
タイトル:レンタルファミリー
監督:HIKARI
形態:映画
既か未か:未
『レンタル・ファミリー』みた。
泣きました。厳密には涙腺がうるうるしただけです。これは厨二くさい言い訳ではなく、ただ、発端は厨二の頃の話で、映画で泣くことがダサいと思っていた俺は映画を見て泣くことができなくなってしまった。心は揺り動かされるが冷笑的に回ってしまっていた過去のせいで涙がこぼれてはくれない。俺は感情を爆発させる力を無くしてしまった。それは俺が「偽物」だからかもしれない…。映画に合わせて上手いこと言おうとしたが今なお残る厨二性が発露しただけだった。
最後に映画を見て泣いたのは世間的には『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボトーちゃん』ということにしている。なぜなら、本当はその後も一度だけ泣いたが、それは『STAND BY ME ドラえもん』でだったからだ。自分の感情は大切にしたいと思いつつも、この映画の小手先で泣かせるやり方は気に食わんのでなかったことにしたい。なにが「ドラ泣き」だよバカが。あと、言い訳するなら泣いたのはラストではなく、ドラえもんがのび太との別れを予見するシーンだ。ラストの落とし所でしっかり泣いたのは『ロボトーちゃん』が最後。
涙腺がうるうるするようになったのも結構最近で、この流れに乗っていつか映画で号泣したい。この理性が先行してる時点でもう俺は偽物でしかないな。昨年は『リロ・アンド・スティッチ』のOP、『ファンタスティック4』のOPでそれぞれうるうるしました。言っとくが『リロ』は嫌いだ(アニメは好き)。
今回、前文が長くなるが感動したからなので許してほしい。俺はこういう、「偽物」映画が大好きです。なぜなら俺が偽人間だからだ。偽物の感情、偽物の身分、偽物の悲しみ。紛い物だ。偽って似せるからきてたりすんのかな。偽物はどうやったら本物になれるのでしょうか。現在身を置いている場所は正直、個人としては身分不相応な場所であり自身のアイデンティティが揺らぐことが多い。偽物という依代をかぶって言い訳してるだけの俺がそこにいるのかもしれない。
本物になるということはそのものになって自身を押し殺すことでは当然ない。むしろ、偽物、本物という概念的分類から飛び越えることでオリジナル=本物になれる。誰かの真似をしてるうちは偽物の檻から抜け出すことはできないのだ。まあこの辺は後々語ろう。
ブレンダン・フレイザー作は残念ながら未見。HIKARI監督作も見たことないがクリップしてたドラマ『BEEF』の共同監督だったので早いとこ見ておこう。
ネタバレあり
東京で暮らす落ち目の俳優フィリップ(ブレンダン・フレイザー)。日本での生活は早7年となるが自分自身を見失いかけていた。そんな中入ってきた仕事は「悲しむアメリカ人」。指定された場所は葬式会場だった。葬式は本物ではなく、棺に横たわっていた男が起き上がったことに驚くフィリップ。この場を取り仕切っていたのは多田(平岳大)という男だった。多田は「レンタルファミリー」という会社を経営しており、フィリップをヘッドハンティング。「レンタルファミリー」は「感情を売る」会社で多田が欲しかったのは白人の男性だ。フィリップは最初は嘘をつくことを拒むも、段々と人をレンタルする仕事について理解を深めていく。
レンタル〜は海外は知らんが、こと日本においてはかなり活気づいているビジネスだ。退職代行も一種のレンタルビジネスだろう。感情労働の行き着いた先という感じがするな。もちろん、悪いこととして言いたいわけではない。ただ、現代においては、人々は関係ない他者か関係ある身内かの2択に矮小化されがちなので、そのような社会性がレンタル人間の需要を生み出しているのだろう。
フィリップは微妙に社内の雰囲気の悪い「レンタルファミリー」で働くこととなる。「レンタルファミリー」は用途に応じて「その役」を演じる俳優を貸し出すサービスだ。大きな仕事は初めてのお仕事編の花婿役、そして娘の父役、おじいちゃん俳優の記者役である。これら三つの仕事は直接的には交わらないものの、有機的に結びつき、フィリップの何かを変える。
「レンタルファミリー」の社内環境の悪さは絶妙にリアルで、普通に社会に出たくないなと思わされてしまう。社長の平岳大は『キャプテン・アメリカ/ブレイブ・ニュー・ワールド』にて現実ではあり得ないほど好戦的な日本の首相役を演じた。その圧が残った感じでフィリップ含め、社員の失敗に対して絶妙に嫌な空気を纏う。後述するウェディングの件もそうだが、フィリップのミスとはいえ、彼のつぶらな瞳を見つめるとかわいそうだなと思ってしまう。さらに後述だが、本作は「日本アゲ」系ではなく、割とフラットな目線が多くて良かった。こういうジメジメした感じを書くところがまさにそうだろう。
フェイク葬式で平岳大に「レンタルファミリー」に誘われたフィリップは興味本位で会社を尋ねてみるも、平岳大の微妙すぎる態度を察知し、また、フィリップは俺のように「正しさ」に囚われてる人なので嘘をつくような真似はできないとして帰ろうとする。前者に関してはHIKARI監督自身の痛烈な目線だろうが、岳大はフィリップのことを「トークン・ホワイト」になればいいと述べてヒヤッとする。アメリカで白人だらけの作品に念の為配置しておくだけの黒人を「しゃべる黒人=トークン・ブラック」と呼ぶ。ちなみにサウスパークにはトークン・ブラックという名前の黒人がいる。からの名前は差別要素だと思っていたら、実は視聴者側の聞き間違えでトークンではなく、トールキンだと明かされる。「サンドマンは白人が聞き間違えた名前だ…。」
レンタルファミリーは社長の多田、そして社員の愛子と光太の3人体制だ。ただ、おばあちゃんがどうのとか電話してたので出てきた3人とは別に所属してる俳優もいるっぽいな。
始めたばかりなのにいきなり変えが効かないレベルのでかい仕事を振られるフィリップ。嫌な職場だ。それは婚約者役だった。女性・佳恵さんは偽の新郎役をフィリップに依頼。偽の結婚式を演じねばならない。しかし、罪悪感等諸々からフィリップは混乱してしまい、当日にしていなくなる。この時の社員3人の焦り方とギスギスがリアル。岳大は「でかい白人見なかったか!」と周りを探し回る。愛子がトイレで閉じこもっているフィリップを発見。怖気付くフィリップに喝を入れる。佳恵さんにとってこれは嘘ではなく、チャンスなのだと。
無事結婚式を終え、ホテルで佳恵さんとゆったりするフィリップ。そこにやってきたのは花婿の格好をした女性だった。佳恵さんは愛している女性と結婚したいものの、こと同性婚がない日本において、さらに、伝統的な日本思考の両親との対立を避けるためにもフィリップと事実婚したことにしたのだ。ようやく2人になれるねと抱き合う佳恵さん。フィリップは静かに部屋を出ていこうとするが、2人は満面な笑みで御礼を。同じく笑顔ではあるものの、不思議な感情を持ってフィリップは初仕事を終える。
ここでまず泣いた。本当の自分になるためには偽物の結婚式が必要な佳恵さん。佳恵さんの両親は別に厳しそうな人ではないんですよね。でも、確かに今の日本では同性愛に対しての理解を得ることは難しいだろう。身内のカミングアウトに狼狽えない人間は少ないはずだ。佳恵さんは「レンタルファミリー」を使わなければならなかったわけではないんですよね。別に使わずに両親と絶縁する方法とかもあるわけで。でも両親の完全な納得や愛する人との生活の全てを取ることはどうしてもできない。偽結婚式は優しい嘘だった。「優しい嘘」にはどうしても肯定的になれない人生なんですが、それは「優しい嘘」なら良くね?勢が多いからだ。佳恵さんの両親と恋人との間での心の揺らぎや、その中でチャンスとしてレンタルファミリーに頼ったこと。多分今後後ろめたさと共に生きるんだろうなとか諸々全部混じって勝手に感情移入して泣いた。そしてフィリップの嘘をつくことに耐えられないが、それでもついたおかげで誰かが幸せになったという複雑さにも勝手に感情移入した。
もう2度と迷惑かけませんと謝るフィリップ。新人相手にも関わらず露骨すぎるほどに態度が悪い、岳大と愛子。愛子と仲直りしたく、飲み屋で偶然発見した愛子の隣に座ってしゃべるフィリップ。愛子はフィリップを避けたそうだが、どうにか対話にこぎつける。愛子は彼女なりのプライドを仕事に持っていた。フィリップを「外人」よびする愛子だった。日本の罪に自覚的な映画だ。
フィリップに次に与えられた仕事は父親役。それと近しいタイミングで今は仕事のないベテラン俳優の記者役を担うが、その二つの仕事が本作のメインライン。
前者に関してはハーフの娘、美亜の父親役だ。美亜にとって父は幼い頃においていかれた存在であり、ファーストコンタクトを持ってして、美亜にフィリップは嫌われてしまう。なお父としてのフィリップの名前は忘れた。思い出したら描くがとにかく偽名だ。美亜のママは教育熱心で私立中学?かなに美亜を入れたがっており、そのための保護者面接で片親なことが不利に働いて欲しくなかった。また、美亜の精神的な面のためにも偽父親をフィリップが演じる。
後者に関しては依頼人はベテラン俳優・長谷川喜久雄の娘。喜久雄は認知症を患っており、娘とも険悪な雰囲気に。しかし、フィリップとの間で友情を深めていく。
もう展開全部書いてしまいそうな勢いだ。だってめちゃくちゃ良かったからね。全部書いてたらマジでとんでもないことになるのでちょっと頑張ってまとめる。でも本当に良かったのでこんな記事読んでる暇あったら見に行ったほうがいい。マジで。
最序盤の結婚式もそうだが、フィリップは経験したことのないことばかり演じることになる。色々あるがもう書く気はなくなってきた。いい作品すぎて展開についていちいち書くのが無粋に思えてきたな。だから先に思ったこと書く。
本作の良さは「保留」にあると思います。そして「保留」の誠実さにあります。これはフォローしてる映画感想家のかたが言ってた全くその通りに拾ってきてるのでこの場を借りてごめんなさい。でも確かに!と思ったので書かせてもらうが、本作単体では何かを強く肯定したり、何かを否定したりしないんですよね。序盤の結婚式の話では「レンタルファミリー」を使うことに肯定的なメッセージはあまりはらまれていない。逆に否定的なメッセージもなく、そのことがフィリップの不思議な表情に現れている。
日本の文化的良さを映し出しはするが、「レンタルファミリー」社内のように、同時に日本の嫌なところも映し出す。いいところも悪いところも誠実に書くのがこの映画だ。美亜はフィリップが偽の父親と気付かず、どんどん距離を近めていく。そこに不安感を持った美亜の母は面接を最後としてフィリップを雇うのを終了。美亜はフィリップが自分の元を離れないという約束を破ったと感じる。喜久雄は認知症で家族に止められているものの故郷天草に「忘れ物」をしてるから取りに帰りたいと告げ、家族に内緒で連れて行ってくれとフィリップにお願いする。フィリップは迷いこそすれ、美亜との別れを通じて喜久雄を連れていくことを決意。喜久雄は大切なものを再び手にするも帰りしな、倒れてしまい、意識不明に。フィリップは誘拐犯として警察に勾留される。
こんな感じで1人1人の行動が生じる良い面も悪い面も書く誠実さが本当にいいです。「優しい嘘」には「嘘」という事実が絶対に付きまとう。そこに無自覚であってはダメなのです。日本に生きる外国人を通じて異文化交流でもなく、かと言って日本下げでもなく、両面に誠実に向き合った作品として素晴らしかったと思う。
警察に勾留されたフィリップ。彼を助けるためには喜久雄の証言が必要だ。ここで、いろいろあってフィリップと距離を近づけていた愛子と光太はフィリップを助けたいとするも、会社への影響を与え、何もできないという多田。愛子の仕事は主にある男の不倫相手として妻の元に謝罪に行くというもの。フィリップの件で多田とイザコザした愛子は、また不倫相手として謝罪をすることに嫌気がさし、場を修羅場にして帰宅、「レンタルファミリー」を辞める。
弁護士のふりをして喜久雄から証言を引き出すため、喜久雄邸に赴く、愛子と光太。しかし、時を同じくして喜久雄邸に警察がやってきた。バレたらやばい状況だったが、警察は本物ではなく、フィリップを助けんとする多田の偽刑事だった。フィリップは解放されることへ。
フィリップをテレビのちょい役で見た美亜はフィリップが実の父ではなく、雇われ父親であったことに気づく。母との間でのやり取りもあり、フィリップは金銭は発生しないものの美亜と「会うこと」だけは許される。美亜は怒っている。フィリップになぜ嘘をついたか聞く美亜。それは美亜を守るための優しい嘘だったと告げるフィリップ。しかし、フィリップは気づく、「優しい嘘」ではない、「嘘」をつくのはそのほうが楽だからなのかもしれないと述べるフィリップ。美亜はフィリップの方を見て一緒に歩き出す。フィリップに本名を聞く美亜。この一連のシークエンスはベタ以外の何者でもないんですが最高でした。本当に最高でした。2回言ってしまった。
『レンタルファミリー』のいいところは善悪どっちもやる誠実さ(とドライさ)と対話することへのアンサーを完璧ではないとはいえしっかり出したところですかね。この辺は個人的に譲れないところなので長くなるがちゃんと書く。
功罪・善悪・サラッと全部やるドライさ
これまあさっきも書いたんですが、伴う良いとこも悪いとこも全部ちゃんと書いてたってことですね。日本文化万歳だけじゃなくて、風俗とかもちゃんと出すとことか。後、異様にドライなのが良かったです。ドライではないんだけど、ウェットになりすぎない感じですかね。フィリップは念願の役が手に入るが、そのためには韓国に行かなくてはならない。美亜の元を離れることになる。板挟みのフィリップ。でもサラッと電話で韓国行きを断る感じとか。なんか、「泣かせたろ!」って感じがなかったのが本当に良かった。別にあってもいいんだけども。人様の感想で「喜久雄を勝手に連れていくとかはレンタル業の範疇超えててモヤモヤした」みたいなことを言ってる方がいて、それは本当にその通りなんだが、作劇見る感じ、あえてっぽいよね。
対話
フィリップと美亜とのシーン。これ2回目だからしっかり書くとか言ったが割愛でいーわ。嘘をつくのは楽だからかもしれないのとこね。必ずしも嘘を否定してるわけでもないし(現にレンタルファミリーは存続している。)、でも、嘘をつくことによって起こることもしっかりと映し出してる。対話って決して楽なものじゃないですよね。お互いがお互いをただ曝け出すだけじゃない。むしろ、お互いのリアルがお互いを攻撃してしまうことだってあるし。相手のトゲに刺さりながら抱きしめる覚悟が必要だ。そんな大変だけど、対話ができないかもと相手をみくびってちゃいかんよ。美亜はフィリップの嘘を受け入れる準備ができていたし。
どうでもいい話をすると社長多田は金持ちそうな家に住んでおり、小〜中くらいの息子と妻と共に一家団欒を楽しむシークエンスが映画に存在する。と思いきや、息子と妻はレンタルだった。怖すぎる。このシーンだけ世にも的な雰囲気を感じた。平岳大の全然いい人じゃないしむしろちょっと嫌いなやつ感を出す演技と演出がうますぎる。なんとなく気になって平岳大のブログ読んだんですが、なんていうかめっちゃいい人!って感じでも、歳はともかく、好々爺って感じの印象もなく、上記の印象が変わらなくて笑った。ケン渡辺っぽいというか。ごめんけど、俺は真田広之みたいな優しそうなおっちゃんの方が好きかな。
偽物が本物になる方法
偽物はどうやったら本物になれるんだろう。名付けも重要な一要素だ。フィリップは美亜の本物の父親にはならなかった。なれなかったし。だけど、父親として美亜と触れ合った時間は偽物ではない。本偽が入り混じった状況でもある。そして最後、フィリップが美亜に名前を名乗るところで美亜の世界に本物のフィリップが現れたんだなあと思った。我々、偽物は1人で存在することはできない。誰かの中に名前が残ってこそ存在することができるのかもしれない。
偽物が本物になるってのは偽/本のライン引きから逃れるってことですよね。『ファルコン&ウィンターソルジャー』でもジョンは本物のキャプテンになれず、そうじゃなくて、そこから抜け出して、目の前の人を助けた時に本物のジョンになれた。目的的行為じゃダメってことなのかな。行為を目的にすべきなのか?カント的に言えば定言命法じゃないとダメなのか。
思えば、俺の人生は目的的行為ばかりだ。ブログ自体がそもそもそうだ。例えば、今『リトル・マーメイドⅡ』の感想を書いてるんですが、見たくて見たわけじゃないもんね。『リトル・マーメイド』をイジった以上、見ないとな…という義に則って見ただけで、さらにブログ書く内容とか考えてるんだから、まったくもって定言ではない。多くの人もそんなんばっかでしょう。そのもの自体の魅力や素晴らしさはどんどん見えないものになってしまっている。受験勉強とかな。勉強の楽しみを曇らせてますよ。ほんまに。
まあただ、俺は誇りを持って偽物として生きていこうとは思う。今までの人生がそんなんばっかだし、終わってみれば、何かしら別のものを得ていたことも多い。偽物を貫いた結果見えてくるものは多分なんかしらあるでしょ。
長くなったが本当にいい映画でした。最後は吐き捨てですが邦画が嫌いな理由わかったわ。キレるシーンが嫌。「………(ボソボソ小声)ダロァッッッ」みたいな急に大声でキレるシーンが多すぎる。多すぎはしないかもだが、普通に嫌。今作は日本語で喋るシーンも割とあるんですが、『レンタル・ファミリー』の3人は3人とも神経質そうに早口で喋るので(多分そういうふうに演技指導されてる。)日本のこういうとこ、嫌だなぁと思わされたのであった。現実ではあんまり感じないけどね。邦画でばかり感じるんだ。





