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【感想・比較】『シンデレラ(1950)』『シンデレラ(2015)』/実写・アニメの違い第1弾/ケネス頑張った。

タイトル:シンデレラ(1950)

  監督:ウィルフレッド・ジャクソン

     ハミルトン・ラスク

     クライド・ジェロニミ

  形態:映画

既か未か:既

 

タイトル:シンデレラ(2015)

  監督:ケネス・ブラナー

  形態:映画

既か未か:未

 

 

『シンデレラ(1950)』『シンデレラ(2015)』みた。

 

一つ前の『ブリング・ハー・バック』の記事で言った通り、現在、私はディズニー実写リメイク行脚をしています(泣)。きっかけはディズニー好きの集まりに行った時の反省。実写リメイクを現場で半数くらいしか見ていないのに、「ディズニー実写リメイクはkuso !」発言をかましちゃったせいで(実際は「苦手かな…」くらいの感じね。)じゃあ『シンデレラ』は!?みたいな会話に「いや、見てない…」と歯切れを悪くしてしまった。まぁ擁護されたのは『シンデレラ』しかなかったんだけどね…。ともかく、嫌いなもんも好きなものも喰らわば骨まで精神を俺は忘れていた。なので見ます。全部。そしてなんとねっ!全部ブログに書く!。頑張るぜぇ!

現状あるのはガチで口汚く罵ってしまった『マレフィセント』の記事のみ。とりあえず、見たことある系は今後に残しておくとして、初見実写作品とその元アニメ(こっちは何度も見たことある)を順番に見て感想を併記していきます。その第1弾が今回。全然第1弾ロカ言いながら今回で終わる可能性もある。世の中はライブ感(記事がね。鑑賞はちゃんと全部しますとも)。

 

今作『シンデレラ』は言わずと知れたディズニーの名作。アニメ版の概略的にはいわゆるディズニー第一期黄金期に当たる作品。この作品以前は国内が戦時下だったこともあってか、長編アニメではなく、短編オムニバス作品を連発していた。『ダンボ』とか?ぶりの長編アニメ作品だった本作は大成功を飛ばし、現在のディズニーを形作った。ディズニーでなくとも世界的に有名なお伽話ですよね。

実写版は本格的な実写リメイクの初作品と言って差し支えないんじゃないかな。これ以前は『101』や『アリス・イン・ワンダーランド』、『マレフィセント』なのでそれこそ、「リメイク」なのか?と言ったところで、ベースを強く意識した作り直しもまたその後の実写作品の礎になったことであろう。

そんな実写版の監督は我らがケネス・ブラナー。なんだか鼻につくところが可愛らしいと(俺の中で)評判であり、本作もその気取ってる感を堪能できた。『プラダ2』でも似たような感想を書いた。ケネスは『ハムレット』や『フランケンシュタイン』等の硬派な作品をとる硬派なイメージで(なのにちょっと抜けてる感があるのが俺は好き)、エンタメ系に転身?して我々に近づいてきた近年でもまた、『マイティ・ソー』や本作などその硬派感を活かした作品作りをしている印象だ。唯一心から嫌なのはポアロを私物化しようとしていることくらいか?でもベニスのやつが滑ったっぽいので今後どうなるかはわかんない(この映画自体はつまんなくはなかったが、本家ポアロファンによる怒られが発生していたイメージ)。硬派なのになんだか抜けてるというイメージは彼がハリポタで演じたギルデロイ・ロックハート先生のイメージもあることだろう(俺がハリポタで一番好きなキャラ)。

 

結論から手始めに申し上げますと、アニメは素晴らしい。素晴らしいがまぁ他のディズニー作品に比べれば、個人的な好感はちょっと下がってしまうということ。そして、実写は毎度の如く、毒にも薬にもならん程度の普通の映画だった。だったが、時系列的に今後作られていくリメイクよりは映画としての強度はマシ、あとケイト・ブランシェット演じるケイト・ブランシェットがすごく良かったということ。何でもかんでも相対化するのは良くないとは思いつつ、まぁそれでもあくまでこの2作を比べると個人的にはトントンくらいには落ち着く感じでした。

 

ネタバレあり

 

 

 

まず実写とアニメの大きな違いについて述べさせていただくと、これはやはり、配分。当たり前だろ!と思われるかもしれないですが、念のためね。まず、シンデレラの展開としては継母がやってきて実のパパが亡くなり、継母とその娘にいじめられるという前提があります。アニメだと、いじめられ始めるまでを本当に冒頭10秒くらいのナレーションで済ませてしまうのでこの手際の良さに驚いた。一方、実写はそれが冗長だと言いたいわけでは決してなく、むしろ、シンデレラ(エラ)の母を登場させ彼女が亡くなり、そしてパパも亡くなるまでをじっくり丹念に描いているのでシンデレラの喪失を精彩に描いていると言える。一長一短。ですが、この実写アプローチはアリだね!。

今後の実写作品の記事で引用するかもしれませんが、アニメと実写の大きな違いは「リアリティ」です!これはもう言い切り。もちろん、アニメはリアルじゃねぇだろ?とか言いたいわけではなく、観客が受け入れるまでの時間、余裕という点に大きな違いがあると言いたいのです。例えば、俺の大好きなスパイダーマン。「蜘蛛に噛まれた高校生が超能力を得て悪人たちをしばき回る。悪人は砂になったり電気になったりする」という設定にはリアルがないわけですよ。これを納得させるために、実写版は丁寧な段階が必要だ。一方、アニメはある程度自由が効くので、冒頭で言い切って所与とすることもできる。アニメは複数の意味で「異世界」感が強い表現となるので、自分とリアルが違う世界にもその世界なりのリアリティを築き上げてやればすぐに入っていくことができるのだ。というのが俺の考え。

だからアニメ版では最短でシンデレラが虐められる本題まで持っていくことが可能でそれを存分に行なっている。実写はそこの説得力を実写なりの段階とアニメへの補強(上記のようなことを言いつつシンデレラの悲しみにはアニメ版だと淡白感がある)を行なっている良いリメイク。ケネス・ブラナーがポアロ役でつけた髭を撫でながら「粋じゃろ?」と言っているかのようで腹が立つがまあいい。粋だね。

 

なんかそのほかに特段大きな変更点はなかったですかね。あげるとすれば、例えば、コミカルさの減少かな。アニメ版を見たことない人は驚くかもしれませんが、『シンデレラ』のアニメ版ってシンデレラの家に住んでるネズミが猫とドタバタする展開に30分くらい使ってるんですよ。上映時間は1時間ちょいなのに。それらはコミカルですごくいいんですが、これを実写でやるのには限界がある。ケネスは「動物は喋らんぞ?当たり前じゃろ?」と言いたいかのように動物たちのドタバタはバッサリカット。一応登場はするし、シンデレラと親交を深めたりぐらいはするが、生きた存在というよりはシンデレラの孤独と優しさを表現する道具にとどまっていた感じではある。

同じくコミカルという点では、アニメ版では王が子供っぽくて、ベットで飛び跳ねながら剣を振り回したり(だから革命が起きるのでは?)嫌な感じなのだが、真面目になってた。そしてキャラが完全に死んでいたプリンスチャーミング役にワルスーパーマン(いっぱいいるけど)のリチャード・マッテンがキャスティングされ、生きた存在になっていた。

 

あとはミュージカルじゃなくなってたわ。アニメ版のジャックやガスらネズミたちが歌う「お仕事の歌」とか言わずと知れた「ビビティ・バビティ・ブー」がすごく好きだけどなくて寂しかった。「お仕事の歌」は仕方ないかな。ケネス「ネズミたちはドレスを作ったりはせんぞ」。あっはい。「ビビティ・バビティ・ブー」とか入れてくれてもよかったのでは?と思う。ミュージカルはリアリティをなくすとは分かりつつもフェアリーゴッドマザーにだけ歌わせれば、異物感やシンデレラの願いを叶えにきた夢感が強まってよかったのではないかな。ケネス「現実だと人は急に歌い出したりはせんぞ」(髭ナデナデ)。あーもう、うるさいうるさい。勝手にアフレコして申し訳ない、実際にこんなことを言ってるのかは知らん。というか多分言ってない。だいたい映画は監督だけが作るわけでもない。クリス・ワイツに聞こえているか?

 

実写版の白眉はなんと言っても上述の通り、ケイト・ブランシェットではないでしょうか。ケイトはトレメイン夫人を演じているというよりは、いつも通りのケイトだったけど、役者力が強い。キャラ力が強いとも言えるのかな?アニメ版のトレメイン夫人もまたとっても嫌なやつなんだけど、利口で隙がない魅力的なキャラクターだった。ただ恐ろしいだけじゃなく、畏れの香りすら含んでいた。一方でケイトはいつものケイト的コミカルさが割と出ており、それこそが逆説的に前述の畏れ要素を裏付ける。常にニヤニヤしている怖さですよね。なんか高市総理とかにイメージは近いかも。

そしてそんなケイトが心の奥底に秘めていたシンデレラへの嫉妬。実写版だけのシーンだと思うが、奥行きが出ていていいと思った。惜しむらくはそんなことセリフで言わないで欲しかったけどね。ラストの彼女の顛末を考えると、上記に加え、シンデレラの「あなたを許すわ」というセリフもめっちゃ邪魔。ケイトたちは追放される以上、全く許されてないので主人公が気持ちよくなるためだけのシーンになってしまっているからだ。

 

というか当たり前だが、全体的に役者陣の演技はめちゃくちゃよかった。そして演技で話を分からせて進めていくのが最近の実写リメイクには全くできていないので偉いと思った。そういう意味で、さすがケネスとは言いたいのである。だが、アニメ版があって後追いになっている以上、話の展開は同じになるのでここまでやってもようやくトントン。クリエイティブには新規制がなくては…!

で、ディズニー実写リメイクには一応、意義的な意義があってそれは何かというと、語り直しによる当時の価値観の是正です。まぁ言うても50年近く前の作品。ウォルト・ディズニーがどうなのかは知らんが、少なくともアメリカ本土的にはまだ様々な差別の土壌、空気感が蔓延していた頃だ(今でもそんな感じするけどな。相対的にね。)。そんな空気感のもと作られた危険なメッセージ性を、「当時はそうだったが、今は別の価値観を持っている、変化している」と宣言することは大切なことだと思う。

じゃあ『シンデレラ』で是正して欲しかったのは「美醜」の価値観。こち亀の両津が散々言っているが、このシンデレラという話は「シンデレラが外見が美しくてよかった」感、身もふたもない感じがある。もちろん、それだけでなく、シンデレラは心の優しい人間で、虐められても祈り続け、気丈出会ったからこそ最後に成功できたわけで、「それだけじゃねぇよっ」と言いたい気持ちはよくわかる。わかるし、俺もどっちかというとそっちタイプで冷笑には乗りたくないんだ。だが、じゃあ果たして、「見た目が良くてよかった」というメッセージを一切与えない作品なのか。両津のように感じる人が一定いてもおかしくないとも思う。そんな要素が全くないわけではない。誤解と言えば乱暴だが、そんな感覚を与えてしまう作劇ではあろう。第一、ヴィランの二人の娘はすごく醜く描かれているのだ。

そこにキッパリ!とノーを言わねば。わざわざ2015年に作り直す意味とかないのでは?。と言ってしまうと、そうなのだった。あんまりその問題が解決していない。それが2015年の実写リメイクであった。

もちろん一定のアップデートは見られる。それこそ上述の「アナスタシアとドリゼラの見た目問題」は改善されてたが、これって、アニメ版以前の原作からしてそうだ。アニメ版から対して変わっていない結末なのでなんとも言えないが、シンデレラは見た目じゃない、美しい心を持っていたから上手く行ったのだと言い切るような終わり方を目指せなかったものでしょうか。まぁ「ふぅ〜。可愛くてよかったぁ。」ということであれば俺も度々「ふぅ〜。イケメンでよかったぁ。」と思うのでまあ「あなたを許すわ。」と言ったところかね。やかましいわって話だが、本作の実写シンデレラにもそんな印象を抱いたわけで。

 

そんなところでした。身の回りの「褒め」勢はフェアリーゴッドマザーがシンデレラのドレスを作るシーンをすごく良いと言ってるが、そんな特筆すべきでもなかったかな。というかこれはアニメ版が素晴らしすぎるのか。もちろんわるくもなかったよ。でも実写版で心に残ったのはやはりケイトでしたというお話。

 

アニメ版についてはあんま言いたいこととかはないかな。改めて見直すと、思ってたよりシンデレラが魅力的だったんだなと感じたりした。そのくらいでしょうか。

ラストシーンの違いについて述べると、みんなが知ってるおとぎ話に加え、この実写版ではシンデレラの靴のサイズがピッタリ合うというのがラストだが、アニメ版は違う。アニメ版はその意外性で最後までワクワクさせてくれたし、実写版はそのアニメ版の結末に行きつかないようにするのでどうするんだ?と新鮮に思わせられた。まあ童話と同じ方法になるんだが。一応、童話も二パターン読んだが、あんま言えることもなさそうなのでちゃんと読んだということだけ記録。

おすすめ…ですかね。まぁ実写とアニメ連続では見ない方がいいかも。収まりとか諸々気になるので。暇な時になんとなくどちらか好きな方を見るべき。そしてその記憶が薄れるであろう1年後くらいにもう片方も見よう。新鮮に見よう。

【感想】『ブリング・ハー・バック』/頑張れ子供達!ブリング・ヒム・バック!

 

タイトル:ブリング・ハー・バック

  監督:ダニー・フィリッポウ

     マイケル・フィリッポウ

  形態:映画

既か未か:未

 

『ブリング・ハー・バック』みた。

 

俗にいうYouTuberのフィリッポウ兄弟。彼らの監督作品2作目。前作『トーク・トゥ・ミー』はちょっと見てない。というかホラー映画自体をそんなに見ていなかったので(今後見ていこうかなと思ってはいる)これからは頑張る。ホラーといえば、ジャンルものに値すると思うんだけど、自分にとってのジャンルものはすでに「アメコミ映画」が存在するのでそれでお腹いっぱいだったんだ、今までは。今回は最近見てるyoutubeとかで取り上げられるらしかったのでなんとなく見た。面白かった。

 

最近、ディズニー実写リメイク縛りを行なっていて、それだけしか見ちゃいけないルールのもと頑張っている。だが、いかんせん、どれも全然面白くない。全然面白くないは言い過ぎだが、だいぶ弛緩した作品が多いので毎度毎度げんなりしながら見ているのだ。こういうと、んなもんやめろよと言われるかもしれないが、自分なりのルールを作って自分を縛るのもまた人生にメリハリをつけて楽しくする方法の一つだったりする。で、縛っているとはいえ、映画館で見るのは例外かと思って本作を見に行ったら面白すぎて感動した。平常時じゃこんなにも限度を超えて楽しめたかは微妙だが、面白かったことに変わりはない。

2年前、アメコミ映画縛りをした時も、最後の駄作詰め合わせの後に見た『ナイトクローラー』は砂漠を彷徨った後にようやく見つけたオアシスのようで最高だった。本作もすなわちそれである。実写リメイクの海で気絶しかけた後にした息継ぎはやはりいつもに増して格別だったのだ。

 

ネタバレあり

 

父親を亡くしたアンディ(ビリー・バラッド)と目の不自由なパイパー(ソラ・ウォン)の兄妹。二人は里親となるローラ(サリー・ホーキンス)のもとで暮らすことに。ローラの家には言葉を話さない不思議な子:オリバー(ジョナ・レン・フィリップス)が一緒に住んでいて、二人の弟になる。ローラの不思議な振る舞いやオリバーの不気味さなどが増していくにつれてアンディは不信感を抱き始める。ローラにはかつてパイパーと同じように目の不自由な子・キャシーがいた過去があった。怪しさが増していくが、アンディは後3ヶ月で18歳になりパイパーの後見人となれるため、ひとまずはそれまでの辛抱だ。

 

儀式ホラー!。初めて見たのか記憶がないのかはわかんない。タイトル『ブリング・ハー・バック』の通り、とりあえずの主題は儀式によってローラが亡き娘キャシーを取り戻そうとするお話。男女問わずであるが、年増のせいで若い子が酷い目に遭うというシチュエーションはすごい嫌なので見てらんない感じはあった(褒め言葉ね)。特に本作のアンディは結構救いがない感じで終わっていくので辛かった。アンディが死んだ後も、俺は「アンディなら生きてるはずだ」「ここでアンディが助けに来るに違いない」と希望いっぱいで見てたけど、パイパーちゃんは自力で頑張ったね。俺にとっては「ブリング・ヒム・バック」であったわけである。パイパーもか。

 

やっぱ序文でディズニー実写リメイクを貶してしまったのでそことの違いを述べると「映画を見ている」感ですね。「画面を見させる」力とでもいえばいいのかな。冒頭、パイパーちゃんが画面に背を向けた状態でその場の女の子たちに話しかける。ガールズの反応はなんだか嫌な感じ。そしてパイパーの顔が映し出されると目が不自由であることが観客に明かされる。これでガールズの反応に説明がなされる。わざわざ言葉にしなくても、パイパーの特性と周囲からの扱われ方を飽きさせることなく映している。

こんなもん説明してる側からすれば、当たり前なんだが、やっぱそれを例えば、俺が映画を撮ろうとしたらできない可能性が高いわけで、すげぇなぁと思う。フィリッポウ監督(兄弟)はYouTuberで富豪にも関わらず、映画を撮る際はそんなに天狗ではなく、数々の現場を回ったりしてしっかり勉強したらしい。好感が高い。インタビューでは「一作目の『トーク・トゥ・ミー』の時は現場でめちゃくちゃ舐められてたが、今回は尊重してもらえたぜ!」って言っててほっこりした。だから、そういう感じではなく心から映画楽しかったです。これが今見てる実写勢だと割と足りていないなと思うわけです。

他にもこっちの感覚をうまいこと外してくれるシーンが多く、見ていて退屈になるシーンが少なかった。いわゆるジャンルもの、儀式ホラーでタイトルの時点でやることは観客側に完全に伝わっているのに、上手く引っ張られた感じ。「オリバー少年の存在の謎」や「儀式の詳細」といったマクロな部分はもちろんなんだが、それ以外にもローラとアンディ&パイパーが仲良くなるパーティシーンなど、「見ていたい」と「どうなるんだろう、誰が悪なんだろう」という引っ張りが効いていた。特に上述通りのパーティシークエンスがすごく良かった。一触即発状態のアンディとローラがお互いに歌って飲んで、相互セラピーを通じてお互いの内面に迫っていく。そして眠るアンディ。ローラはアンディが後見人になることを阻害するため、おねしょ偽装を行う。この「二人仲良くなりそうだな→え?」みたいな突き放され感がいいね。

 

そんな感じでディティールもすごい良かった。んですがやはりA24印。個人的な勝手なイメージですが、A24と言えば、「セラピー」ですね。そうでなくても個人の「メンタリティ」の話に長けているイメージはある。最近見たのは『終わりの鳥』ですかね。この映画も本作と同じく、「娘の死」を母が受け入れることに関する映画だった。本作はそれに加えて、アンディ少年のドラマがあるわけだが、ラストシーンの美しさを考えると本作はローラの話に他ならなかったのかなとは思う。キャシーの死体を抱えたまま茫然自失にプールに浮かぶローラの姿は、「なぜこいつはお咎め無しなんだ?」とは思いつつも美しさはすごかった。

儀式の詳細的には生き返らせたい死体と同じ死に方をした死体を用意して媒介者(今作の場合:オリバー)を通じて魂を口移しする。みたいなものなんだが、人件費がエグい。キャシーと同じく目が不自由なパイパーを上手いこと見つけたローラだったが、明言されないもののどうやら兄妹の父を殺したのもローラだったっぽい。根回し。オリバーもまた、誘拐してきた身寄りのない子供だったっぽいし、執念がすごいな。大切な人が戻ってくるのなら人はどこまでのことができるのか。そんなことを腕組みしながら考えていた鑑賞体験でした。その喪失にどう向き合うかってのがやはり「セラピー」ですので、結末含めA24だなと感じた。

ただ、俺にその喪失は推測ってなお余りあるものの、大切な人を取り戻すために誰かを蹴落とせる感覚にはちょっと同意できないかなぁ。色々考えてみたつもりだけど、やっぱちびっ子が、なんにも悪くない幼気なキッズを大人が利用するのは本当に無理だ。ローラは作中で確かなだけでも2キルして儀式が成功していたらそれが4になってたわけだ。やっぱ冒頭にも書いたが、年増のせいで若者や子供がめちゃくちゃになるのは現実で嫌というほど見てきているので、映画の中ではせめて痛い目にあって欲しかったな。

 

調べてみたところ、いわゆる中年女性大暴れ系映画は「サイコビティ」に定義づけられるらしい。どうなんだろう『サブスタンス』とかもそれに当たるのかな?。ちょっとこの分野に全く明るくないどころかホラー映画にも明るくないのであんま言えることはないわ。ただ、『サブスタンス』でも感じたことだが、男性の身勝手で道が行き詰まった女性がその大暴れを我々男の観客に消費される点にはなんとも言えない気まずさとゲンナリ感を感じるのも事実だ。今作もあんまり男性が出てこない。フィリッポウ監督の上手さというか「余計なことは語らん」イズムの存在によってそれぞれが片親になってたんだと思うが、それがローラの孤独に繋がっていると感じるとなんとも…。かつての仕事仲間のウェンディがいい人っぽかったので仲良くすれば良かったのにね。執念以外の発露がありえたはずだ。

 

後、役者陣が全員めちゃくちゃ良かった。オリバー役のジョナ・レン・フィリップスのモンスター形態と人間形態の切り替え力よ。サリー・ホーキンスは『パディントン』のイメージが強かったのでもしかしたら怖くないのかも?なシーンが多かった。ちゃんと怖かったけど。ビリー・バラット、ソラ・ウォン兄弟に関しては言わずもがな。なんかすごく褒めたい気分だ。

 

そんなところでした。痛てぇーとか嫌だなぁみたいなシーンはありつつもなんやかんや最後までちゃんと見れたのでホラーもいけるのかなと思い始めるきっかけになった。ありがとう兄弟。『オブセッション』とか『バックルームス』も気になってるので見に行けそう。本当サンキュな!

ちょっとジャンルに明るくなさすぎて何言ってんだか行ってないんだかわからない感想にはなってしまったが、たまにはあり(たまにかは諸説)。おすすめです。見るべき。映画館でみよう。2回みよう。夜の回で見よう。

 

 

【感想】『刃牙道』14〜25話/ガチ勢武蔵、本格批評を行うも仲良しサークルに嫌われるの巻

タイトル:刃牙道

  原作:板垣恵介

  監督:平野俊貴

  形態:配信アニメ

既か未か:未

 

『刃牙道』14話〜25話見た。

 

先日書いた『トイ・ストーリー 5』が激しくアクセスされている。こんなもん劇薬だ。別にバズりたくてやってるわけではないが、流石に俺にだって承認欲求はある。一個前に『リズム天国』の記事を書いたわけだが、これまた、世間ではバズってるコンテンツ。二連続で劇薬を飲んだ俺がこんな誰が見てるともわからんアニメの感想を書くのはだいぶ引け腰である。『刃牙道』好きな人にはごめんね。

というのもこのコンテンツが面白かったら話は終了なのである。だって進んで感想書きたくなるから。問題は本アニメが問題作だったことにある。感想書くにあたって1〜13話の時はどんなこと書いたのかなと思って見返したら結構褒めてた。確かに前半はすごく面白かった。刃牙シリーズの風呂敷の広げ方のうまさはさすが人気漫画だけある。そして序盤〜中盤は何度も見れるんだな。漫画アプリで無料になるから何度も読み返すし。逆に後半は必然的に印象が薄くなる。だから、前半の期待値と後半をはるか昔に読んだ朧げな記憶で前半配信時点の俺の『刃牙道』評価はだいぶ上昇してたんだなと思った。

thesame226.hateblo.jp

というわけで今回後半を目の当たりにしたところ、「あまり良くない」が感想でした。別に「面白い」です。面白くはあるが、あんまり良くない。ちょっと好きな人には本当に謝りたいし、否定する気はないが俺の感想はこれだ。とはいえ、『刃牙道』を好きな人がいたとして、『刃牙道』だけを手放しで好きな人はいないんじゃないかと思う。好きな人も言いたくなることはあるんじゃないかな。そして『刃牙道』を好きな人もさすがに「最大トーナメント」や「幼年期」、「死刑囚」を上回るわけではないだろう。

 

そんな武蔵編。ちょっと文句多めですが、楽しんだところは楽しんだし、感想書こう。

 

 

ネタバレあり

 

 

前半の良さは確か「シリーズのインフレ調整」、「武蔵の現代とのギャップという軸」にあると言った気がする。そしてそれは後半においても途中までは良かった。俺は珍しいかもしれないが、武蔵が警官殺し始めるあたりが結構好きなんですが、その辺はちゃんと良かったです。

というか、後半のあらましを文章化すると、

「ピクルを屠った宮本武蔵。そこに超実践柔術にて古の戦いを理解した本部が挑む。本部が武蔵を下した後、武蔵は現代とのギャップを感じ始める。自身の時代とは違い「斬り上る」ことができないのだ。かくして混乱した武蔵は「国取り」を始める。警察を虐殺する武蔵。その仇討ちに手を取るヤクザもの花山。花山との戦いが終わり刃牙はついに気づく。「武蔵はここにイチャいけない人だ」と。刃牙は武蔵を殺すことを決意する」

めちゃくちゃ面白そう!!!こんなあらすじのアニメが見たい。全体プロットはすごくいいのだ。じゃあ何がダメか?演出。アニメのじゃないです、原作からして。

 

まず本作はあんまりエモーションが最大化されないと思う。最大化されるとはどういうことか。前半で一番良かったのは「烈海王vs宮本武蔵」。名バトルだと思う。烈海王は消力が武蔵に通用するかというドラマを一つ持っている。消力がバトルのキーになっているのだ。だから消力の本領発揮を楽しみに見る。そして初の武器解禁というルール。ここには烈の愚直さと武蔵の本気がうまいこと絡んでいる。「どうせ戦うなら本気の武蔵」という愚直さ、そして武蔵にはついに真剣という本番を。だから、エモの最大化が消力本番〜君たちは剣を掴んでいるのあたりに来るのだと思う。ここで最も重要なのはエモを阻害する要素がないということ。

後半で描かれるのは「ピクル戦」「本部戦」「警官戦」「花山戦」「刃牙戦」。ピクルは本部の前座なのでおいておくと盛り上がりきれなさが全バトルにあった。本部戦はそもそもぬるっと始まりぬるっと終わる。本部の「何を使ってでも勝つ」という誠意は大変良くて楽しい。んだが、決まり手に必然性が薄い。裸締めで決めるわけだが、それ以外の技と違って決定打になったという描写が薄く、「あれ?これで終わり?」と思った。匙加減バトルになってしまってる。「警官戦」は好きだったが、あんまり景気良く虐殺してくれない。2,3人切って開放なので武蔵の「ギャップ」が全く伝わってこない。「現代とのズレ」ではなく、「話は通じそうなヤツ」感があるのだ。「花山戦」はそういう意味では阻害要素は薄いんだが、武蔵に違和感。後述しよう。「刃牙戦」なんて言わずもがな。

 

武蔵の性格の一貫性が途中で無くなったのも問題の遠因に挙げられる。前半ではそれがいい意味で味となっていた。「最強なのに俗物っぽい(褒美や名声を目当てにしている)」「人を殺すことに戸惑いがないのに相手を尊重している」。まぁ他にも定期的に散眼していたり、一眼でわかるかっこよさが薄かったり。これらは全部武蔵の「異質さ」を強烈にしている良い演出だったと思う。そしてこの異質さが「強さの差」ではなく「現代との差」だとどんどんわかっていく構成はやっぱり上手いなと。そうなるとセオリーとしてはこの後「その差が決定的なものになる(武蔵への突き放し)」か「その差に苦しむ武蔵(武蔵への主観的共感)」が作品を取り巻き始めるのがいいんじゃないかな。前者を意識してみた場合、警官虐殺の際は警察にちょっかいかけられていたり、そもそも徳川のジジイが無理やり生き返らせたしなぁとか思ったり。逆に後者を意識した場合、作中キャラが武蔵に厳しすぎる。刃牙の最後の同情も「上から目線」なんだよな。

そしてその一貫性のブレという意味ではこの人、戦い方がブレすぎてる。それも上述の通り、「最強」の名の下に前半では許容できたんだが、話が締まりそうになると見逃せねぇぜ!武蔵は卑怯になったり真面目になったりするのだ。「本部戦」では真面目。なぜなら本部の罠に引っ掛かる必要があるから。「花山戦」では卑怯。花山の気質を逆手に取るように斬りまくる。「刃牙戦」では真面目。投げられた剣を受け取った隙をめっちゃ刈られる。これって「勝つために、もしくは楽しんで」戦い方がブレてるならまだ好意的に受け取れるんですが、負け戦でそれされると「匙加減」にはどうしても感じる。「刃牙戦」での隙狩りで他のブレが全体的に悪印象になった。負けるために真面目になったんやと思うので。

 

あと、細かいところで言えば、観客リアクションが身内キャラageが多く、後半からはノイズになった。「っぱ、花山だの〜」とか「それしかないだろ」だのという、いわゆる観客目線=視聴者目線のセリフは見ている我々が勝手に心の中で思うので邪魔しないでほしい。これも、見ている我々の感情をビタイチで言い表してくれるなら気持ちいいもんだが、エモーションが最大化されない以上、こっちとしては割と冷めた目で見ているので勘弁してほしい。特に徳川のジジイが喋るシーン。ことの元凶がこれまた何をおっしゃるのか。あと、純粋に小っ恥ずかしい感じがある。

 

そんなところでした。書きたい本題!このアニメはどんなアニメだったかというと、ガチ勢武蔵が仲良しサークルに入って、メンバーから求められるように振る舞っていたら激しく嫌われ始めるというアニメだった。推し活の現場とかに近いな。ともすると、完全にこの構図はディズニー作品にも繋がってくる。つまり、『トイ・ストーリー 5』を批評的に見ること、楽しんでみることとの間の隔たりにも近いのだ。冒頭の駄話に意味が誕生した。なんか、この前、ある映画の話題になって、「正直な感想を聞きたい」と言われたから、「個人的な感想だけど」だとか「楽しんだ気持ちを否定するつもりはなくて〜」とか、「と、俺は思った、あくまで俺としてはね」だの気を遣いまくりながらも批評的意見を語ったら相手にブチギレられた。いやねぇ、こっちも悪いとは思いますよ…。でもサ。これは烈に真剣で来てほしいと言われたから遠慮なく斬り殺した武蔵が憎まれ始める構図と近いのでは!?笑。

まあ御託はさておいて、この楽しくみるか(推してみるか)批評してみるか(引いてみるか)問題は現代でも脈々と受け継がれているわけですよ。そしてそこに曲がりなりにも決着をつける一つの答えが「違う場所にいる」という感覚。刃牙の「武蔵さん…あんた、ここにイチャいけない人だ」はそんな明確な答えだと思うし、すごくいいセリフだ。これ、どっちがいいか悪いかとかではない。ただ、前提が違うだけなんですよ。そして、武蔵を殺すという刃牙の決断はそれこそ、そのギャップを尊重して全力で相手取るという最高の展開だと思う。どっちの意味と取るかは微妙だが、「相手の土台にあえて合わせるという誠意」もしくは「自分と相手の土台の違いを理解しながら、あえて相手の土台を否定する誠意」だと思った。

というか、そういう話だったイメージだったので『刃牙道』前半時点ではすごくワクワクしていたのですよ。ただ、実際見てみたらどちらもが損する決着ではあった。まず、ラスト付近で「刃牙の感覚が正しい」ということが作中で急に担保され始める。花山戦での刃牙の怒りとかね。どう考えても怒りより先立つのは好奇心で生き返らせたことへの「後悔」や「懺悔」など、もしくは土台の違いに対する「恐怖」か?。そのギャップというものに対する反応のメインが「怒り」だと土台が違うという仕方なさに無自覚っぽく見えてしまう。その上で後だって刃牙が「俺たちだって悪かったっすよ…」とか言い始めるので、上から目線に見えてくるという二重のダメさ。

一方で武蔵もなぜか与えられた「悪人」としての役割を楽しみながら演じ始める。武蔵はいって仕舞えば、前提の違いに対する混乱が当初はあった。なのに、自覚的に刃牙たちを挑発したりし始めると、それはまた違う話になってくる。かと思えば、警官も頭を殺して帰させるとか、謎に理性的なこともしていたりしてさらにわからない。警官見逃しは「戦国の時代の常識」なのか?(大将さえとれば戦は終わる的な?)なのか?と思うが、それは無自覚の悪(現代にとっては)なわけで、自覚的な振る舞いと矛盾する。

なんだか、ガチ勢武蔵の出現で「これまでの刃牙たちの戦いは茶番でした」みたいな話になった後に慌てて軌道修正されたけど、俺たちの心は修正されない、みたいな感じだった。まぁそう考えると、やっぱ問題提起とか風呂敷の広げ方はすごくいいね。その調子で演出も頑張ってくれ。本部は作品の出来を守護れ。

まあ後、武蔵とピクルのシーンは本当に良かった。

 

というわけでした。どうやらラストの展開的に『バキ道』やる気は薄いらしくて安心した。相撲編、途中で飽きちゃって最後まで読んでないんですよね。でもその代わりに、漫画版だと相撲への逃げで誤魔化されてたラストが「徳川のスピーチ」で締められるので視聴後感は最悪だった。ポジショントークにしか聞こえないのよ。次アニメやるとしたら、やっぱ最大トーナメントみたいので『グラップラー刃牙』リメイク作ってほしいですね。漫画はもう読んでないので今どうなってるか知らん。高市首相っぽい人が出たらしいですね。今アニメも出す意味はなかったが、トランプから逃げなかったのは偉いと思う。出す意味はなかったが。だって勇次郎が強い意味が今やあんまりなくなったからね。武蔵的に「作中最強」を出して比べ合うならまだしも、そんなことはないわけだし。

 

以上ですね。まあ色々考えたり、やっぱ印象には残るアニメなのでおすすめです。みるべき。正座してテレビでみよう。それか通勤・通学中に1話ずつみよう。

【感想】『リズム天国 ミラクルスターズ』/主観感想・控えめな祭り。ぴょんぴょん、ぐっぱ。

 

『リズム天国 ミラクルスターズ』した。

 

タイトルに主観感想とか書いたけど感想が客観である必要ないよな。だって感想なわけだし。

 

リズム天国シリーズはすごく好きなので最新作も買いました。感想を書きたい!結論から言うと、シリーズ内では一番下かもしれない。ただ、本作がことさらに酷いというよりは歴代作品がすごく良かったので相対的に下に置かざるを得ない感じに近い。とはいえ、なんだか今作は(世間的にはともかく)個人的にはプレイ体験があまり盛り上がらなかったなぁという印象は拭えず。一応、記事を書いてる時点でオールパーフェクト自体は達成したので批判的意見書く権利くらいは得ただろうと思い書くぜぇ。

 

前提として、歴代4作品はやったことある程度の知識です。世代的にはザ・ベストプラス。ただ、リズム天国って個々のゲームが楽しいものなので力づくでDSiを手にいれGBA版の初代も完遂した思い出。オールパーフェクトは歴代で達成したことなかったです。ただ、Wii版はオーパフェしなきゃできないエンドレスゲームがあったので先輩の力を借りて達成はした。自力ではない。思い出書きたいな、先に思い出書きます。このブログは客観性ゼロの主観落書きなので思い出から書こう。その次に今作の感想だ。

 

歴代『リズム天国』シリーズのネタバレあり

 

 

思い出

『リズム天国』(初代)

初代版リズム天国。思い出を書きたいと言いつつ、上記の「頑張って手に入れた背景」以外の記憶は薄い。近所のゲーセンにアーケード版があったので途中まではそれで100円入れてプレイしてました。今の「リズム天国感」はゴールド〜みんなの間で養われた感じがあり、若干の別物臭もする。するが、おなじみのカラテ家や虎伝立國だのはこの時期から出てるし、「リズム脱毛」とか、「パチパチ三人衆」だの『ベスト+』に移植されたやつは「お馴染みの!感」がすごい。逆に別物感がすごいのは「クイズ」(移植されてるが)とか「ナイトウォーク」(これも移植されてるわ)とか?途中で終わったりブツギレしたりするとこ。

いろいろ調べてるうちに思い出してきたが、調べる前からすごく覚えてたのは5thリミックス。すごくかっこいいよね。あと「ポリリズム2」がめちゃ難しかった気がする。というか、調べてみても意外と覚えてなかったゲームがなかった(そもそもゲーム数が少ない)。「ラップメン」とかはガチで覚えてなかった。

 

『リズム天国ゴールド』(DS版:以下『ゴールド』)

タッチペン型リズム天国。弾く感覚が難しかった。色濃く覚えている「ロッカー2」の急にボタンを使ってくるところ。いまだにパーフェクトはおろか、全部で最高を取れていない。思い出せないが、応援団が出てくるどこかのリミックスと上記の「ロッカー2」で苦戦しすぎて諦めてしまった。

初代にも通ずることだが、『ザ・ベストプラス』が初見だったので知ってるゲームの2がいっぱい収録されていて興奮した。「ボックスショー2」とか「ブルーバーズ2」。あと「しゅぎょう2」も大好き!エンドレスゲームの虎伝のやつもすごい好きです。

 

『みんなのリズム天国』(Wii版:以下『みんなの』)

世代の人がネットに多いからだろう、インターネッツで最も神作認定されてる気がする作品。もちろん名に違わず。ただ、テレビとの接続で遅延が気になる。俺はWii Uでやってたが、テレビじゃタイミングがうまく合わないのでゲームパッドの画面にしてた覚えがある。

大好き。むしろ嫌いなゲームをあげた方が早いくらいで嫌いなのは「バッティングショー」。数数えるのやだなのよ。「ロケットゼロ」もそんなにかな。リミックスがすごくいいいよね!な作品。とはいえ、全作品リミックスはいい。それが覆された感じがするのが今作『ミラクルスターズ』なのだというネガティブな反応も残しつつ。

あと、二人用エンドレスを一人でやっていた悲しき過去も。船のやつとカンフーボールはちょうど良い難易度。ボッサレシーブはむずすぎて泣いた気がする。

 

『リズム天国 ザ・ベストプラス』(3DS版:以下『ベストプラス』)

不評度がダンチ。でも初めて触れたのもあって俺はすごく好きだ。具体的にどこが不評かというと、「なぜか挟み込まれる邪魔なストーリー」や「チュートリアルが長い上にリミックスがないこと」。他にも「パフェモードのだるさ」とかいっぱいある。で確かに後からだが、機能面はかなり劣っているなぁというのは納得した。「2」の量も少なくて物足りないし。

でもじゃあどこがいいとこかっていうと、個々のリズムゲー(新規は少ないものの)の完成度は歴代作品に比類する良さ!。まあ全体的にいいんですが特にあげたいのは「かえってきたフルーツバスケット」「かえってきた通訳者」「かえってきたマキネコ」「ダンスホール」「てってってパンパン」「ゐあいぎり伝説Ⅱ」。リミックスも数は少ないが最高です。「ファイナルリミックス」は涙なしには語れない(と言いつつ過去作はこの後にやったわけだが)。チャレンジトレインもだるかったが好きだった。オーパフェ阻害ゲーは「マシーンリミックス」後半の脱毛が早くなりすぎて連打が追いつかない。

 

 

そんな思い出でした。じゃあ感想。

良かったところ

リズム天国が帰ってきたところ

正直、最新作が『ベストプラス』だったので2度と続編は出ないのかな?なんて思ってた。だからダイレクトで発表された時の感動はひとしお。しかも新作ゲームをいっぱい引っ提げて帰ってきた。嬉しい。

なんとなくの方向性の変化こそあれ、大きくシリーズが変わったりもしてなかったし今後も継続して発売されてほしいなと期待を持つことができて良かった。

 

ナイトモードの追加

これはそこそこ嬉しかった。過去作でも目瞑りゃいいだろと思われるかもしれないが、ゲームモードとして実装されて達成したことが記録されるのが嬉しい。やっぱリズム天国は音楽にノッてなんぼのとこはあるのでナイトモードの求められるのは聴力のみの状況が楽しい。純粋に難易度アップでもあるのでやりごたえあって楽しいし。解放がかなりめんどくさいけど、解放さえすれば無限に挑戦できるし、解放する頃にはそのリズムゲームのことを覚えてるので特に問題にならない。と言ってるのは視覚的な情報が必要なリズムゲーをまだやってないからかも。現在ないとクリアしたのは「PETなわとび2」と「ダンサー2」、「下ごしらえ2」だけ。全部音楽が好きで何度もやれるやつ。

 

ビートスペル

いろんな人が言ってるが、楽しい。難しいけどね。今やってる所感ではエンドレスゲームがないっぽいのでやりごたえ要素はこれに一任されるのかな?。面白いから別にいい。でも、ナーラのランダムダンジョンが難しすぎるからどうにかしてほしい。

音読ちゃん

あんまりプレイ中は使わなかったが、歴代チュートリアルキャラの中で一番好きかも。読み上げ方のリズム天国感もすごい。

 

主観的なところ

あんまり盛り上がれるリズムゲームが少ない

なんだか少なく感じた。だいぶ主観的だし、慣れたら好きになれるのかもしれない。でも今のところは何度もプレイしたい!と思えるリズムゲームが少ない。上述したナイトモードを開放してるゲームはとても好き。他にも挑戦中の「会話2」とか「コロコロ行進2」、「ケロケロロケット2」とかも楽しかった。でも打率は悪いような気がする。今上げてる好きなやつも歴代ゲームと比べてしまった時に「ホールインワン2」みたいな「このリズムとなら死ねる」くらいのやつは無いし、墓に持っていけるリズムゲームの量が少ない。個人的で主観的だが、歴代シリーズと張れるかな?ってのが「ダンサー2」くらい。「なわとび2」がギリ。

そして書いているとわかる通り、1が全滅。今回、多分全リズムゲームに2がある。これは嬉しいんだけど、一方で1が結構無味になっちゃってる感が否めない。言っても歴代は2があるゲームは1が無味なんてことはなかった。どっちかというと『ベストプラス』のチュートリアルっぽい感じがする。

主観的で直感的だからなぜ盛り上がれないのかよくわかんないんだけど、似たような意見持ってる人はいるっぽいのでその人たちと俺は同志。

 

ボリュームが多い

リズムゲーの多さは嬉しいんだが、ボリュームという意味では一個一個のリズムゲームがなんだか長めな気がする。気のせいだろうか?。だから割と疲れた。タイトなゲームと長いゲームが共存してるのが魅力だった気がするが、今作はタイトな曲なかったかな…。で、楽しい曲なら長くてもいいんだけど、大体が盛り上がりきれない感じなので単調になってしまう。オールパーフェクトとる時も若干虚無った。そして、今作の良かったところの裏返しになるが、「ナイトモード」の存在が裏目に。なぜかというと、このモードを解放するためには同じゲームで3回連続でパーフェクトを取らなきゃいけない。最初のパーフェクトキャンペーンとは別にだ。ということは完クリするためにはナイトモード含めてプレイヤーは5回同じゲームでパーフェクトしなきゃならない。そのゲーム一つ一つが長いとなるとそこそこ苦痛。今クリアしてる中でも「なわとび2」はある程度タイトだったから楽だったが、「下ごしらえ2」とかはだいぶ長かった。

ちょっと主観的すぎたがざっと(YouTubeで雑に)調べてみたところ、『みんなの』と比較すると、「タイトル〜パフェ演出まで」で『みんなと』は2分前後が多く、1分半〜2分半のゲームがほとんどだった。平均は2分弱かな?。一方で『ミラクルスターズ』は2分以上がベースで1分50前後がちょろちょろ、平均は2分20くらいになりそう。いって仕舞えば、20〜30秒くらいの差があるので直感的とはいえ間違ってない気がする。

 

単調な気がする

気がするだけ。でもなんか、今作のリズムゲームはやってて驚く仕掛けが少なかった。「リミックス9」だかの「今後のゲームを断片的に入れ込む」のは楽しかった。Adoのリミックスの仕掛けも良かったね。個別のリズムゲーム単位で見れば意外と仕掛けはあるのか…?。ちょっと歴代と比べてどうかは思い出せない。

でもリミックスがあんまり楽しくなかったのは気になった。「リミックス20」がぬるっと終わったのもびっくりした。8かなんかの時ともう一回とエンディングが2,3回あって「え?これで終わり?」と拍子抜けしかけて「なんだ、まだあるのか」を繰り返した。なので「20」終わった時もこれからなんかあるのかなと勘違いしてしまった。パーフェクトもぬるっとできたので歴代のラストリミックスで一番印象に残らなかったのが残念。

あと、リミックスごとのデザイン変更があったりなかったりするのは『初代』オマージュなのだろうか。リミックスで絵柄が変わっていないとちょっと損した気持ちになる。今作はこれで行くのかなと思いきや、「リミックス5」とかで急に着替え出す。と思いきや、そうじゃ無い時もある(そっちの方が多い)ので断続的に期待が裏切られる形にはなった。

 

 

そのほか

何だか主観的なこと多めで書いてしまったのは歴代シリーズをとても楽しんだからなのかもしれない。なんか今作簡単な気はした。少なくともオールパーフェクトは前提でつくられてるのかしらな気がする。パーフェクト殺しがないのよね。法外な連打を強いられるゲームがなかった。歴代だと「忍者」とか「シューティング2」、「マシーンリミックス」がこれに当たります。

簡単か難しいかはネットとかで論争が起きてた。判定がシビアになったとかの話もあったが、そんなことはないと思う。思うに『ベストプラス』が視覚的に判定を掴めたので前作よりは難易度アップしてるのかもしれないが、判定自体は変わってない気がする。

目押し殺しとも言われてるが、それは別にそれでもいいと思う。目押しでクリアしてもあんま楽しくなかったりするし。

 

歴代リズムゲー全員参戦の完全移植版でねぇかな。それか、また早めに新作出してほしいと思った。そう思えてるのは本作が文句言いつつも2日でクリアするくらい楽しかったからです。何やかんや、新作出してくれてありがとう!!つんくは大変だと思うけど、遅すぎると完全に世代が変わってしまうので結構頑張って開発してほしい。ってかこんなに新規ゲームなくてもいい。『ベストプラス』みたいに過去作で傘増ししてくれていいので打率高めで頼む。別に過去作でもリミックスで混ぜまくれば新しくなるわけだから。

 

以上。おすすめです。買うべき。2本買おう。

【感想】『マイケル』/パパの圧がすごい。「含み」が開花するのかは今後。

タイトル:マイケル

  監督:アントワーン・フークア

  形態:映画

既か未か:未

 

『マイケル』みた。

 

『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットしてから脈々と続くミュージシャン伝記映画の最新作(別にシリーズ化しているとかではない)。キング・オブ・ポップと名高い一方で晩年は「お騒がせセレブ」としての烙印を押されていた印象。実情のところは目の当たりにした当事者感がないので他のミュージシャン映画の例の如く、「こんな人がいたんやなぁ」の気持ちで見た。

ミュージシャン伝記映画を見たのは『ボヘミアン・ラプソディ』以来なのでそれとの比較しかできないが、難しい題材だと思ったりもする。というのは、関係者の描写や、問題をどう描くかだ。フレディも劇中では、極悪人ポールに誑かされていた感じになっていたし(実際はそうじゃないぽい?)、監修に入ったブライアン・メイが聖人みたいな描かれ方をされてる感じもした。

さらに映画としてのエモを重視するのか、史実を重視するのかといった問題もある。それこそ、実際、映画ではライブエイドは死期を悟ったフレディの天国への階段にも近い演出になっていたが、現実だとライブエイド時点では自身のエイズを知らなかったっぽい?とか。私はマイケルファンか映画人かどちらかと言われると、当然映画好きとしてみにいったので史実がどうかとかどうでもいい。面白かったら(実在の人物なので必要以上に悪辣でない限り)、なんでもいい。

 

この映画はマイケル・ジャクソンの小児性愛疑惑とかについては書かないとのことで合意が取れているらしく、その辺は仕方ない。妹ジャクソン(ジャネット)とかが出てこないみたいな恣意的な部分も割とあるが、映画が面白ければさえいい。

そういう意味では、パフォーマンスこそすごく、歌も良かったけれども、シナリオとしてはだいぶ違和感が残るザラついたかみごたえの映画だった。『ボヘミアン・ラプソディ』とすごく比べてしまって申し訳ないが、『マイケル』の宣伝でその名を謳ってるので遠慮なく比較させてもらう。もちろん、『ボヘミアン・ラプソディ』ってガチすごかったんだなと思う結果にはなっていた。楽しみはしたけどね。

 

ネタバレあり

 

ジョセフ・ジャクソン(コールマン・ドミンゴ)は自身の5人の息子たちを躾けて音楽バンド「ジャクソン5」を結成する。歌が上手い末っ子のマイケル(ジュリアーノ・クルー・ヴァルディ/ジャファー・ジャクソン)をリードボーカルに据えたジャクソン5はどんどん栄華の道を進み、次第にマイケルの才能が注目されるように。父の指導は体罰をも含んだ苛烈なもので辟易していたマイケルはソロデビューを検討し始める。"キング・オブ・ポップ"の伝説が始まろうとしていた。

軸は後述として、全体的に散漫な印象は持った映画だった。『ボヘラプ』の中盤でディーキーが「Another One Bites The Dust」を思いつくシーンがある。それにより、メイとフレディの喧嘩が収まり、俺たちQUEENは良曲のためなら一致団結!という展開なんだが、フレディの孤立というテーマから浮いてて「なんでこんなシーン入れたん?」と思った。史実だから入れたいのはわかるがね。『マイケル』は全編そんな感じの印象すら持った。それはやはり、ラストで全てが結実した感じが薄いからだ。

 

結論から言ってしまうと、最後の「Bad」で全てのエモが噛み合わさらなかったところが残念な部分。『ボヘラプ』でのラストって「We Are The Champions」なんだが、もう、泣きながら「フレディ!そしてクイーン!お前らはチャンピオンだ!!そして観客や俺らも!」な気分になれる。まあ「Bad」って「俺は悪だぜぇ」みたいな曲で一応パパジャクソンからの離反として納得はできるんだが(「Bad」が実際は悪に関する曲じゃないとかの話はまたいつか。この映画でどう理解できるかだ)。

 

本映画の基本プロット、映画を貫く軸はパパジャクソンとの確執。これはすごく良かった。コールマン・ドミンゴ演じるパパジャクソンの憎たらしさが最高。パパは自分の子供たちをスターにすることに命をかけており、まだ弱い小さいマイケルたちをジャクソン5として売り出すべく、虐待と同一の指導を繰り返していた。パパはマイケルに何度も「目を見て歌え!」と注意する。マイケルは父と目を合わせて確執を乗り越えられるのか、もしくは有害な父から逃げることができるのかというドラマ。

パパは結構最高(最低)で身内に死ぬほど厳しく、それが外でも漏れ出る感じがリアル。さらに息子たちの成功を完全に自分の手柄だと思っており、サーカスの支配人の如くマイケルを支配する(上手いこと言おうとしたが「支配」がダブったな)。ベルトで叩くという前時代(実際に前時代の映画だし)の体罰を繰り返す。この映画で3,4回くらい、「家で楽しそうなマイケル→なってた曲が急に止まる→振り向くとパパがいる(パパは空気が読めないので笑顔)」みたいなホラー天丼を繰り返していて流石に2回目からは笑ってしまった。

本作は独立をしようとするマイケルvs自身の手元にマイケルを残したいパパの戦いで、マイケルは消極的にパパへ反抗。秘書を使って勝手にパパをクビにしたり(ブロ削するかのように)と「目を合わせることができない」マイケル。そんなマイケルがラストライブで「ジャクソンズ」からの脱退を宣言。パパを見てニヤリと笑い、そのあとはパパのことなんて眼中にないといった終わり。

 

まぁいいんだけどサ。やっぱ、パパとの確執を解いてほしかったね。本作は続編でパパとの和解を控えているからか(史実では和解したらしい?)パパとマイケルの確執がかなり一方的なもので終わっていて不満。パパは体罰クソ親父なのでそんな奴にはこんな扱いで十分!といった考え方もあると思う。でも、本作はそれにしてはパパの描かれ方が一筋縄じゃないんだよな。

マイケルは動物を愛するあまり、家でチンパンジーを飼うことに。ドン引きする家族たちと裏腹にただ一人、「それがマイケルらしさだ」と言わんばかりに満面の笑みのパパ。ただ、パパジャクソンを悪人として描くにはこの辺のシーンが良すぎるんだよな。つまり、マイケルとパパの関係は「毒親と息子」の範囲には絶対に収まっていないと思う。もっと複雑な関係だ。この描かれ方がすごく良かったからこそ、決着の不満感が大きい。

父との和解ねぇ。それかどうせ「Bad」流すんだから、ちゃんとワルやってくれればそれはそれでいいのよ。監督も『イコライザー』のアントワン・フークアな訳だし、パパボコボコにして「Bad」でも良かったのよ。パパは上述の複雑な良さとともに、全くへこたれんので「お前はもういい加減にしろ笑」と思ってたのも事実だし。

 

メインとなるのはパパだが、この映画はこんな感じで面白くなりそうな材料は割と多いが調理が下手。似たようなことは例えば『トロン:アレス』とかでも思ったことある。だが、「こうすれば面白くなったのに」が半ば妄想に近かった『トロン』に比べて、『マイケル』は「こうしそうだったのにやらなかったぞ…?」というシーンが多い。これは編集とかでおじゃんになったのか、わからんが制作がうまくいってなかったのでは?という気もする。

例えば、なぜか回収しなかったのがマイケルの幼さゆえの危うさ。ずっと「ネバーランド」を夢見ていルシーンや家の中の大量の動物、ディズニーがそうだ。ネバーランドなんかについては「ピーターパン」において卒業すべきものとして置かれているものでもあるのでマイケルがいい歳して「ネバーランド」と言ってると居心地の悪いものがある。会議室で一人だけオレンジジュースを飲んでたりね。

これらはマイケルの実際の通りだと思うし、「神」に近い存在としての芯からピュアなマイケルを写したからこそであるとも思うんだが、なんだか暗い部分も感じたよ。こっちが感じたというより、映画が描きたがってるのか…?という。だってポカポカしたピュアとして描きたいなら、マイケルがバブルス迎え入れる時、みんな笑顔にしてればいいもんね。ドン引きする家族を写したんだ。映画において映されるものは大体が「あえて」のものだからな。

 

そしてまさかの「伝説は続く」。実在する人物の伝記映画でシリーズかなんかすなよ!とは思う。一本で終わらせろよ。それか事前に何部作にするか言っとけ。

とはいえ、というかだからこそと言ったところか、「これ、続編で回収すんじゃね?」という考えが浮かんだのも事実。それならこの一作はあえて違和感を詰め込んだものとして見ることは可能かも(だから事前に言えよって話ではあるものの)。

 

そんな感じ。流石に歌はめちゃくちゃいいが、有機的に組み合わさって「それまでの展開を見てきたからこそ、最高の曲だ!」って感じよりは「別にこのシーン単体で見ても楽しめるな」と思った。だから、劇場でライブの中継されてんのと同じ感覚。それが悪いとは言わない。ただ求めるものと違ってたってだけだ。

ということで次に楽しみなのはやはり「The beatles」の伝記映画。これガチで楽しみ。作って欲しいのはボウイとか?あんま音楽に詳しくない。ディズニー好きだからアラン・メンケンとかどうすかね。

【感想】『トイ・ストーリー 5』/違和感あった人全員集合!『トイ・ストーリー 6(かそれ以上)』へ向けて。

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タイトル:トイ・ストーリー 5

  監督:アンドリュー・スタントン

     ケナ・ハリス

  形態:映画

既か未か:未

 

『トイ・ストーリー 5』見た。

 

流石に知らん人はいないレベルのピクサー作品。ナンバリング的によく言われるのは1〜3が最高で4がないだとか。ただ、これは日本国内では言われがちなものの世界的には4も普通に受け入れられてる印象。個人的には3直撃世代なので4を初めて見た時は複雑な思いもした。けど、持ち前の逆張り精神により、4も悪くないやんと思い始めるように。実際、今では普通に好きくらいの作品ではある。流石に1〜3には劣るものの。4については単独でブログ書こう。

 

そして5。以前『私がビーバーになる時』の感想記事で書いたが、発表された時はバズが50体出ることを聞いて「トイストーリーもシャークネードみたいなシリーズになったか…」と思ったりもした。だからあまり期待してなかった。とはいえ、なんやかんやトイストーリー大好きなので公開1週間前くらいにはワクワクし始めたし(ちょうどその再上映で期待してた『スーパーガール』があんまだったのも拍車をかけた)、なんやかんや初日に走って見にいった。

thesame226.hateblo.jp

座組的にはトイシリーズお馴染みのアンドリュー・スタントンがついに監督に。もうずっと関わってるもんね。スタントン的には3は全然完結作のつもりでは作ってなかったらしい。まぁポジショントーク感あるけどな。だから4ができて、それこそ4が完結作になったのかなと思いきや5だからね。

今回はジェシーにフィーチャーするとか。あと、タブレットを出すという話ね、いうて、トイストーリーなんかおもちゃの実存危機をずっと描き続けてるので対して目新しいテーマでもない。

 

ピクサーニュース的にはジャパンプレミアでウッディの声優の唐沢寿明が「おもちゃで心なんか動かん」みたいなことを言っててめちゃくちゃ面白かった。横に世田谷ベースでよろしくやってる所ジョージがいるんだから尚更。

 

ネタバレあり

 

 

あらすじ

おもちゃで遊ぶのが大好きな女の子:ボニー(スカーレット・スピアーズ)。お気に入りはのおもちゃジェシー(ジョーン・キューザック)バズ(ティム・アレン)で遊ぶ毎日だったが、周りの子供達はおもちゃ離れしタブレットに夢中。そんな中で、友達ができないことを心配したボニーの両親はボニーに最新タブレット「リリーパッド(グレタ・リー)」を与える。リリーパッドにはまりおもちゃと遊ばなくなり始めるボニー。ジェシーは自身が必要とされないことと、ボニーに「本当の友達」ができるかということに不安になり始める。そんな中、ボニーの部屋から旅立ったウッディ(トム・ハンクス)が助けを求められ戻ってくる。

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総論

すごく泣いたシーンがあったんでそこは後述するとして、全体的には「凡」だなぁという感じ。近年のディズニーの続編商法。それらとなんら変わりはなかった気がする。「気がする」というのは俺はトイストーリー好きなのでそれなりに楽しんだからだ。これが『ズートピア2』とか『モアナ2』の時は違ったのよ。元の映画の「映画それ自体」が好きだったから、新たな面白さがない弛緩した感じの続編に文句も言えた。でも、トイストーリーはキャラが好きとか、結構人生に食い込んでる作品ではあるので、見れるなら嬉しい。今回なんかは「50体のバズ」(発表当初こそ不安だったが、「仲間になる」との情報を聞いてワクワクが勝り始めた。)が実際最高だったので結構楽しんだ事実はある。

そこまで楽しんだのにも関わらず、「これってマッチポンプだなぁ」というメタ目線が入り込んでしまったのも事実。映画としても4のような挑戦的な内容ではなく、完全に置きに行ってた話だったし。テーマ的にも過去作で既に言ってることとなんら変わりないので映画的には無に等しい。ここ2,3年で結構あったやつと同じ。『ズートピア2』であり、『マリオギャラクシー』であり、『マインクラフト』だ。この辺の功罪は後程語るとして、一旦映画の内容にスコープを当てたい。

 

置きに行った答え

今作は3終盤にてウッディたちの持ち主となったボニー(ウッディは4で離脱したが)が、電子デバイス「リリーパッド」にハマっておもちゃたちの危機!という内容。だから先述した通り、いつも通りおもちゃたちの実存的危機のお話。これが、1だったらウッディ目線のアンディにとってのバズだったし、2だったらジェシー目線のエミリーにとっての化粧品だった。

もちろん、いわゆるデジタルデバイスとその他のものはもたらしうる影響に関して全く違う。さっき言ったバズだの化粧だのはあくまで辿り着く先であってウッディたち個人はともかく「おもちゃそのもの」が不要とはならん。一方、デジタルデバイスは全然赤ちゃんなんかも使いうるわけで、脱おもちゃ社会の構築に王手をかけていると言ってもいい。まぁただ、今作はそんな話しない、しそうなんだけど着地は結構煙に巻かれて全然違うところに行き着く。のでこの議論は無用だ。

 

じゃあどんなお話かというと、ボニーに友達ができるといいなという話。ボニーは自閉症っぽく、おもちゃを大切にしていることも含めていわゆる「変わった子」だ。アンディとの交流のようにおもちゃをきっかけとして他人と仲良くなるのが先時代の「当たり前」でそうならそれに乗っていけるんだが、なんせ今はタブレット世代。おもちゃで遊んでいるボニーは馬鹿にされてしまう。両親はボニーに友達ができないのを心配してリリーパッドを与えると、パッドのチャットなどであっという間にボニーにはお友達ができる。でも画面の向こうにいるのはおもちゃでなんか遊ばない子だ。お泊まり会が開催されるも、ボニーはオキニのおもちゃジェシーを持っていくことを断念してしまう。

この感覚結構わかるわ。子供っていうのは意外と残酷で人の「好き」を尊重したりはもちろんできない。そして「流行り」にしか見向きしない。俺が子供の頃も公園に行くとみんなゲームをしていてそっちが優勢だった。し、俺も混ぜて欲しくて借りたりしていた。俺は奇跡的に環境に恵まれていたので、ゲームを持ってきてなくても友達が貸してくれたり、同じく外でのゲームが禁止されてる子が多くて缶蹴りしたりしてたんだが、もはや絶対にそんな時代ではない気がする。

(このブログは自語りが多いし、自語りするためにブログしてるので以降も少し話すが)、俺は幼い頃からずっとディズニーが好きだったし、アンパンマンからの卒業も遅かったので「オタク」として生きてきた。そんな「変わった子」の俺が集団内で価値を出す方法は「変わってるけど面白いやつ」として生きる方法だ。オタクたるものナードではなくギークであれというのがMyルールでありがたいことに今までいじめられたこととかはないんだが、トキシックな方法でもあるよなとは思う。というのもこれは自己価値を自分で否定しに行くようなものであるからだ。割とメタ的認知が得意な方なので他者評価によって自己の内面の価値は規定されないと理解しているから俺のメンタルが危うくなったことはあんまりないけど、いつかそうなる可能性もあれば、そもそもそれが難しい子だっていっぱいいるだろう。だから集団に入っていけなかった子は残酷だが今までいっぱい見てきたしその中の一人こそボニーなのだ。(逆に俺みたいなタイプなのが本作でのブレイズだと思う。俺は聖人ではないけど。)

じゃあそんな子が友達を見つけるにはどうすればいいのか?この問いに対してピクサーとは思えないほどに保守的で引け腰な答えを出すのが本作。「同じく変わった子と友達になればいいし、その友達を見つけてくれるものこそSNS」というのはそりゃそうだが。そりゃそうすぎてある種、現状追認的というか何も言ってないに等しいよね。これ。おもちゃが生み出すワンダーを期待する作品にしては「あら?」と言った感じの終わりではある。別にダメだ!と言いたいわけではないけどね。4みたいな身を切ってまでかましてきた熱いメッセージや、3のような全ての都合よさを隠してあまりあるほどの完璧さはないよな。

結構元も子もないことを言うと、安定したことを言ってシリーズを自作に続ける下地を整えたなという結論でしかない。しかし、それって2のラストと同じ結論を先延ばしにした話でしかないし、もっと言えば、2は「先延ばしにした結果をあえて語らない」という懐によって規定されていたので、それが3,4で語られた後の5で言われてもガチで「おっす」という話である。

 

過去作の語り直し

2っぽいとの話から連ねると、先述した構造的な2っぽさに加えて、もう一つのテーマとして言ってることも割と2に近い。「いつか子供はおもちゃを忘れたりしてしまうがその時がなくなったわけではない、必要な時にそばにいることこそが尊いのだ」ってやつ。そもそも、今作は2で初登場したジェシーが実質の主人公である。さらに2でジェシーを寄付しちゃった子供:エミリーの話まで出てくる。エミリーなんてのはウッディにとってのアンディのジェシー版でしかも昔の話だからもう終わった話だったんだがここにきて掘ってくるとは。ポケットの中を弄ったら出てきた感じか。

先ほどの件でお泊まり会に持って行ってもらえなかったジェシーを偶然拾った老夫婦。急遽降ってきた設定「ジェシーのズボンの裾にエミリーが住所を書いていた」が活かされ老夫婦はかつてエミリーが住んでいた場所にジェシー(とブルズアイ)を届ける。そこに住んでいたのは先出しちゃったがブレイズという少女でありおもちゃで遊ぶのが好きな子だった。

まあそこは置いておくとしてリリーパッドによってクライシスに陥るジェシー。エミリーの時と同じだ(アンディの時も似たようなこと言ってたぞ)。色々あってジェシーを取りにブレイズ宅にやってくるボニーだったが、おもちゃ遊びをいじられる嫌な気持ちを思い出してジェシーを受け取らずに帰ってしまう。ドカショックを受けるジェシーはかつてエミリーと遊んだ丘を目指す。エミリーも自分を忘れてしまった。だが、そこである事実に辿り着く。

ネタバレありと言いつつこれはネタバレしないが不意を突かれて泣いてしまった。前になんかの記事で「泣いたといいつつ涙はあんま流れない」だの書いたが今回はちゃんと泣いてしまった。嗚咽。そしてこそジェシーは先述のテーマに気づくのだ。

だけどね。これ2で言ってたぞ。そして3と4で「もし実際に捨てられる時が来たら?」までやってんのよ。感動はしたけど、「なんか聞いたことある話だな?しかも似たような映画で」と思う不思議な時間だった。そしてこれってアンディでも同じことできるんよな。もっかい感動させられるわけだ。これってマッチポンプではあるよね。メタ的に見てしまうってこういうこと。構造が出来上がってんのよ。

こんなもん、極論だが、この後ジェシーが捨てられる時にウッディ的レリゴーをすればまた他のおもちゃで同じことして一生続けられんのよ。で、その度に俺たちオタクは泣くというわけ。別にアンディの息子の名前がドクターポークチョップだとしてもそれなりには泣けると思うわよ。

 

安定してて波風立たないからこそ気になる粗

そんなトイストーリー5。だから粗も割と気にはなっちゃうわけ。例えば、前述したジェシーに降ってきた設定なんて、「2で博物館に寄贈されるときに消えてるはずでは?」みたいに思ってしまうのよ。そして電子デバイスに驚くおもちゃたちの存在。『トイストーリー 2』は実はレックスが電子デバイスでゲームをするところから始まっていたりする。なんなら、PCくらいならボニー宅(ボニーの部屋だったかは忘れた)にあるし。サブキャラたちの出しときました感は健在だ。この辺は理屈づけは全然可能なんだが、忖度したくなるのは映画が良かった場合の話だよね。もちろん良くはあったけど、こうも弛緩した映画だと気になり出すんだな。

そしてその最たるものが本ブログにまだ登場していないキャラたち。ウッディ、バズ、50体のバズだ。あとスマーティパンツとか。なぜ登場しないかというと、テーマを書くうえで必要でもなけりゃ補強してるわけでもないからだ。50体のバズやパンツなんかは「おもちゃとデバイス」の境界を揺るがす面白い設定のキャラだが、具体的には活躍しても抽象的にテーマに影響を与えたりはしない。ウッディとバズなんかはファンが怒るから出しましたよくらいの感じでもある。いや、嬉しかったし楽しかったけどね。話し上必要ではないわけよ。そこは切り離さなきゃ。『スーパーガール』におけるロボと同じ。

サブキャラたち(ポテトやハム、スリンキー)なんかは前作での義務的な活躍以上に虚無で寂しかった。こっちとしても活躍しないなら出してくれなくてもいいのよ。寄付されていなくなったとかしてくれてもいい。寂しいけど。でも、これまではレニーやウィージーなどがそうだったわけで受け入れれないことはない。サニーサイドに行ったっていいんだ。正直、それ以外にも過去要素を拾ったと思われる「ウッディとバズの不仲要素」はよくわからなかった。そんなイメージなかったので。声優が変わったので誰が言ってるかわからんかったが、「あいつらの喧嘩、懐かしいなぁ」と言うシーンは知らん声のやつが知らん懐かしさを懐かしんでて奇妙な気分になった。もしかしたらシリーズ一個くらい飛ばしちゃってたのかなと。

 

明確な不満点というか違和感を述べると、冒頭性急じゃなかった?。目覚めるバズ軍団→ジェシーの過去→ボニーみたいな感じで時系列がぐんぐん回ったり、テンポが変なところが多かった。この違和感は『マリギャラ』とかでも感じた。でも、さすがピクサーというべきか、その変な違和感は中盤以降は無くなってたかな。ウッディとバズという大御所が映画を安定させてくれた感じもあって、その逆サイドでジェシーが自分のどうの話を動かせるというどっしり感は良かった。

 

でも割と楽しかった。手放しで肯定していいわけではなさそう。

そんなところ。なんだか不満ばかりになってしまった。良かったところはなんと言っても「50体のバズ」でしたね。実のところテーマにあまり噛んでこないので登場意義は少ないが、楽しいんだから仕方ない。アホさがいいのよ。

お気に入りのシーンは言葉を覚えるシーン。「スター」「コマンド」のとこ。あとは「嘘だああ」も良かったね。爆笑しちゃった。もちろん、おもちゃとしての幸せを見つけるところも良かったし。

というか保守的とはいえ、保守的な良さはある。4と比較すると志は低いがケレンな楽しいシーンは多いのが5と言えそうだ。どっちが好きかと聞かれると真剣に悩むが、3部作には叶わないね。

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なんやかんや楽しかった5。でももう俺の中で『トイ・ストーリー』シリーズは特別なものじゃなくなったね。という感じはある。新作が公開されるとワクワクゾクゾクし、死ぬほど悲しんだり衝撃を受けて引きずる。そんな作品ではなくなったのだった。ぬるま湯シリーズにはなったのだ。

ディズニー温泉に浸かる日々。他の映画の違和感に対して、今作の「あ〜こういうことね」感はデカかった。トイストーリーの本質的な価値は薄れた気がするけどね。「飛んでるんじゃない!」のオマージュは普通に苛立った。あとポスターで「時が流れても変わらないものの答えがここに」とか言ってたが、「知ってるよ!(ニッコリ)」と思ってた。1からずっと言ってるし。4の時の「本当のトイストーリーを知らない」もそうだが、「エッッ!」と純粋にノリたい気持ちと「やかましいわ」という本音がせめぎ合う。

まあ要は限りなくネガティブな言い方をすると、今後はトイストーリーというカニではなく、トイストーリーっぽいカニカマを楽しむフェーズになったっぽいということだ。多分、今後はこれがカニカマからカニカマのふりかけに変わっていったりするんだろう。トイストーリーっぽくて無難に楽しめる作品群が増えていくのを見守るだけだ。

 

正直、ネガティブになるべきかどうかわかんない。というか俺の『トイストーリー』はやっぱ3で終わってて、4はボーナストラックだったんだな。という思い。5は2代目よ。おもちゃの物語を書き連ねた1〜3、少し歪でありつつも「ウッディの物語」を補完したおまけの4。そしてシリーズを一生続けていける下地を整えた5。

こんなネガティブな言い方をしてるが、別に新作が出るなら走って見にいくし。感覚的にはスパイディがトビーからアンドリューに変わったみたいなもんよ。いつかノーウェイホームがやる可能性だってある。

ディズニー温泉はどんどんぬるま湯になって行ってるのを理解しつつ、ファンとしてそれと共に死ぬのか否か。現状予定されてる続編群。それらが魂こもった作品なのか否か。個人的には及び腰の佳作より勇み足の駄作の方がどうしても愛したくはある。そんな駄作こそが今後まだ見ぬ奇跡を起こす可能性があるのだからね。

映画の感想でよく、「ラーメン屋に行ったらラーメンが出てきた作品」という褒め言葉がある。トイストーリーもそのカテゴライズに入ったな。でもトイストーリーシリーズは本来シェフの気まぐれメニューを食べに行ってめちゃくちゃ美味しい料理が毎回出てきてた感じなので今後はマンネリとの戦いだね。少なくとも今作に関してはこの映画のスタンスと同じく、俺自身の答えを出すのは先延ばしさせていただくことにしよう。6楽しみ。多分7も8も10くらいまではやるでしょ。

 

最後に言いたいことがあるとすれば、『バズ・ライトイヤー』のリソース使って50体のバズのミニシリーズ作ってくれた方が嬉しかったことに気づいたということで。時代を超えて最新バージョンが存在するという事実がわかった以上、『バズ・ライトイヤー』をアンディが見た映画であるという無茶な設定も「バズシリーズはアンディが生まれるなんかよりももっと前から存在していて、アンディが見たのはターミネーターでいう新起動みたいなもんだった」というエキセントリック擁護が可能になりましたね。

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thesame226.hateblo.jp

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【感想】『シラート』/レイヴとスノッブと解脱。あとバカ(俺)。

タイトル:シラート

  監督:オリヴァー・ラクセ

  形態:映画

既か未か:未

 

砂漠で行われるレイヴパーティに参加したまま失踪した娘を探す父ルイス(セルジ・ロペス)と息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)。会場が危険区域となり、軍隊が押しかけたため捜索は中断、レイヴ自体も終了に。そんななか、スピーカーを持ったレイヴァー達はその場から脱走、次のレイヴ地を目指して砂漠の中へ。ルイスとエステバンは次の会場に娘がいることに賭け、一か八か着いていくことに。

 

ネタバレあり

 

『シラート』みた。

 

ネタバレ厳禁!って言われてたやつ。とはいえ、あらすじ自体にそんな感じはなく、また、映画の性質上ネタバレすることが面白さを半減することはないと思う。とはいえ、銘打たれている通りの「衝撃」はあったので映画館で何も知らずに見るのが吉。

 

そもそも「シラート」とはなんぞや。というと、天国と地獄の狭間にある橋のことらしい。そして、それは髪の毛よりも細く剣よりも短い。この説明が冒頭に出てくるが、なんのことやらと思ってると終盤でモロのシーンが来る。

そして、なんなら「レイヴ」ってなんやねんといったところでもあり。不学ながら知らなかったので調べると、ダンスミュージックを流し続けるパーティらしい。開始直後から、しばらくダンシングミュージックが流れて楽しそうに踊る若者達が映されるので楽しさは伝わってくる。フェスみたいなもんか。

 

あらすじの通りルイスとエステバンはレイヴァー達に着いていくことになる。そんなわけで、前半は次の目的地を目指して車を走らせるロードムービー風味。レイヴ離散を命じられて、軍隊に補導されて一様に並ぶ参加者達。そこから抜け出すレイヴァー達に着いて行くことに賭けるルイスとエステバンのシーンが凄く良かった。「パパ!行って!」みたいなところが。人生というものは割と即物的なもので、とにかくこれに賭けるしかない!ということが多々ある。本作『シラート』は結構そういう即物映画でこのシーンがそれを象徴していた。というか、そもそもレイヴ自体がなんか即物的っぽい。

 

前半のロードムービーは普通に楽しい。俺はロードムービーがそもそも好きだから。『マッドマックスFR』とか。この映画も評論家に『マッドマックス』ぽいと言われてた。そういや、『スーパーガール』もそんなこと言われてて、またかと思った。

そもそもルイス達の車は砂漠に適さないため、中盤で何度も行き詰まる。石に引っかかった際は、レイヴァーが「俺がなんとかしてやる」って言ってるバンパー引っ剥がしてて笑った。その後もなんやかんや助けてくれるレイヴァー。レイヴァー達に憧れ始めるエステバン。それをあんまり快く思っていない父。構造が見えてきた感じがする。

あと、好きなとこは車の中でデザートを当て合う父子のとこ。ルイスがエステバンにどーっちだってやってエステバンにオレンジを渡す。どうやら後ろで入れ替えてたらしく、優しい父だなと思ったら、ルイスは反対の手に持ってたチョコレートを食べ出す。それに対して、エステバンが微妙にキレるとこ。文章化すると難しいんだけど、そんな絶妙なシーンも楽しめました。

 

そういう構造が引っ剥がされるのが中盤以降。結構びっくりしたんだけど、息子エステバンがヌルッと死ぬ。崖を行く一行が一旦車の修理をしてた際に、車に残ったままだったエステバン。車が勝手に動いてしまい?(この辺俺はウトウトしてた。)そのまま崖から落ちてしまう。

先述の通り、前半は面白かったけど割と疲れてたのもあって眠かった。と思ってたら急にエステバンが死んでしまうので衝撃で飛び起きた。

 

途中から、当初の「次のレイヴへ行く」や「娘を探す」といった目的はもはや完全に後景化し始める。ルイスなんかは最愛の息子エステバンを凡ミスで失ってしまったため、もはや生きる目的も絶え絶えでレイヴァーたちに励まされたりする。当初はレイヴ音楽を聴いても「よくわからん…」といった感じの頑固親父だったルイスだが、そんな好みだとか目的、身分、もう全部引っ剥がされて砂塵に持っていかれる感じ。決して懐柔みたいな感じじゃないのよ。もう全部、砂漠が持っていっちまったからなって感じ。

 

冒頭のレイヴでノリノリになって楽しかったんだからこそ、終盤はさらなるレイヴ(?)を求めたがるのが人の性。そんなわけで楽しみにしていたんだけど、結局一同が会場にたどり着くことはなかった。どうしようもなくなった一同。水はあと少しーーーー。

もう踊るしかないッ!スピーカーを設置して「俺たちのレイヴ」を始める一同。ルイスもなんとなく音楽に身を任せて踊り始める。そんなわけで始まる終焉のレイヴ。俺も身を任せて体を揺らしたりしていたら…。レイヴァーの一人でめっちゃかっこよかった姉御(名前忘れた)が突然爆発。駆け寄ったもう一人のレイヴァーも爆発する。ここは地雷原だったのだ。

ガチで何が起こったのかわからなかった。音楽に乗ってたら急に爆発して姉御がいなくなったので宗教的に何かしらと一体化したのか、解脱したのか?と思ったりもした。寓話的に終わったのかなとか。でも残念ながらまっすぐ現実で地雷を踏んでしまっただけなのだった。言葉だけじゃ表せられない衝撃となんか、それだけじゃない変な感情がのっかってるので見てほしい。

踊ってる場合じゃねぇッ!この即興感いいね。

 

行くも地獄、帰るも地獄の一同。向こうのほうに岩場が見えて、岩場なら地雷もないだろうが、そこまでどうやったら辿り着けるのだろうか。一歩一歩が死と向き合った一歩。なかなか動き出せない一同だが、ルイスが呆然と歩き始める。ルイスが歩くたびに変な音楽が鳴って楽しさと急な爆発への不安の混ざり合ったよくわからん感情で画面を見守る俺。ルイスは結局、安全なところまで辿り着いてしまった。レイヴァーたちにどうやったのか聞かれてもわからないルイス。「なんか歩いてた。」多分、解脱的な無心状態。ってのもあるだろうし、もう息子を失い、娘もいなくなったし、どうでもよかったんだろう。そしてそんな無気力よりもさらに強い疲れ。疲れや呆れでもう全部どうでもよかったんだろうな。

レイヴァーの一人は残念ながら地雷を踏んでしまうも、同じように目を瞑って無心であり続けようとした者たちは無事岩場まで辿り着け、難民を運ぶ列車を見かける。列車に運んでもらい、国外へ脱出するところでこの映画は終わる。

 

面白かったです。今年の映画だと、上半期ランキング記事でも書いたが、『ウォーフェア』に似てると思ったね。轟音で見てる俺を否応なしに当事者にしてくる感じが。ただ、戦争の虚しさと意味のなさ(こっちの方が重要)を伝えるために、終始ストレスフルな印象を与えてきた『ウォーフェア』に対して、こっちは割と可笑しかったりするシーンもあって全体的にシュールだった。どっちがいいかは人によるよね。

 

thesame226.hateblo.jp

 

こうやって文章化してみて、まぁどんどん読み解くこともできてきたわけだが、見ている時はそんなロジカルな理解よりも、全然エモく楽しめた。とういか、見てる時はガチで訳がわかんなかったので、映画のキャラが即物的に行動するように俺も即物的にこの映画を楽しんだ。だから、割と映画の原初の楽しみはすごく享受できた気がする。

調べてみた感じ、メッセージやテーマを読み解いてる人がいる一方で、この映画にスノッブを感じる人も多いらしい。俺はスノッブという言葉を知らなかったので調べてみると、「知識や教養をひけらかす者」的なことらしい。そうなんだ。ともすれば、俺としてはロジックを読み解けなかった以上、スノッブにすらとどりつけていなかったことになる。別にいいけどね。だからと言って「スノッブになるくらいならこうやって何も知らない方がマシだよね」とも思わん。普通にもっと頭が良くなりたいなあ。

一方でいい映画はロジカルに見るよりも先に「なんかわからんけどこの映画…いい!」となるのでそんな映画にもいっぱい巡り会いたいと思った。訳のわからん映画にももっと会いたい。そんなわけで見にいってよかった映画『シラート』でした。人生、踊るしかねぇよな。