分かれてる感じも。

 

S10EP8『女教師 蜜の味』

カートマンは廊下の見回りをする番になったが、ある教師が生徒と関係を持っていることが発覚する。(WOWOWオンデマンドより引用)

 

アイク回。主人公陣の一人カイルの弟のカナダ人、アイク。サウスパークのカナダ人は口がぱくぱく動く、適当なつくりなんだけど、アイクは可愛い。

ミニオンみたいな可愛さがある。そんなアイクが担任の先生と恋愛する話。教師、生徒間の禁断の愛。を3歳児と教師でやるのが馬鹿げてて面白かった。個人的な感覚、そして今の所の感覚なんだけど、若人の歳の差恋愛の意味が本当にわからない。年上という点に対して魅力が生まれる感覚はなんとなくもわからなくもないが、この年齢差によって生み出される魅力というものに実際どれくらい妥当性があるのか。

第一能力のある人間なら同世代間でも歳の差を感じさせうる魅力を見せることは可能だと思うし、ならばそれで年下を狙いに行くのはまあちょっと気持ち悪さがあると個人的には思ってしまう。まあ恋愛市場が減っていく、年齢が上がるに連れて同世代と恋ができるチャンスが減るのは仕方ないと思うけども。学生身分なら同級生に限定してもいいのではないでしょうか。まあこんなこと言いつつも可愛い年下に告白されて俺は断ることができるのかという問題には胸張って答えられないかもしれない。残念だ。

先生がカイルに告発されて捕まった際、アイクがカイルの元にトコトコやってくる。

アイク「お前 死んだも同然」爆笑した。バターズもかもだけどアイクの思考が全く読めない感じ(サイコとかではない)が本当にツボだと気づいた。最後心中を止めるシーンもトコトコ歩いてそのままのスピードでUターンしてた。関係ない話の方が多かったけど結構オキニのエピソード。

 

S15 EP1『ムカデ人間とiPad』

iPadを持っているカイルはiTunesのアップデートも際に利用規約を読まずに同意したところ、アップル社員に拉致される。その規約には「アップル社の新商品開発の試作品になる」という内容が含まれていたのだ。カイルは同じく規約を読まずにサインした成人男女2人とともに口と肛門を縫い合わされ、真のインターフェイス機器「ムカデ人間パッド」と化してしまう。カイルを救いたい父親のジェラルドは、スタンの発案でアップルストアのジーニアス・バーに相談し、同意を無効にできる方法を探るが・・・・ (WOWOWオンデマンドより引用)

Z級映画として名高いムカデ人間回。見たことはないが流石に話は知ってる。主人公の一人、カイルが規約を読まずに同意しちゃったせいで知らぬ間にムカデ人間への改造に承認しちゃってたという話。この規約を読まずに同意しちゃうの天丼がすごい楽しい。サウスパークの視聴者を突き放してくる感じは楽しいのでもっと見たい。だって利用規約全部読んでる奴なんていないだろ?

アニメ内では同意したのはたったの3人だったわけだが現実世界でやったら何百単位のムカデ人間は作れるな、確実に。そしてムカデ人間を見てないから知らんが一番前のやつは結構余裕そうだ。なんかこの回はインパクトと天丼ギャグでめちゃくちゃ笑ったこと以外に書くことはあんまないわ。まあただ、2011年にすでにアップルにデータを吸い上げられることの警鐘を鳴らしてたんだなと考えるとサウスパークも馬鹿にはできんね。

 

S17EP10『ホビット』

チアチームのリサ・バーガーは自分をでブスと決め込んでいつも自信なさげ。チアも元気がなく、ひとり浮いてしまっている。リサがバターズに好意を持っていることを知ったウェンディは告白するよう勧めるが、結果は惨敗。キム。カーダシアンを理想視しているバターズにウェンディは、キムの写真はフォトショップによる加工写真だと訴える。なかなか信じないバターズに、リサの写真でフォトショップの威力を証明するウェンディだが、その写真が一人歩きし、リサはキム・カーダシアンさながらの人気者になるが・・・ (WOWOWオンデマンドより引用)

この回が一番好き。ヤリマン回と同じく、ウェンディがモラルを保つ回かな。今回のフォトショ加工にも通じるところですが、肌感でなんかやだなって感じるものはあると思うのでそれをジェラってるって言われると「ぐぬぬ」って言う感触があるのはすごいわかる。特に露悪性が支持されるようになってきた現代においては二割増くらいでこの空気を感じるね。

フォトショ加工も今や完全に一般的に支持を得てるものでサウスパークの先見の明があるのか、日本がアメリカの周回遅れなのかはよくわからんが現代がウェンディの生きづらいものであることは想像に難くない。カニエの読み聞かせやみんなの反応からもしかしたら自分はジェラってただけなのかもしれないと思って自分の写真も加工するけど、流れてくるのは涙。って言うエンディングは綺麗で素晴らしいと思う。

このモラルっていうものは曲者ですね。決して軽んじていいものではないけど、個人の利益とよく相反するからね。この辺の問題をうまく扱うべきだが、現アメリカではモラルは完全に地に落ちてるので(もちろん保ってる人もいる)ウェンディは主役にしづらいんだろう。

カニエのホビットいじりとか、キムが加工と言われて本気で泣くバターズとかギャグパートもかなり楽しかったですがやっぱりしんみりするエンドが印象に残ってる。

 

他にも感想書こうと思った回多々あったんだけど一旦このくらいにしてまたいつか更新しよう。あと、シーズン27は楽しかったので単体で感想書く気がする。

 

 

thesame226.hateblo.jp

thesame226.hateblo.jp

thesame226.hateblo.jp

【感想】『HELP 復讐島』/抑圧からの解放の爽快感を予想してたが別にそんなことはない。

タイトル:HELP 復讐島

  監督:サム・ライミ

  形態:映画

既か未か:未

 

 

『HELP 復讐島』みた。

 

スプラッターとかアメコミ映画でお馴染みサムライミ。『死霊のはらわた』はまだ見てません。先日先輩がこれと勘違いして『悪魔のいけにえ』誘ってきた。そっちももしかしたら感想書くかも。

フィルモグラフィー内の他のものだと流石に『スパイダーマン』トリロジーは見てます。青春。あと『ダークマン』も見ました。個人的にはオールタイム・ベスト・オブ・テンにも入れてる『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』が一番好き。くろちょぼの多さたるや。

ドクター・ストレンジ MoM』で仲良くなったのか知らんがレイチェル・マクアダムス主演の本作。まあ楽しかったけど好みではなかったかな。好きな人はごめんなさい。というか今作は批評サイトとかでも数値がすごいらしいのでこんなブログに関係なく見れば楽しめるだろう。まあかく云う私自身もすごい楽しんだので。

 

日本だと宣伝にやすこが使われてました。最近荒れ気味。俺自身としてはなんとも思わないんだが「おもんない」と云う批判に対して「いやおもろいだろ!」とはいえないっすね。実際、フワちゃん炎上のタイミングで当時の友達がフワはおもんないから消えてくれて嬉しい、やすこも消えて欲しい。みたいなこと言っててなにいえばいいかわからなかった。彼は色々と過激だったーー。思い出に浸ってしまったが今作の内容とは全く関係ない。ただ何が言いたいかというと、お笑い芸人が洋画宣伝してるのを久々に目に入れたので書いてみただけです。俺の気づかないところでは色々やってたんだろうが、やすこのCMはそれ以上に結構よく見る。やすこには挫けず頑張ってほしい、、。と思うとともにやすこCM見てこの映画見に行った人はどんな感想を抱いたのだろうとすごく気になる。

 

ネタバレあり

 

会社員のリンダ(レイチェル・マクアダムスはいつか自分が報われる日が来ると前向きに働いていたが一向に自分の番が来ない日々に鬱屈とした思いを抱いていた。そんな中、自社の社長が急逝、息子のブラッドリー(ディラン・オブライエンが社長となる。元社長との間でブラッドリーが社長になった暁にはリンダは副社長になれると約束されていたのだ。そんな思いはブラッドリーによって踏み躙られ、さらに酷い処遇を受けるリンダ。そんな中、出張のために乗り込んだ飛行機が墜落、誰もいない無人島で生き残ったのはリンダとブラッドリーだけだった。

 

まず宣伝でパワハラ上司と二人無人島へ、リンダの逞しい復讐が始まると銘打たれているがおおよその人の想像とは若干違う展開が繰り広げられる。と云うのも二人とも結構サイコパスだからだ。こういう系の映画はリンダに感情移入できるように作られていると思うのだが、リンダもリンダで会社にいるときは若干ダメなやつ感がただよっている。身だしなみのだらしなさや会話の歩調を掴めてない感じとかね。平たくいうとインキャかな。もちろん、だからといってブラッドリーとその周囲がやることも最低だけどね。まあ序盤というより、物語が進むにつれ彼女ら彼らのパスみは増えてくるのでこの辺は大した話でもない。

 

というわけで無人島に飛行機墜落、二人の野生生活が始まる。この辺までも普通の映画。『マダガスカル』とかも思い出した。謎にサバイブ能力が高いリンダと助けてもらってるくせに高慢なブラッドリー。そしてリンダが呆れて離れるとリンダに縋り出すブラッドリー。サム・ライミの手腕だろうがなんとなく想像できる展開とはいえサクサク進むし見てて楽しいシーンとかギャグ多めで鑑賞しやすい。まあリンダのサバイブ能力とかは流石に都合いいなと思ってしまうことはありつつも、猪狩るとこが楽しかったり、愚かなブラッドリーだったりでどこを楽しんでどこに目を瞑るべきかがわかりやすい。映画ってのはそんなもんだ。隙があるから悪いのではなく、隙を好きが上回ってなかったり(駄洒落)、どこに着目すれば良いのかわからなかったりするのがダメなのである。呪術のアニメも演出当ててれば、もしくは外しちゃいけないシーン抑えてればこんなに荒れることもなかっただろう。

 

物語の雲行きが若干怪しくなるのは救助船をリンダが見逃したあたり。リンダは島で完全にブラッドリーとの上下を策定させたかったのだろう、まだブラッドリーがリンダに恩を感じていない今はまだ救助が来ちゃダメなのだ。だから見逃す。なんだか嫌な匂いがしてきた。この辺で序盤でリンダに感じてた違和感は意図的なものだったのねと気づける。つまりあえて若干変なやつとして書いていたのだ。普通に偏見だが『スパイダーマン』のピーターとかみたいにサム・ライミ目線、インキャこそ一般人、何も悪くない!っていう世間とのズレがあるのかとか思ってた。序盤は。

そんなこと知る由もないブラッドリー。もう一個、リンダに違和感を感じるのは元夫の話をした時。リンダは実は夫と死別していた。へえ。どうやら夫はクソ野郎でアル中だったらしい。そんな夫でもいつか優しくなってくれると信じていたリンダ。だが結局、喧嘩した日にDrunk状態の夫に車のキーを投げつけ事故死という結果を引き起こしてしまう。このシーン、リンダの後悔のカミングアウトなのかと思ったがbgmがどうも不気味すぎる。セオリーならこの直前に親からのスポイルの話をしていたブラッドリーとわかりあって距離がつまるはずだ。なのにこの雰囲気。夜とはいえ暗すぎる。もしやリンダは事故以前に夫を殺したんちゃうかという疑惑を持ったまま我々は画面を見守る。

 

そんな予感の通りか否か二人の距離が縮まったっぽいシーンとブラッドリーが裏切りまくるシーンがほぼ入れ替わり立ち替わり続く。まあ普段歪みあってる二人は限界状態にあっても決して協力できないというのね。というかリンダは明らかに無人島に止まりたがっている。それはこの地なら自分はなんでもできる、社会的に強者になれるからだ。まあやっぱりというか、実は有能なはずのリンダがミソジニー的に抑圧されていてそれを解き放つという話ではない気がする。フェミニズム的な話ではないっぽい。なぜならリンダは会社、人間世界では強い存在になれないからだ。コミュ力が薄いからね。これは愚かしいものだけど、人間社会が協業によって成り立っている以上、他者との関係を維持するというのは立派な能力であって、それは男女間の抑圧のように単純否定が可能なものではないからだ。(別に必ずしも良いものとは思ってないけど。)何度のいうようだが実際にリンダは酷い扱いを受けているし、それが当然のことだと言いたいわけじゃない。ただ、リンダvsブラッドリーが完全善悪でかけるものでもないよねということだ。

 

そして決定的な一線を越えるリンダ。助けに来たブラッドリーのフィアンセを直接ではないといえ殺してしまう。全然関係ない話だがこのフィアンセの顔が綺麗すぎる。ニュアンスなので伝わるかわからないが100点になるように作った顔というか。作り物っぽいだと悪口になりそうなのでやめておく。何が言いたいかというと例えばJapanでの美女といえば橋本環奈とか、俺は福原遥が好きなんだが、そういう美人って、(日米比較じゃないので誰か別の人を思い浮かべてくれ、マーガレット・クアリーとかでいいよ)どこか人間的な綺麗さがあると思ってます。具体的にはこの世に存在しそうというか、むずいな。ただなんか異様に造形が綺麗だと思った。今までの人生ではクリステン・リッターにも同じことを思った。この外見論は不快に感じた方がいたら本当に申し訳ないです。ただ貶してるわけじゃないので許してください。

 

なんの話だっけ。まあとにかく、フィアンセ殺害がブラッドリーにバレてしまう。というわけでここからはバトル。もう芽生えていた何か(Something there)は消えた。ああこれがやりたかったのねと思える展開。いわゆるサム・ライミ節が解放されたかの如く(イノシシのシーンで漏れてたが)一瞬で画面が血まみれになり、ワンダみたいな風貌になるリンダ。逃げ続けたブラッドリーが見つけたのは豪邸笑。実はリンダはここから包丁を得ていたのだ!(包丁を流れ着いたものと言って使っていた)こうなりゃもう実はリンダはいいやつ的な展開はできない。し、ブラッドリーももちろんクソ野郎なのでどちらか、もしくは二人とも死ぬのは確定した。

ブラッドリーにショットガンを構えるリンダ。命乞いをするブラッドリー。「いつまでも二人で無人島で暮らそう。」ほんの10分前と文明レベルがダンチ。リンダがいつぶっ放すかドキドキしてたが、意外にもブラッドリーの命乞いを受けようとしたっぽいのかな?でももちろんブラッドリーは油断させてリンダを殺す気だ。ショットガンを奪われるも実は空砲。終わったね。

ラストは無事都会に戻り、社長にもなれたリンダが「誰も助けてくれないわよ〜。自分の身は自分で守らなきゃね」とか言って終わる。

ショットガンが空砲だったということはリンダはあんなにメチャクチャのバトルをした後でもブラッドリーとなんとかやってけると思っていたのだろうか。まあ奪われた時普通にビビっていた気がするので空砲だったことに気づいていなかっただけの可能性もある。

 

というわけで個人的な感触としては解放映画というよりはむしろサイコみをまざまざと見せつけられた印象。まあこれはどっちなんだろう。このサイコみなのか、ガチでリンダに共感すべきなのか。監督が若い子、脱サラとかなら嫌な上司への復讐妄想という見方なんだが、なにぶんおじいちゃん、サム・ライミなのでね、、。自分がアホなのを棚上げしてるように聞こえるかもしれないが、「どう、これ、男女が殺し合って血がいっぱい出ておもろいでっしゃろ」くらいの感覚で作られてる可能性も高い。実際それに則れば結構楽しんだわけで。

まあただ、モヤモヤするのも事実。モヤモヤしてる人も多いっぽいし。その話で言えば監督前作の『ドクター・ストレンジ MoM』もモヤモヤしてる人は多かったし、流石におじいちゃん、今の時代はちょっと違うのよ、、、。という感じもしなくもない。久々に祖父母の家に帰宅したらぶったまげるくらいの差別用語吐いてたり容姿いじりしてたりして驚くアレに近いかも。別に笑っちゃうんだけど若干のモヤモヤ。まあただ、ラストカット等考えるとそこまで考えた上でのっていう映画な気もする。監督のインタビューとか読めば解決するだろう。

 

そんなわけで主人公が善人じゃないのは結構物語に引き寄せられてよかったです。どうなるんだろ、、という牽引力があった。映画好きの皆さんならわかると思うんですが、映画見る時って大体こんな展開になって、ラストはこんな感じかなみたいなのを頭に薄ら浮かべながら見るんですけど、まあそれが予想にハマっててよかったり、陳腐に感じたり、想像を上回るのが楽しかったりとかと。じゃあそういう意味で言えば今作は割と予想つきづらかったですね。リンダの為人が巧妙にわかりづらくされてて、それがラストのカタルシスにつながっていたのかも(それっぽい言葉)。実際、リンダがいじめられて涙ポロリのシーンでは悲しい気持ちになったもの。

後悪趣味お下劣ギャグはキレキレで楽しかった。後ろに座ってたおじいちゃんが笑ってたのもいい味出してた。おじいちゃんはうるさすぎない笑い方、具体的には漏れ出ちゃってる感じだった。皆さんも特に汚いシーンが苦手な方は見る時は後ろにおじいちゃんがいる席で見ることをお勧めする。我々素人は雰囲気だけで笑うことができるからだ。

 

原題のSend Helpはじゃあ、リンダの言葉からブラッドリーのものへとグラデーションしていって二人のものへ共有されて終わったわけだ。まあそう考えると構造的にも綺麗な映画だったし、後何より見やすい。わざわざブログには書かなかったが、モチーフとか台詞の応酬とか、流石に往年の監督なだけあって本当にするする見れる。

 

ちょっと話戻るけど、サム・ライミはこういうスレスレの話書きたいんでしょうな。『ダークマン』しか例示にあげられない分際だが、ダークマンもこれで終わりでいいの?的な感情になった覚えがあるし。だから根が露悪よりというか。でもヒーロー撮ってる時は子供の頃の理想、ワクワクを全面に書くんだろう。だからスパイダーマンもストレンジも主人公の味付けは完璧だったわけで。だからカラッとしたヒーローもんとって欲しいですわ。なんかその辺の意味ではジェームズ・ガンに似てるかもね。『スーパー!』とか、わざわざ言わんでもわかると思う。発散の方向が違くて、ガンはヤンキー的な湿っぽい感じに対してライミは愛とエゴとかに落ち着くんだろうか、そこはドクスト3を撮ってくれた暁に考えればいい。というかここまで監督と作品を結びつけなくたっていいしね。俺は馬鹿だから指標を求めてるだけなのかもしれない。

【感想】『28年後... 白骨の神殿』/ノリノリドクターとカルトの若者たち

タイトル:28年後... 白骨の神殿

  監督:ニア・ダコスタ

  形態:映画

既か未か:未

 

『28年後... 白骨の神殿』見た。

先に『28年後...』の感想をかけやというところだが賞味期限的な話をすると何度も見返せる『28年後...』と映画館にもう一度行く必要がある今作とどっちの感想を先に書くのが良いかなど一目瞭然である。うへへ。

 

前作はまあ一言で言うと訳分からんかったけど楽しみました。と言うか色々考えたり理解したことはあったが、まあ見た方なら全員わかる通りラストの展開で「訳分からんけど楽しい」が正しい楽しみ方なんだろうなと思わされた感じ。ラストに加え、奇人ケルソン先生がその定理を後押ししてくれている。

本作はシリーズ4作目。『28年後...』から続く3部作の真ん中の作品。ナンバリングは訳分からんのでこれを見る前に見るべき映画は『28年後...』だけでいいと言えそうです。まあ『28日後...』も見ておいた方が無難。ちなみに前者に関しては今回、前作のほとんどすぐ後から始まりますし、説明とかもたいしてないので普通に見ておいた方がいい。

脚本はそのままガーランドなのに対し、監督はダニー・ボイルからニア・ダコスタに変わっている。ダコスタさんの映画は『マーベルズ』のみ見てます。まあ今作も色んな意味で抽象的に『マーベルズ』に似てはいた。まあ一応言っておくと悪い意味ではないです。

 

前作の直後ということでインパクトを残した2勢力を深めていく作品。本当にそれに終始した感じがするので奇しくも同じガーランドの『ウォーフェア』とは違う意味で「映画としてどーなん」と思わされたがまあ良作とも勢いにやられて楽しんだのはいうまでもない。

 

ネタバレあり

 

ウイルスの流行、ロンドンで多くの死者が出てから28年後...。孤島で生まれ育ったスパイク(アルフィー・ウィリアムズ)は前作での決意によりイギリス本土で生きる道を選ぶ。そんな折、ジミー・クリスタル(ジャック・オコンネル)と彼が率いる<ジミーズ>という集団に救われ行動を共にする。しかし、ジミーズは人間を痛めつける儀式を行うカルト集団だった。一方で本土で一人生活している医師ケルソン(レイフ・ファインズはウイルスの研究を続けていた。ケルソンが注目していた感染者サムソン(チ・ルイス=パリー)。治療を続けるうちにサムソンは変化を見せ始める。全く異なる考えを持ち、異なる行動をするジミーとケルソン。そんな二人がついに邂逅してしまう。

 

 


すごい変な映画だった。まあ楽しかったけどね。あらすじに書いた通り、ジミー・クリスタル(とスパイク)とケルソン先生の二軸展開がなされる。

冒頭からいきなり暴力全開のジミーズ。全開ラストでどんなやつなんだろうと思ってたが悪いやつだったっぽい。リーダージミー・クリスタルは覇王の声が聞こえるとし、そのお告げのもとじゃんじゃん暴力三昧を部下たちにやらせる恐ろしい男だった。前作(今作もかな?)主人公のスパイク、孤独に生きてようやく仲間を見つけたと思ったら想像を絶する悪人だった。可愛そう。ジミーズのノリも含め、真面目にテニスしたかったのにテニサー入ってみたら飲みサーだったみたいな雰囲気を感じる。まあ正直言ってジミーズサイドはそんなに書きたいこともない。痛々しいことしてるだけだし。これがけるソンパートとの対比になっていて、、みたいな考えもあるだろうが個人的にはケルソンパートだけでも良かったっす。

 

ケルソン医師は調べてもらったらわかるが真面目なゾンビ映画に絶対に出てはダメな人物。少年漫画だったら彼が出てきた瞬間、テコ入れ入ったなと思わされること間違いなし。具体的にはイギリス本土で孤独に生きている老人で感染者、非感染者問わず、死体を火葬して遺骨を使い神殿を作っている。ちなみにケルソンは悪人ではない。だからサブタイトルにもある「白骨の神殿」はケルソンが殺害した相手とかではなく、純粋に亡くなった人への埋葬心から作っている。そして口癖は「メメント・モリ」死を忘れるなという意味です。調べてみたら初出はシェイクスピア説が濃厚。全然関係ないが昔高校の教師がシェイクスピアの生死年の語呂合わせで「1564〜1616」、ひとごろし、いろいろと教えていて空気が凍っていたのを覚えている。別につまんなくないのに、なぜあの場のあの空気はあんなにも厳しかったのだろう。

ケルソンは感染予防のため全身にヨウ素を塗りたくっており、皮膚が真っ赤である。そして感染者の中でも強力な種族、「アルファ」を吹き矢で鎮圧できるという五条悟並みの強さを持つ。この後のシーンも含め、演じたレイフ・ファインズは過去一楽しかっただろう。

レイフ・ファインズといえば気づけばいつもそばにいたことでお馴染み(俺にとって)。007とかハリポタとか。教皇選挙も面白かったよ。

 

そんなおり、アルファの一人、サムソン。ケルソンはその危険性にも関わらずお隣さんとしてサムソンを殺さないんだがそれが影響してか体に刺さった矢の治療を求めにくる。もうこの時点で訳分からんが。サムソンはゾンビだからね。サムソンは野生の勘かわからんが、ケルソンを発見するやゆっくり近づき吹き矢を打ってくれと言わんばかりに立ち止まり治療してもらう。そしてもちろん治療してあげる優しいケルソン。吹屋にはモルヒネが塗られており、サムソンを無力化できる。

これがきっかけで親交が生まれる二人。音楽に合わせて踊り出したりし始める。河原で二人座ったり楽しむ二人。一体何を見せられているのか。でも楽しい。個人的なことだけど、映画見る前に結構不安な連絡が入って、映画を楽しんでみれるかどうか危うかった。不安が頭を掠めるからね。だから全然2回目みに行ってそこでちゃんと楽しもうかと思ったけど、いざこのシーンになると自然と笑っていた。だから本当にちゃんと面白いシーンなんだろう。真面目路線の28シリーズが好きな人、それこそ前作に不満だった人とかはもしかしたらブチギレかもしれないけど、俺は楽しんだのでそれでいい。

 

こういうシーンとかの笑かせというかおふざけシーンが『マーベルズ』に若干擬似性を感じる。ほら、猫のシーンとかミュージカルの惑星とかであったあれよ。なんか全体的な空気感が『マーベルズ』に似てる感じはします。監督が同じと知っているからの可能性は全然あるけど。まあ随所の笑わせシーンだけじゃもちろんないす。たとえば物語的には今回ほとんど何一つ前進してないんですけどそこもちょっと似ている。「結局この話はなんだったの感」というか、今作はそれはプラスに捉えたんですけど、『マーベルズ』の時はそうじゃない人が多かったよね。MCUには全体を推進させなきゃいけないから仕方ないところはあるか。

あとはそんな中でも見たいものはしっかりくれるところもですね。今回楽しみにしてたのはケルソン先生の活躍でそれはお腹いっぱいくらい楽しませてくれた。『マーベルズ』も直前の『シークレット・インベージョン』という怪作のせいであんま楽しみじゃなかったが「カマラちゃんは楽しみだな」くらいの面持ちで行ったら、ちゃんとカマラの楽しみは与えてくれた。それどころかカーン一家も詰め込まれて提供されて楽しかった。いつかMCUちゃんと感想書きたいね。

 

物語自体がどこに向かってるかよくわからない時間が続き(貶してない)、ジミーズは白骨の神殿にたどり着く。ジミーズたちは覇王と思い込むも無理ない。ポストアポカリプス(終末世界)においてただ一人、謎の文明を作り出している男ケルソン。この世ならざるものにしか見えない。

一人先人を切るジミー・クリスタル。ケルソンと話してみたところ、常識人だった!この会話シーンも不思議だ。ジミーは最初ケルソンにビビっていたが常人と知れるにつれあるお願いをする。頼みを聞かないと殺すかもという脅しに対し「じゃあ聞くしかないな、、」みたいな反応のケルソン。怖がってるの?呆れてるの?なんというか感情が上滑りしてる会話のような、不思議な感触。何度も繰り返して申し訳ないけど、語彙力がないからディスってるように聞こえるが全然褒めてるし楽しんでる。

そのお願いとは、ジミーズ部下の前でケルソンに覇王のふりをしてもらうというものだった。一堂の前では王に承認を得ることによりジミーズ内での権威を絶対のものにしようとしていたのだ。ケルソンの感情の動きはよくわからんが後述することを踏まえれば割と快諾だったのだろう。その晩、もしかしたらジミーに殺されるかもしれないからとサムソンに一か八かの治療を行うケルソン。サムソンはここに書いてないシーンで喋れるようになったり過去の記憶を思い出したりしている。ケルソンは実験段階とはいえ感染者を非感染状態に戻す方法を見つけ出したっぽい。

 

そんなわけでお願いを実行する夜、ジミーズを連れて白骨の神殿に赴くジミー・クリスタル。その中にはもちろん怯えている前作主人公スパイクがいる。が、仮面をかぶっておりケルソンには気づかれない。(スパイクはあんまり迷惑かけたくないなあと思ってそう。)

始まる覇王による承認の儀式。思ったよりノリノリのケルソン。というか完全に一人楽しみすぎている。アイアンメイデンの『the number of the beast』に合わせて踊りまくるおじいちゃん。えぇ。という困惑もあるが楽しむしかない。普段真面目な学校の先生や両親がはしゃぎすぎているのをみてる感情に近い。ちょっと俯瞰してみると冷笑しかできなくなってしまうのでこっちもノリノリで楽しむのみだ。

白骨の神殿の入り口や木々に大量にキャンドルがかけられているのでこのためにケルソン先生が一人で準備したと考えると可愛いな、お茶目だなとか思ってたらその上を行くお茶目さ。孤独に生きていると楽しさを全開にするって結構難しいんだけど、さすがといったところである。

 

楽しかったのでみんな見てくださいね。ラストは各所で言われていた通り、初代主人公のキリアン・マーフィーがスパイクとの合流をしかけて終わる。いつものBGMが流れたところはワクワクした。

 

以上かな。巷ではジミーとケルソンの対比、恐怖への信仰に関する解読がなされてるっぽいがまあ私はただ勢い強めの怪作(いい意味で)と捉えました。何度も言うけど結構楽しみました。私も結構な孤独なのでケルソン先生みたいに孤独でも日常を楽しむ術を手に入れたいですね。まあケルソンと同じ歳になる頃にはこのブログが俺の白骨の神殿を形成してくれるんだろう。

ニア・ダコスタさんの強さはニュアンス的に感じ取れたもののもうちょっとフランチャイズじゃない何かでみたいですね。まあ今作が結構評論家評、一般評ともにいい感じなのでダコスタ映画が見れる日も近いだろう。その時まではメメント・ブログってな。

 

 

【感想】『28日後...』『28週後...』/ポストアポカリプスもの。人を人たらしめるものとはなんでしょね。

タイトル:28日後...

  監督:ダニー・ボイル

  形態:映画

既か未か:未

 

28日後...』みた。

 

我らがアレックス・ガーランドの有名ゾンビ映画。まあ世間的にはダニー・ボイルの方が有名なのかな。知らん。なんならアレックス・ガーランド自体、『シビル・ウォー』の時に初めて知ったし、本作とガーランドが結びついてることすらも最近知った。この無知には自信を持っていこう。だってもう知ってるわけだしな。最も恥ずべきことは知らなかったのに知ってた風のことを書くことだ。それに比べれば知らないことを自覚している方が100倍マシだろう。

『28年後... 白骨の神殿』みたいのでみました。で、普段このブログに書くのはフィルマークス的に言えば3.6以上のスコアをつけたものに決めている。この理由は3.5がボーダーラインだからです。自分の中で決めていることがあって、この3.5と言うラインは映画が自分のものとして好きと言えるかどうか。これは私物化でもなんでもなくて、まあなんて言えばいいんでしょう。もうそんな時代ではないけどDVDボックスを買いたくなるか否かのライン、書斎だったりに並べたいかどうかのラインとでも言いましょうか。

そんなわけでその例外は今のところ『野原ひろし』だけである。(もちろん今後3.5ラインを超えない作品を書く可能性はある。今のとこね。)まあブログに書きたいかどうかと言うのも一種のラインとなっているでしょう。ちなみに3.0未満=嫌い(これは逆にブログ書く)、3.0~3.5=ほどほど、3.6~3.9=結構好き、4.0=かなり好き、4.1~4.9=めっちゃ好き、5.0=『くまのプーさん(2011)』というラインで点数つけてます。

 

まあこんなくどくど前置きを書いた理由はもちろん、『28日後...』はブログには書かなくてもいいかなって点数にしたからです。でもガーランド好きなのと、割と考えさせられること多く、ブログ書けそうだなと思ったので書きます。別に「好き」のラインに入らなくても考えさせられる映画は結構あってそういうのを吐き出すのがブログの醍醐味だしね。

ゾンビ映画の知識はゼロに等しい。もちろん「ベタ」については分かりますぜ。

 

 

ネタバレあり(流れ弾くらったらごめんなさい)

 

 

ある研究室でウイルスが誕生した。そのウイルスに感染した猿が解放されてしまう、、。28日後、ジム(キリアン・マーフィー)は病院に治療室で目覚める。ロンドンの街からは人が全員いなくなってしまい、荒れ果てた状態だ。そんな中、ウイルスに感染していないセリーナ(ナオミ・ハリスや親子であるハンナ(ミーガン・バーンズ)フランク(ブレンダン・グリーソンに出会う。4人はラジオ放送で繰り返し告げられる軍の生存者のキャンプを目指して旅立つ。

 

序盤、感染した猿を映してブラックアウト、「28日後...」。即タイトル回収。映画を見てる時の自分の状態にもよるが今作はかなりテンポ良く感じました。そして病院にいるキリアン・マーフィー。目覚めたら誰もいない。いやあ、怖いね、これ。皆さんも想像してみてください。目が覚めたら世界に誰もいなくなっている感じ。完全に置いていかれたって感じ。

ゾンビ映画は全くみてないので基本どっちなのかはわからんが感染が広がっていく様子を書かなかったのは今作的にはだいぶグッドですね。パッと思いつくゾンビものといえば『アイアムアヒーロー』なんですが、あれはじわじわ広まっていく恐怖を書いていた。それに対して今作はどことなくロードムービー感あるんで(途中だけ)ポストアポカリプスものというかゾンビ映画とも若干違うのかな。

ガーランドは「すでにそうなってる」系の映画を撮るのが得意なのかな。もちろん判断材料は『シビル・ウォー』だけです。あれもロードムービーじゃないか!

 

ジムが荒廃した街を練り歩く様はすごいワクワクさせられます。こっちもジムに移入して「何が起きたんだろ、、」と思うしかないので結構楽しかった。『アベンジャーズ エンドゲーム』のアントマン目線に近いね。その後、セリーナ、マーク(結構すぐ死ぬ)と出会い、自宅へ行ってみるジム。なんか今考えてみるとこれも結構新鮮ですね。普通のゾンビ映画だと自宅ってのは元々いる場所だから序盤に出て行ったっきりになりそうだし、逆にポストアポカリプスだとゴール、辿り着くべき場所として置かれそうなものでもあるし。中継点としての自宅が新鮮。いや、そんなことないか?分かりません。

 

その後、出会った親子。父のフランクと娘のハンナ。これはだいぶベタだ。本当はそんなこと起きてほしくないがフランクは100%死ぬだろうし、ハンナは100%生き残るだろう。ここを逆張りしても何も面白くない。それこそ『ミスト』みたいに絶望を残すエンドにしたい場合だけだ。ネタバレをしてすまない。

夜、部屋でセリーナはジムに親子は置いていくし、足手纏いになる、私は躊躇せず見捨てるみたいなことを言う。ゾンビ映画っぽい。朝、フランクはセリーナに「足手纏いになるっぽいこと言ってたよね」。壁が薄く話は全部聞こえていた。ちょっと笑った。作中の空気感はそんなもんじゃないんだが。この映画のいいところは人間関係のギスギスが少ないところですね。もちろん、あるにはあるけど、この4人、身内間ではあんまりギスギスしないというか。嫌な映画だとここで実は話を聞いてたフランクは正面切って言わずに後々裏切りの伏線となる、、とかしますからね。具体例はないけど。

親子は希望を失わず、ラジオ放送で聴こえる軍の生存者キャンプを目指すという。楽観的というもついていかざるを得ないジムとセリーナ。フランクにとって彼自身が死んだ後にハンナが孤独になることを避けたかったのだ。この今ある安全を捨ててでも次にかけるかどうかというのは『チーズはどこへ消えた?』でも読んで覚えている。

 

車で出発する一同。スーパーで食物をゲットしまくって、今はもう使えないクレジットカードを代金としておいていく、トンネルではガラクタばかりで進めないところをフランクがアクセル全開で無理やり渡り切る。一同「ヒャッホー」。なんだか楽しくなってきた。本作で一番好きなシーンはこの4人の旅路です。ここをメインに映画を作ってくれても結構楽しめた。

トンネルの中、パンクしたタイヤを交換。交換中に後ろからゾンビの影が見えてくるシーンは緊迫感があっていい。言い忘れてたが本作のゾンビは全然走ったりするし、ウイルスの感染者と言った方がいいかな。感染者の姿がはっきりみにくくなっているのはガーランドテイストだろう。敵の姿がガッツリではなく仄めかされるようにのみ映る。『ジョーズ』みたいでもあるな。もちろんはっきり映るゾンビもいるが。

途中ハンバーガー屋さん近くに寄ってトラックからガソリンを調達する一向。ジムはその間単独行動をしたところ子供の感染者に襲われる。誰も知らない中子供の感染者を殺してしまったジム。これがのちの少佐との「誰も殺さなかったのか」の問答につながる。まあメインテーマではないっぽいが。

地名は忘れたけど向こうに見える街が人がいなくなったこともあって火事が広がり続けてるというシーンも良かった。手付かずの自然の恐ろしさ。

 

目的地に到着したっぽい一同。だが軍隊の影はない。フランクは苛立ちが募り一人行動、その拍子に感染してしまう。ハンナに愛してると伝えるや否や突如打ち殺されるフランク。軍隊がいたのだ。やるせない展開。それまでのロードムービーが楽しかったからこそね。

 

この後は展開にはそんなに書きたいこともない。みんなの想像してる通りだ。軍人たちは最低野郎が多く、黒人感染者を面白いからと殺さずに放置したり、女性に飢えておりセリーナやハンナが危険な目に遭ったりジムが助けに来たりね。ジムの眼球抉りは流石に「おっ」となったが。あと、ハンナが少佐を殺させるシーン。ジムがセリーナを助けてキスしてたら感染してると勘違いされてハンナに攻撃されるシーンも。一同、サバイブ能力が高い。まあ28日間生き残ってたんだから当然ちゃ当然か。最後は平和に終わって良かった。

 

イメージしていたゾンビ映画とはちょっと違うね。カウンターものというか『ディープ・ブルー』的な?(サメ映画のお約束を破り続ける映画)。まあ約束破りが主題ではなかったけど。まあ無難に面白かったです。

感染者の行動原理やウイルスの詳細、他国の状況とか繊細に語らないのはガーランドっぽくていいねと思う。このようなポストアポカリプスものは事実がわかるまでの過程が一番楽しいのであって事実自体は正直どうでも良く感じてしまう。

 

そしてゾンビ映画つきものの我々を人間たらしめるものは一体何かという課題。まあ相当にわか発言でしかないが、ゾンビは元々消費社会における自立した思考ではなく広告だったりに動かされ続ける大衆のメタファーとして描かれることが多い。はずだ。だからショッピングモールとかにわんさかいるし、これまではその思考持たざる状態への警笛だったのだが、もはや現代ではそんなもの常態化しているためゾンビ映画は存在することができないみたいなことも朧気ながら聞いた覚え。俺は考えるためによく散歩をする。その中で外は寒いから家の近くにあるショッピングモールを歩き回るんだが、思考を回してるとはいえ、俺はゾンビではないと言えるのだろうか。つまり映画におけるゾンビとは我々と一切変わらないものとして置かれているわけ。

こんな哲学的問いに対して『28日後...』ゾンビは感染が原因としていてゾンビ的神秘性は皆無。じゃあ代わりに置かれたものはゾンビにおける「死んでいるってどういうことか」に対する「生きているってどういうことか」ですよね。本質的には一緒。

例えば、ハンナとフランクは感染者わんさかのロンドンでも希望を捨てずに生きているし、スーパーマーケット等で一同が楽しむシーンは瑞々しい生以外の何ものでもない。ではこの希望、楽しさという感覚に対して軍人たちはどうかというね。生きるために何かしてる時点でもうそれは死んでるのと一緒ですわ。生は生を意識させえないところにあるわけで。

 

まあそんな感じで楽しかったです。ありがとうダニー・ボイル。ありがとうガーランド。せっかくなので28週後の感想も簡単に併記。

 

 

 

タイトル:28週後...

  監督:フアン・カルロス・フレスナディージョ

  形態:映画

既か未か:未

 

28週後...』みた。

 

別に感想書くほどじゃないけどね。セットで書いておこう。

簡潔にいうと登場人物全員アホすぎるなと思いました。冒頭は期待してたんですけどね。主人公ドン(ロバート・カーライル)が妻、そして見知らぬ子供を見捨ててしまう展開。小市民的というかほとんどの人間はドンを責めることはできないと思う。だから普通は「ドンが見捨てたことを後悔し向き合う」か「見捨てたことが己に降りかかってくる形での破滅系」かの2択の展開だと思うんですが、それらがうまく主軸として機能していない時点でなんだかなという感じ。

破滅系というのはズルズル、選んでも仕方ないよねと思える展開を進んでいって最終的に破滅してしまうというカタルシスがあって然るべきなんですが、感染者とキスするのはナッシングすぎる。というかドン一家がアグレッシブに人類を滅亡させにかかるので違和感がすごい。詳しくは見たらわかるでしょうが全て「わざわざした」ことによって破滅が襲いかかるのでね。アホという意味であれば感染者と一般人の区別がつかないからとりあえず皆殺しにする軍隊も。まあ混乱かだから仕方ないのかな。『ヴェノムTLD』で踊り出すヴェノムへの苛立ちに近い。まあ振り切ってるから「んなアホな」と言った楽しみもできるが。

あと急に走り出したりヘリに捕まったり登場人物が異様にアクティブ。印象に残ってます。

まあくどくど言ってはいるが別にブチギレるほどではなくそれなりの楽しみはえた。言っちゃなんだが『28日後...』であえてやらなかったところをわざわざやって爆死したとも言える。だから続編がないのはやむなし。ようやく『28年後...』見れる。楽しみます。